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第2話 管理を強めるほど栽培が不安定になる──慣行農法が直面したパラドックス

気候変動によって、
農業の前提条件が揺らぎ始めている。

この変化に対して、
慣行農法が選んだ対応は、極めて真っ当なものだった。

施肥設計を見直す。
防除体系を組み替える。
資材の種類や投入タイミングを調整する。
より環境耐性の高い品種へ切り替える。

つまり、
管理をより精密にするという方向だ。

これまで慣行農法は、
環境条件を読み取り、
その条件下で最も再現性が高くなるように
生産体系を設計してきた。

管理とは、
不確実性を減らすための技術であり、
実際にそれは、
長い間、農業の生産性を支えてきた。

だからこそ、
環境が不安定になればなるほど、
「もっと管理する」という判断が選ばれるのは自然だ。

しかし、現場では次第に
ある違和感が共有されるようになる。

管理を重ねているはずなのに、
作物の反応が読みにくくなっている。
対策を増やしているのに、
年ごとのブレがむしろ大きくなる。

この現象は、
単なる技術不足やノウハウ不足では説明しきれない。

なぜなら、
管理技術そのものは
年々高度化しているからだ。

ここで浮かび上がってくるのが、
管理のパラドックスとも言える構造である。

管理とは本来、
環境条件がある程度安定していることを前提に成り立つ。

気温や降雨、日射、病害虫の発生。
それらが「想定の範囲内」で揺れるからこそ、
人は対処の選択肢を用意できる。

ところが、
環境の揺れ幅そのものが大きくなり、
発生時期や組み合わせが読めなくなると、
管理は次第に「追いかける作業」になる。

問題が起きてから対応する。
ある年に効いた対策が、次の年には噛み合わない。

その結果、
外部からの投入は増える一方で、
作物自身が環境に応答する余地は
相対的に小さくなっていく。

ここに、
慣行農法が直面した一つの壁がある。

それは、
管理を重ねるほど、
かえって環境の変化に振り回されやすくなるという構造だ。

この壁に直面したとき、
農業は二つの方向に分かれる。

一つは、
環境そのものを遮断・制御する方向。
植物工場がその代表例だ。

もう一つは、
完全な制御を諦め、
変動の中で「耐える力」を高める方向。

この後者の文脈で登場してきたのが、
バイオスティミュラントという考え方だった。

バイオスティミュラントは、
肥料でも農薬でもない。

直接、養分を与えるわけでもなく、
病害虫を排除するわけでもない。

その役割は、
植物が本来持っている生理機能や調整力を、
変動環境下でも発揮しやすくすることにある。

言い換えれば、
「人が全てを管理する」前提から、
「植物の側にも判断を委ねる」方向への
小さなシフトだ。

これは、
慣行農法が自然栽培に近づいた、
という単純な話ではない。

むしろ、
慣行農法が自らの内部で、
管理の限界を自覚し、
自律性を補助する技術を必要とした結果だと言える。

重要なのは、
バイオスティミュラントが
万能な解決策として登場したわけではない、という点だ。

それは、
管理を放棄する技術ではないし、
自然に委ね切る技術でもない。

あくまで、
管理と自律のあいだをつなぐ、過渡期の技術である。

気候変動は、
農業に「正解」を突きつけているわけではない。

ただ、
どこまでを人が管理し、
どこからを植物に委ねるのか。

その境界線を、
これまで以上に意識させている。

次回は、
このバイオスティミュラントが、
実は自然栽培や在来農法の現場にあった知恵を
どのように抽出し、
工業的に再構成したものなのか。

その「起こり」について、
もう少し丁寧に掘り下げていきたい。

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