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小説を読む目、という話。

 この2年ほどで、それ以前よりも小説を読む量が増えた。
 小説の読書量が最も多かったのは学生の頃で、社会人になってからはほぼゼロになり、読むのは専門書や技術書ばかり。
 それがここ最近では、書店やAmazonで購入するのは小説が多くなった。

 時間に余裕ができた、というわけではない。
 むしろ時間は年々限定的になっている。
 それでも小説を読む量が増えたのは、小説を書くようになったからだ。

 ジャンルやストーリィ構成の研究をしたり、文体や文章表現を参考にしたり。
 自分が楽しむため、味わうためではない。
 なので、表現としては《読む》というよりも《調べる》のほうが合っているかもしれない。
 研究者が先行研究を調べたりサーベイを取ったりするのとニュアンスが似ている。
 小説に目を通しながら「おっ、これは面白いな」と感じる瞬間もあるが、それが目的ではなく、おまけみたいなものだったりする。

 子どもの頃から小説を読むことは好きで、それは大人になっても変わっていないけれど、好きだから読む時間と調べるために読む時間の比率が圧倒的に後者寄りになっている。
 とはいえ、そのことを嘆いているわけではなく、小説というものを見る目が変わってしまったのだなぁという気づきである。

 小説を書くことを職業にするというのは、好きだからやっているけれど好きだけでは成り立たない。
 小説を《調べる》時間も好きだし、そこから得た示唆を整理して自作へ活かすという営みも嫌々やっているわけではなく楽しんでいる。

 でも、自分の作品にお金を出してもらって読んでもらうというのは、ただ単に好きなだけでは成立しないよなぁとも思う。
 それはきっと、いかに売れるかが大事だから。
 書籍を出版するのは並大抵のことではないし、売れなければ次はない。
 ビジネスなのでシビアである。
 自分にとって楽しむための娯楽としての小説が、金銭を得るための商品としての小説というふうに、意識が、見る目が変わってきているということ。

 金銭を得る、というと何やら生々しい、いやらしい響きがするような感じを受ける人もいるかもしれない。
 だけど、小説家は小説が売れないと小説家であり続けることができない。
 書籍を世に出すという行為だけであれば自費出版や同人誌という手段もあるけれど、いずれにしても売れなければ認知が広がらない。
 知ってもらえなければ買ってもらえない。
 金銭が得られないと、生きていけない。
 だから他のお仕事で収入を得るしかなく、ますます小説の執筆にかけられる時間が限定的になっていく。
 そうして、認知を広げることや売れることがさらに難しくなっていく。
 スパイラル。

 自分は今、そこにハマりつつあるので、どうにかして脱したい。
 そのためには、書き続けるしかない。
 小説を見る目をもっと養い、一人でも多くの読者が楽しんでくれるよう、文字を紡ぎ続けるだけ。

 今朝はこんな感じ。


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