【インターナショナル運動の起源】友愛民主主義協会
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今回は友愛民主主義協会の英語版Wikipediaの翻訳をします。
翻訳のプロではありませんので、誤訳などがあるかもしれません。正確さよりも一般の日本語ネイティブがあまり知られていない海外情報などの全体の流れを掴めるようになること、これを第一の優先課題としていますのでこの点ご理解いただけますと幸いです。翻訳はDeepLやGoogle翻訳などを活用しています。
翻訳において、思想や宗教について扱っている場合がありますが、私自身の思想信条とは全く関係がないということは予め述べておきます。あくまで資料としての価値を優先して翻訳しているだけです。
友愛民主主義協会
友愛民主主義協会は、1845年9月22日にロンドンで開催された会合で設立された国際的な社会である。この協会は、左翼チャーティスト(※イギリスで起こった選挙法改正と社会変革を要求する急進的知識人と下層労働者たちの運動を起こした人たち)の代表者、ドイツ人労働者・職人(正義者同盟のメンバー)、他の国籍の革命的移住者たちを受け入れたものであった。カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、1845年夏のイギリス滞在中、この会合の準備に協力したが、その頃にはロンドンを離れていたため、会合には出席しなかった。その後、彼らは友愛民主主義協会と絶えず連絡を取り合い、同会のプロレタリアの中核に影響を与えようとしたが、同会は1847年に共産主義者同盟(※1847 - 1952)に加入し、それを通じてチャーティスト運動にも参加した。1853年、協会はその活動を停止した。

コメント
『第一インターナショナルの歴史』の著者G・M・ステクロフは友愛民主主義協会について「これを動かしている思想の点からいえば、これこそ労働者階級の最初の国際的組織であり、この意味でインターナショナルの先駆けと考えていい」と述べている。
パリのドイツ人移民による秘密結社「追放者同盟」(1834 - 1836)、「正義者同盟」(1836 - 1847)、ロンドンの秘密結社「共産主義者同盟」(1847 - 1852)はフランスの革命家フランソワ・ノエル・バブーフとフィリッポ・ブオナローティの理想を求めた組織運動で、平等・正義・友愛の理想の神の王国、新しいエルサレムを求めたものだった。このドイツ人移民の結社員であるマルクスとエンゲルスが友愛民主主義協会に協力した。
友愛民主主義協会は、のちに国際委員会・国際協会という名前で知られる国際抵抗委員会welcome and protest committeeに発展する。

イギリス・フランス・ドイツ・イタリアなどを中心にヨーロッパ中のフリーメイソン労働者結社がロンドンに終結して結成したのが、最初のインターナショナル運動である第一インターナショナルであり、この運動から共産主義運動、更にソヴィエト連邦が産み落とされることになる。
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