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障害を背負って戦う

一月某日。
トレーニング中に脚が引き攣りを起こしてトレーニングを中止する。

精神、神経、脳に障害を負っているが故に、体に力が入り過ぎ、体が限界を迎える。

鍛える事も容易ではなく、常に障害の影響を受けながら何事も前に進めていく他ない。

障害を抱えて

当然の事であるが、障害を負っている事で不利益を被る。
精神障害を持っているからこそ、肉体は強くあろうとしても、精神は神経系に悪影響を与えて、筋肉のコントロールを難しくする。

何度も何度も繰り返して、少しずつ体をほぐしていく。
ほぐしては鍛え、力みをとり、体を繰り返し動かす。

何度も何度も繰り返しながら、少しずつ現実を前に進めていく。

障害は私に困難性を与えるが、かと言って不可能を叩きつけてくる訳ではない。
困難が強過ぎるが故に、実際には不可能を叩きつけられるが如く感じられる事は多いが
取り組む側としては「不可能」として反応するのではなく、「困難」として対応する事が望まれていると感じている。

日々、これと戦い続ける。
困難と取り組み。

それを何度も繰り返す。
それが障害を抱えて戦うという事だと考えている。

事業経営

障害が困難を叩きつけてくる戦いは何もフィジカルに関する事だけではない。

事業経営は私が社会との接点として戦っている前線であるが、そこでも困難性との戦いは展開されている。

精神疾患と発達障害の合わせ技は、生活の中でありとあらゆる困難を叩きつけてくるように感じている。

一月某日。

私達の事業は年末の決算に向けて、経理作業を戦っていた。
私の発達障害は、この手の作業にとても強い困難性を抱えている。

経営本部と管理部と代表である私の3名で取り組むが、私は分析担当であり、基本的な帳簿作成は他の2人を頼るしかない。

もし、私が帳簿記帳に手を出せば、そこには収拾のつかないカオスを作り出す事になってしまうだろう。

ここで一つ思える事は、障害を背負って困難性にぶち当たる場合、人々の助けを得る事で戦い続ける事が出来る、という事である。

そこにあるのは莫大な感謝だけである。

ケア

障害を抱えて何かに取り組んでいく時
そこには障害がある分、多くの疲労とダメージが蓄積される。

このケアを怠れば障害は更に深刻になり、人生の難易度は更に上がってしまう。

周りのサポートを受けて動いて、動いた後にもサポートがいる。

とても不便な人生だが、それでも、それが維持出来る事には
やはり莫大な感謝が、そこにある。

有難う。

今日を生きてられたのも
明日が生きていけるのも

支えてくれて、共に歩んでくれる人々のお陰で

頑張り続けられるのも

労わって、調整してくれる方々のお陰です。

改めて、感謝の意を。

本当に、有難う。


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