第20回ホームカミングデイ2025 アーベル賞受賞記念対談リポート
2025年11月1日、20回目の記念となる京都大学ホームカミングデイが開催されました。
日本で初めてアーベル賞を受賞した柏原正樹 名誉教授による記念対談、2000年代以降の卒業・修了生を対象とした座談会・交流会、現役留学生と元留学生によるキャリアトーク、音楽会など多彩なプログラムが催され、多くの現役学生や卒業生が交流を深めました。
また、例年人気の施設公開や、学内を巡るスタンプラリー、マルシェなどのイベントにも多数の参加をいただきました。
noteでは記念対談と20周年記念企画のレポートをお届けします。
アーベル賞受賞記念対談 数学者人生50年の歩み
第20回ホームカミングデイ2025を代表する企画として、“数学のノーベル賞”とも称されるアーベル賞を本年受賞した京都大学数理解析研究所特任教授・高等研究院特定教授の柏原正樹先生による記念対談が開催されました。国内外で活躍するサイエンスライターの吉成真由美氏がインタビュアーとなり、「数学とは何か」「数学の美しさ」「数学とAI」の3つの柱で対談を展開。半世紀にわたり数理解析の世界的研究者として歩んできた柏原先生の研究人生を振り返るとともに、芸術や音楽と数学との共通点など分野を超えて話が広がり、卒業生・在校生・研究者らに知的刺激と発見をもたらす貴重な時間となりました。

■柏原 正樹 KASHIWARA Masaki
1971年東京大学大学院理学系研究科を修了し、同年に京都大学数理解析研究所助手に着任。名古屋大学理学部助教授、マサチューセッツ工科大学客員教授を経て、京都大学数理解析研究所の教授や所長などを歴任。現在は同研究所特任教授、高等研究院特定教授を務めます。主な受賞歴は2018年のチャーン賞、同年の京都賞、2025年のアーベル賞。
■吉成 真由美 YOSHINARI Mayumi
マサチューセッツ工科大学(脳及び認知科学学部)卒業、ハーバード大学(心理学部脳科学専攻)修士課程修了。NHKディレクタ一として、子供番組、教育番組、NHK特集などを担当。コンピュータグラフィックスの研究開発にも携わりました。近年はアメリカ・ボストンに拠点を移し、サイエンスライターとして科学者、哲学者、政治家、経済学者、建築家、起業家などへのインタビューを出版。
吉成 最初に「数学とは何か」についてお話ししたいと思います。イギリスを代表する20世紀の純粋数学者ゴッドフリー・ハロード・ハーディの著書を紐解くと、“数学とは実用性だけでなく数式や論理パターンそのものに美しさがある”、つまり数学は一種の芸術であると論じています。また物理的世界は我々の知覚や言語に依存した主観的なものですが、数学的世界は完全に客観的で、人間の認識とは独立して存在するとも読み解けます。これについて先生はどう思われますか。
柏原 少し違うかなというのが私の意見です。素数かどうかなどの数学的事実は確かにありますが、それを研究するのは数学者の仕事です。事実を観察して、どれが重要か、どれがおもしろいかを自分の目と頭で判断するのは数学者であり、そこには主観性も入ってきます。そういう意味でやはり数学は人間の営みの一環だと思っています。
吉成 すばらしいですね。実はハーディは「謙虚な人は良い仕事ができない。真の才能を持った若い数学者はみな野心に満ちており、最も高貴な野心は後世に恒久的なものを残そうとする」とも述べています。先生自身も含め、一緒に研究してこられた数学者の皆様も、知的好奇心と誇りと強い野心をお持ちでしょうか。
柏原 野心という言葉が適切かはわかりませんが、自分で新しいものを見つけたい、という欲望は重要なファクターとなっていますね。
吉成 それを踏まえて先生の研究を整理すると、複雑な現象を計算できる形として捉える「D-加群理論」という新しい道具を発明し、リーマン・ヒルベルト対応の「解析的な解」と「代数的・幾何的な構造」を対応させる理論を発展させることで、それまで別々と思われていた数学の分野をつなげ、結晶基底の発見も成し遂げた、ということでしょうか。代数と幾何学と解析の3つの分野を結び付けたという理解で合っていますでしょうか。
柏原 概ねその通りです。始点となったのは佐藤幹夫先生が最初に提案したD加群理論であり、言うなれば「解析を代数的に書き直すための言葉と枠組み」です。それを使って私が3つの分野を橋渡しするツールをつくったということです。
吉成 数学上の強力な道具を生み出すことでさまざまな数学理論や数理・物理の領域に応用できるようになったということですね。なかでも一番エキサイトした発見は何でしたか。
柏原 結晶基底です。佐藤先生の弟子の一人である神保道夫先生が、量子群の温度をゼロにすれば何か良いことが起こらないかと発想したことが最初でしたが、それを実現し量子群の中から結晶のような格子構造を見出した時には、かなり興奮しましたね。やはり新しいモジュレーションは今までの業績に基づいて出発するわけですが、どう形にするかが一番の問題なので、それが成功したという意味では一番印象に残っています。

吉成 次に2つ目の柱である「数学の美しさ」についてお聞きします。再びハーディの説を引用すると、「数学者のつくる様式は画家や詩人の様式同様に美しくなくてはならない」、すなわち美が第一の条件であると言っています。先生は音楽も好きで、オペラなどもよく聞かれるそうですが、数学と音楽の関連性は感じられますか。
柏原 確かに音楽は好きでインド音楽をよく聴きます。インド音楽はストラクチャーがはっきりしていて序・破・急があります。序から始まって、破の展開があり、最後に急で盛り上がって終わる。そういう形式は数学と通じているかもしれません。
吉成 数学教育についてはどのように見ておられますか。さまざまな過去問題を記憶することで早く計算できて早く問題が解けることが数学的な能力として評価されているようにも見えるのですが、いかがでしょうか。
柏原 問題を解くことばかりに囚われてはいけないと思います。数学教育の目的は決して計算にあるのではない。固く閉じた心の窓を力強く押し開けて、清涼の気、つまり涼しい空気がよく通るようにすることにあるんです。これが駄目ならあれで試すといった思考錯誤をしながら、自由な心を持って解決に取り組めるのが、数学で味わえる醍醐味なのだと思います。
吉成 なるほど。先生は東京大学4年生の時に佐藤先生の授業に出るようになり、佐藤先生が京都大学に移られてからも一緒に研究をされ代数解析の分野を開くことになったわけですが、佐藤先生からはどのような影響を受けましたか。
柏原 一番は、自分で新しい数学をつくっていく重要性を教えてもらったことです。既存の数学の理論を学ぶのも大切ですが、それより自分で新たにつくっていくことにおもしろさがあり、重要であると再認識しました。
吉成 では3つ目は「数学とAI」についてです。ベクトル統計や行列などをはじめとして数学がAIをつくったわけですが、今度はAIが数学分野の研究に影響を与える可能性が大いに出てきたと言われています。AI自体の数学研究にとって人間の役割がどう変わるか。この命題や証明がどのくらい重要か、どういう分野とつながりがあるかなど、そういった数学的な意味付けするのは人間だと言うことができるでしょうか。
柏原 何が重要かはその時々や目的、人によっても変わりますし、背景を知らないと判断できないわけです。AIは与えられた膨大なデータに基づいて検索することは簡単にできても、新しい画期的な概念、例えばゲーデルの不完全性定理などをAIが打ち立てられるかと問われればわかりません。AIの進化にはめざましいものがありますが、ある発想を持って問題を問うことができたのは、やはりゲーデルの業績であり、そこまでAIが到達するのはかなり時間がかかるのではないかと思います。
吉成 ありがとうございます。では最後の質問です。数学的な思考方法を学ぶことにどんなメリットがあるんでしょうか。
柏原 難しい質問ですね。数学、特に純粋数学の場合は、今やっていることが役に立つのはずっと先の将来であるし、それが直接役に立つのではなくて、新しいものが出てくる観念や土台になる場合もある。直接的に役に立つのは稀かもしれません。
吉成 最後にフランスの数学者ポアン・カレの言葉を紹介したいと思います。科学者が自然を研究するのは、それが有用であるからではない。自然の中に喜びを見出すからである。そして彼が自然の中に喜びを見出すのは、自然が美しいからである。先生、賛同されますか。
柏原 同感しますね。ただ彼の言葉に続けて、「それを見つけるのは科学者である」と付け加えたい気がします。
吉成 自然が美しいと感じられるのは人間の認知力がすばらしいということですね。数学への興味が深まるお話とともに、最後に大変励まされる言葉をいただき、ありがとうございました。

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こちらもぜひご覧ください。
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