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いま、を、楽しむ-バイクとセックスと人生と

私にとって車は移動手段だ。
子どもたちをどこかに連れていったり、たくさんの荷物を運んだり、自分の身体を目的地まで運んだり、する。

車の運転は好きでも嫌いでもない。
車は目的地に辿り着くための道具。

だから、手段のために費やす時間が多い長距離運転は、飽きる。
目的地に到着するまでの時間をどうにか飽きずに楽しもうと、お気に入りの曲を準備したり、好きなラジオ番組にチャンネルを合わせたり、美味しいおやつや飲み物を準備して工夫していた。

いままで、運転という行為が、私の中で主役になることは、なかった。

しかし。

3年前、バイクを手に入れて驚いた。

同じ乗り物でも、車とバイクは全然違う。

バイクは、運転しているだけで楽しい。
目的地なんて、いっそ無くても構わない。

どうしてこんなに楽しいのだろう?

車に比べて視界が広いから?
風や匂いを感じるから?
バイクと一体になった爽快感?

そう。私にとってバイクは目的地に移動するための「手段」ではない。
バイクに乗る楽しさ自体が「目的」なのだ。

そこが車とは違った。
(私にとっては)

車は「どこかに行くこと」が目的。
バイクは「乗ること」が目的。

その違いに気が付いた時は驚いた。
同じ乗り物なのに、自分の意識ひとつで、こんなに感じ方が違う。

いま、を、楽しむ。

それに気が付いてからは、車の運転も楽しめるようになった。


私は長いことずっと、終わりのあるセックスをしてきた。
私にとってのセックスの終わりは「男性が射精する」こと。

「男性の絶頂」もしくは「妊娠」にたどり着くためにセックスをしていた。

「男性がいってから終わるセックス」は「男性がいかないと終われないセックス」だ。

ずっと、そんな義務感のあるセックスをしていた。

「ああ、早くいってくれないかなぁ…。そろそろ飽きてきたなぁ。でも、男がいかないと終わらないからなぁ…。」って思いながら腰を振っていた。

最中を楽しまないセックス。

そりゃあ、途中で飽きるよね。笑

それが。

彼と付き合うようになって「絶頂」を考えないセックスを知った。
私はずっと、セックスは絶頂に辿り着くための「手段」だと思っていた。

でも、そうじゃない。

セックスの目的は「繋がること」
(体も心も)

繋がること自体が楽しい。
繋がること自体が幸せ。

だから達しなくても満たされる。
繋がった時点で、もう満たされている。

いってもいかなくても、どっちでも良い。
繋がった時点でもう、目的は果たしているのだから。

いま、を、楽しむ。

そんなセックスを知った。


人生もきっと同じ。

生きる目的は「生きること」

お金持ちになるとか
事業で成功するとか
幸せな家庭を作るとか
孫に囲まれるとか

そういうことを生きる目的にしてしまうと、そこに辿り着いていない自分を「道半ば」と感じてしまうかもしれない。

そこに辿り着くまでは目的を果たさない人生を生きていることになるのだ。

せっかく生まれたのに、それは悲しい。

だから人生の目的を作ることは、やめた。


移動も、セックスも、人生も。

「していること」が目的ならば。

辿り着かなければならない目的は、ない。

していることでもう、目的を果たしている。

いま、を、楽しむ。

50歳を過ぎて。
そう考えられるようになって。

生きていることがますます楽しくなった。

人生に飽きている暇なんて、私には、ない。