絶望ばかりを数えずに。
2025年12月13日。
仕事の合間に車の中でPCを開く。
今、何を考えているのか。
何を思っているのか。
まだ散文的な文章を書き連ねるのか。
自問自答。
午後5時過ぎ。
まだ私の精神は散文的な構造を求めている。
いつか、もう少しだけ先のいつか
私は何かを、まとまって考える事が出来るようになる気がする。
もう少し。もう少しだけ、散文的な情緒を此処に書き出して
自分自身と向き合っていく。
今日は少し仕事が立て込んでいる。
実際、この仕事量は私にとっては許容量オーバーだと思う。
此処まで働けるコンディションはまだ作れていない。
しかし、実際、こうやって仕事をしなければ
到底生活すら、ままならないのだ。
だから生きる為に命を削る。
そうやって、生きる道を探る。
命を命の為に使う。
ダメだったら、そこまでだ、というだけの話。
自分の体の事は自分が一番よく分かってる。
そんな事は嘘だ。
私の体の事を一番よく分かっているのは主治医だ。
そしてきっと、自分自身に無自覚な私よりも家族の方が分かっている。
担当看護師や介護士の方が私をよく知っている。
私は私に対して無知だ。
それでいて決定権を持ち、消耗させる。
無能な暴君と同じだ。
私は仕事が好きでお金の事が嫌いだ。
それは本当なのだが
病気で働く事が苦しい。
だから資産運用でお金を増やす。
資産運用は好きだ。
経済学は好きだしゲーム性もあって楽しい。
しかし、お金の事を考えると胸が締め付けられる。
お金を稼ぐ事では癒されないであろう痛み。
私が欲しいのは、働かなくていい、稼がないでいい、という免罪符で
その上で働きたいし、稼ぎたいのだと思う。
これから私は何を考えるのだろう、という事を考えている。
真剣にではなく、緩く、ただ川の流れを見ているように。
経済の事は考えて行くだろうし
ビジネスの事や家族の事も考えて行くだろう。
自分自身の病状と闘病の事も考えて行くだろう、と思う。
多分、それで大半の部分は占めるだろう。
私は案外単純で平面的な人間なのだと
改めて思う。
今季は雪が降らないで欲しい。
雪は嫌いだ。
東京の雪は交通網を破壊し、著しく経済活動を困難にする。
事業でもマイナスを被る。
何よりも、あの白くて暗い空が不穏感を駆り立ててくる。
2025年12月14日
午前2時。
珍しく夜間作業を終えて帰宅する。
気温4度の中、雨に打たれて7時間。
仕事をしていたせいで肩凝りが酷い。
仕事中、何度も足が震える。
寒さのせいではなく、何か、別の原因で足が思ったように動かなくなった。
それでも生き残った。
今は家に着いて、また静けさを取り戻しつつある。
沢山の時間が過ぎて
私は今日を迎えた。
別に今日を迎えられなくても
特段不思議ではない。
もうとっくの昔に死んでいたって
別に不思議でもなんでもない。
ただ生きている事が不自然かと言えば
そういう訳でも無い。
今はただ生きている。
それだけが在る。
そして、その先に
これからの私がある。
脱ぎ捨てた服が小山を作り
名刺入れの中からは名刺が切れている。
私は今日を戦い切って
明日へ、また命を繋ぐ。
自然に。ごく自然に。
私は生きている。
朝の時刻が近づいてきても
眠前薬を投入しなければ眠気を感じる事のない体でも
私は確実に生きている。
まだ終わっていない。
明日も生きるんだ。
だから、今日を、昨日と繋がってしまった今日を
終わりにする為に薬を飲み込んでいく。
眠気が来る前に少しだけ文字を打ち込む。
私の心の中にあるものを
洗いざらい。
何かがある。
何か言いたいことがある。
心の奥底に想っている何かがある。
ある感覚はあるのに
それは掴めないままで
自分自身がどこに向かっているのかも
分からなくなる。
それでいい。
私はこれでいい。
痛みも苦痛もあるし
癒しも幸福もある。
全ては終わって始まって
繰り返しているようで
同じ場所には2度と戻れない。
これでいい。
これがいい。
これが現実だから。
現実以外はマヤカシだから。
だから痛くても苦しくても
気持ち悪くても
本物がいい。
現実がいい。
削った命は時間の中に溶けて無くなり
そして時間も溶けてなくなる。
私の存在しない莫大な時間が
ほんの少しだけ長くなる。
私がいない宇宙の莫大な長さと広さに対して
如何に私の存在が刹那的か。
それでも、私にとって
私の実存は如何に絶対的か。
私のいない世界を
私は知らない。
知る事もない。
それが殆どなのに
それを知らずに生きて
そして、知らずに死んでいく。
その前の莫大な長さと
その後の莫大な長さが
まるで存在しないように。
なんて非現実的で
自分勝手な生き物。
それが生き物。
自分がいなきゃ何も見えない。
そして見えるのは自分がいる世界だけ。
どれだけ必死に見つめても
刹那も刹那。
それしか見えない。
ほぼ盲目と同義な存在。
でも、それが生きるという事で
その刹那を永遠のように歩く事が生き方。
まだ、私が存在する世界は続く。
小さく一歩ずつ。
今日も明日も。
きっと1週間後も。
長くなれればなる程、可能性は下がり
そして存在すら消える。
その日まで
ただただ生きる。
