カーテン越しの光──「気配」や「物語」を感じる世界
── 気配と物語。
いつからなのか覚えていない。
気づいたらそこに惹かれるようになっていた。
それは写真でも文章でも。
今日は、写真のお話。
でも、いつだって写真と言葉はつながっていますから、写真のお話であって言葉のお話でもあります。
写真を撮るとき、
いつもふっと宙を仰ぎます。
まるで自分の周波数を変えるように。
わたしは目の前にある「モノ」そのものを撮ろうとはしていないのかもしれません。
そこにある空気や、静かな佇まい、言葉にならない「気配」に心を動かされ、レンズを向けているのだと思うのです。

たとえば、朝の光がレースのカーテンを通り抜けて、部屋の隅にやわらかな影を落とすとき。
輪郭を少し曖昧にするような、そんなやわらかな光に出会うと、愛おしいような、ほっとするような気持ちになります。
木漏れ日の揺らぎ。
逆光に透ける部屋の空気。
淹れたてのコーヒーから立ち上る湯気に混ざる光。
カチッとした明確な世界よりも、どこか境界がゆるむような瞬間に、わたしの視線は止まります。

なぜ、カーテン越しの光に惹かれるのでしょうね。
理屈で説明しようとしても、うまく言葉にできません。けれど、気づけばいつも、そういう光ばかりを写真に収めていました。
あるとき、ふと思ったのです。
この「揺らぎ」や「気配」を愛おしいと感じる理由。
もしかしたら、わたし自身が持つ「世界との境目を、少しやわらかく感じやすい感覚」と、どこかで深くつながっているのかな、と思ったり。
刺激を強く受け取りやすいからこそ、パキッと分かれた強い光よりも、内と外をやさしく繋いでくれる、グラデーションのような光に救われる。
輪郭が曖昧だからこそ、そこに想像する余白が生まれ、目に見えない「物語」を感じとっているのかもしれません。
以前もお話ししたかもしれませんが、わたしにとって写真は「対象」ではなく「心の動き」を写すもの。
そして、その写真にほんの少しの「余白」を意識することで、見る人の中に、そして未来の自分の中に、物語が宿るのだと思うのです。

あなたの日常のなかには、
どんな光が流れていますか?
もし、まわりの世界が
少し眩しすぎるなと感じたら。
窓辺のカーテンをそっと閉めて、部屋の灯りを消して、やわらかく差し込む光が描く先に目を向けてみてください。
完璧に整った正解なんてなくても。
その曖昧で、やさしい揺らぎの中にこそ、あなただけの小さな物語が、静かに息づいているかもしれません。
あなたの暮らしにも、心地よい光と余白がありますように。
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