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#noteの書き方|「いい文章」と、ボトルメールの可能性

Xにこんな投稿をしました。日頃の気づきの置き場でXを使っています。
その小さな問いを「思考のかけら」と呼んでいます。

この記事で、「有益さ」についての話題を出しました。今回はこの記事の続きとなる「いい文章」を深掘りして書いてみようと思います。

いい文章の定義は読み手の中に


まず「いい文章」とは何か。ここでは、読み手が「読みたい」と思う文章のことを指しています。

お金を払ってでも、時間をかけてでも読みたいと思える、価値のある情報。高くても買うし、見つからないなら時間をかけてでも探したい、そのくらい純度の高い「読みたい」です。

この「いい文章」の定義は読み手の中にあります。自分以外の人がそれを読みたいかどうかは、関係ありません。なぜそれを読みたいのか、その価値観も読み手の中にあるはずです。

書いてある情報が大事だということもあるでしょうし、書いている人が大好きだということもあると思います。読んでいて心地よい、というのもあるかもしれません。

読み手の「いい文章」の定義に沿っていれば、多少崩れていても、「読まれる文章のテンプレート」からどれだけ外れていても、それは真剣に読まれるはずです。

書き手の選択


では、書き手はどうするか。

やはり、読み手が求める「いい文章」を提供したいと思うでしょう。でも、それをうまく狙えるかと言われると、難しいんじゃないかと思います。

もちろん、腕のいいライターさんや著名な作家は、ある程度思ったように読み手の「いい文章」に迫れる気もします。ただ有名な方ほど、「その人が大好きで買っている」というファンのパターンもあるので、区別も難しい。いずれにしても、読み手が求める「いい文章」を提供するのはそう簡単ではないと思います。

ここで一つ有効そうなのが、共感性のある「一般的に有益」な情報を整えて届けるやり方です。集客と導線を整えて、多くの人が有益と感じる情報を、高い密度で、読みやすく提供する。

整理されているため、読み手は情報を受け取りやすいですし、活用や拡散もしやすい。AIとも相性が良く効率的に価値を提供できる。これはこれで、ひとつの回答だと思います。

ただ、これとは逆の方向にも、もう一つ別の道が伸びている気がします。

自由に書く


まったく違うアプローチだと、書き手の書きたいように、心の動くままに自由に文章を書く。読み手に合わせることもあまり考えず、サッと公開する。こんな気軽なスタイルもありそうです。

海に投げる「ボトルメール」みたいに。

そのうち誰かに届く、かもしれない。そこで目に留まる、かもしれない。読んだら深く共感されて、読み手が手放せない「いい文章」になる、かもしれない。この不確実性をどう考えるかは人それぞれで、正解はないと思います。

AIがつくりあげる「一般的に有益なもの」が溢れる世界なので、必要な読み手に届く確率はとても低いのかもしれません。それでも、可能性が0でないのなら、期待する価値はあると思います。

もし、いま書きたいことがあって、「でもこれは見てもらえないかも」と手を止めてしまうことがあるのなら、その判断の「基準は読み手にある」と考えてみると、案外気軽に書けて投稿できるかもしれません。


noteの成功者は、たくさんいると思います。その中で、ある分野の第一人者になった人や、読み手が集まってくるような人気クリエイターが、過去にそんな「ボトルメールを流した人」だったとしたら。案外、その細い穴を通した人こそ、このAI時代で活躍することになるのではないでしょうか。

誰にも届かないかもしれない海へ、それでも自分の信じた言葉を投げ続けた人の文章が、いつか思いがけない岸辺で、誰かにそっと拾い上げられる。そんな静かな奇跡が、noteの片隅で今日も起きているのかもしれません。

自分の文章を待っている誰かが、世界のどこかにいる。

たまにはそんな可能性を想って、気軽に流してみるのもいいですね。


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