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味がある、の味わい。

「味があるね」と言ったら、
ほんの一瞬だけ空気が止まった。

「また間違えた」と、胃が身震いした気がする。

「味があるね」
私は誰かやなにかを褒めるときに、この言葉を好んで使ってきた。

ある日、知人が言った。
「味があるって表現、自分はあまり好きじゃないな。何かを濁されている感じがするし、あまり褒めてない気もする」

この言葉を聞いて、私はすこしハッとした。
実は私にも、「味がある」を褒め言葉として受けとれないときがある。これまでそのことをあまり深く考えないできた。
この何気ない会話が、私をふと立ち止まらせた。


どうして自分は、「味がある」を好んで使うのかについて考えてみる。ちなみに、ここから「味」に関する表現が続く。腹ぺこな方は、何かを口にして食欲を落ち着かせてから読むことをおすすめする。

たとえば、あなたはコクも旨みもないが、とてもきれいに盛りつけられているカレーライスを食べたいと思うだろうか。

食べたいと言ったあなたは、人生をInstagramに捧げてみてもいいだろう。ここから、バラ色で無味無臭の人生があなたを待っている。きれいに盛りつけられたカレーライスを、より良く映えるように撮影しつづけ、♡から得られる心のきらめきを味わって生きていこう。

私は食い意地が張っているから、もちろんコクも旨みもたっぷりのおいしいカレーライスが食べたい。もしかするとこのカレーライスは、見た目は地味で映えないかもしれない。けれど、丁寧に下ごしらえされた材料を、じっくりと時間をかけて煮込んでいく。ひとくち食べれば、口の中にスパイスと深みのある味わいが広がるだろう。

私が魅力を感じるのは、その人にしか表現できないものに触れたときだ。外側をきれいにするだけでは物足りない。内側から個性が香る、その人だけの味わいが誰にでもあるはずだ。

私は、その人から滲んでくる、体温と匂いを感じたい。隠し味に、戸惑いや喜び、生活の気配なんかが入ると、なおのこと良い。
私はいつも、それをひっくるめて「味がある」と表現している。

けれどこの言葉は、少しのズルさを含んでいることも、本当は知っている。

まっすぐに「おいしい」とは言っていない。けれど「まずい」とも言っていない。「なんだかクセが強いね」とか「すぐには判断ができない」といったところだろうか。

知人は、この曖昧さとズルさが苦手なのだろう。そしてそのとき、彼はこうも言っていた。「好きな人は好き、という言葉もあまり好きじゃないなぁ」

「味がある」「好きな人は好き」
この言葉は、評価や自分の意見から、少しだけ逃げている気がする。その逃げ道に、私は何度も助けられてきた。ちゃんと褒める勇気がないときに、私もこの言葉でごまかしたことがある。

「味がある」と言うとき、私は一歩引いた場所からそっと味見をしている。それはきっと、私だけじゃない。

この言葉には、褒め言葉にも逃げ道にもなる曖昧さがある。でも私は、その曖昧さごと好きだ。

はっきりしないものを、無視しないでいたいから。


ここまで考えてみたけれど、私はやっぱり「味がある」という表現が好きだ。この言葉には、体温と匂い、そしてやさしさがある。その人が生きてきた時間や、揺れうごいた心ごと、味わっている気がするからだ。

私がだれかをこの言葉で褒めるとき、それは複雑な深みと味わいがあるという意味だ。これまでの人生がまるごと溶け込んだカレーが、そんなにシンプルなわけはないだろう。どれだけじっくり煮込んだと思っているのだ。

私が誰かに「味があるね」と褒められたとき、もしかすると、良い意味ではないかもしれない。
それを、笑って受けとれなかった日もある。

そうだとしても、私は素直に「ありがとう」と言いたい。味見してくれたことへの「ありがとう」だ。

口に合わなかったなら、仕方がない。
それでも私は、このカレーを作っていく。

じっくり、コトコト、コクと旨みを増していこう。
そのうち誰かが、「味がある」と言ってくれるくらいには。

そのとき、私は笑っていたい。

……という考えに着地しましたが、いかがでしょうか。私の知人改め、同級生のけいちゃん。
私がこの1,800文字で伝えたかったのは、たった一言だ。

「あなたの描く絵がとても好き、味があってね」

これを読んだあなたの反応は分かっている。

「うーん……あでりさんこそ、なかなか味のある文章ですね。好きな人は好きだと思うよ」


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