戦時下の、大日本帝国における家父長制の下の女性
まとまりのない記事になると思うけど、戦後80年にあたって「戦時下の、大日本帝国における家父長制の下の女性」ということを考える基礎となる記事に心を留めたので書き残しておきたい。
サイパン、ひめゆり、樺太の郵便局での電話交換手たちなど、「集団自決」や自死を余儀なくされる女性たちがいた。敵兵に捕まって陵辱されるくらいなら死ねという集団圧力(実際、青酸カリが手渡されている事例もある)。
一方、戦火で男たちや子どもたちの命を救うために人身御供にされた女たちもいた。満州引き揚げに当たって、「黒川の女たち」未婚の娘たちがソ連兵の性接待に身体を提供させられた。地獄をくぐり抜けて生き残り、帰国することができた後は、汚れたもののように扱われた。
また、平井和子氏の記事にあるように、ポツダム宣言受諾後3日に成立した東久邇宮内閣は「中国をはじめ各地で日本軍が現地女性に行った蛮行が、ブーメランのごとく日本でも起こることを恐れた。初閣議の場で『性の防波堤』を築く必要が確認され、八月一八日、副総理・近衛文麿が警視総監・坂信弥を通じて、東京都下の接客業者に占領軍向けの性的『慰安施設』設置を要請した」。特殊慰安施設協会(RAA)は戦時に身寄りや経済力を失った女性たちを米兵相手の公娼として提供した。「性の防波堤」という名目で。
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先週の参議院議員選挙で、参政党が「女は大学に行かずに子供を三人産む」ことを推奨する発言があった。
ああ、戦時下の、家父長制の下での女たちと地続きだ、と思った。
未婚の娘は若さと処女性に価値を求められ、知性や知識や知恵は求められない。経済力を持つことも求められない。
男の都合によい女が求められる。その都合はいつ変わるかわからない。そんなものを頼りに生きろというのか。
戦後80年、私の心には怒ってくれる「寅子」と「よねさん」が宿っている。
