戦争が終わった、ある暑い日の出来事
№1014 今回紹介するお話
ここではネット上やnewsなどで話題になった涙話などをYouTubeなどでアップされている動画と共に「涙が出るほどいい話」として記事にしています。
今回紹介するのは、戦後の多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務の仕事に就いていた女性の回想になります。
投稿時期に関して
まとめサイトのコピペから2008年10月31日の投稿と思われます。
投稿内容
261 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/10/31(金) 08:46:18.10 ID:rT1aWlBi0
第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた
ある暑い日の出来事でした。
私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていました。
留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装の人が多かった。
ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、私の顔をマジ、マジと見つめていた。
「あたし、小学校二年生なの。
おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。
おとうちゃんの名は、○○○○なの。
いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけどたべものがわるいので、びょうきして、ねているの。
それで、それで、わたしに、この手紙をもって、おとうちゃんのことをきいておいでというのであたし、きたの」
顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。
私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、復員局からの通知書があった。
住所は、東京都の中野であった。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは---」といいかけて、私は少女の顔を見た。
やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、一杯に開いて
私のくちびるをみつめていた。
私は、少女に答えねばならぬ。
答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえてどんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」といって、声がつづかなくなった。
瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。
それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。
私の方が声をあげて泣きたくなった。
しかし、少女は
「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。
おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」
私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。
少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。
やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、「おひとりで、帰れるの」と聞いた。
少女は、私の顔をみつめて
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。
おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。
だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」
と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。
帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。
おかあさんも、しんだの。
だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。
あたしは、泣いてはいけないんだって」
と
小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
さいごに
私のnote記事は営利を目的とはしておりません。
単純に涙した話を皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしています。
しかしながら「著作権」などの問題がある場合は削除致しますのでお知らせください。
なお、掲載している見出し画像はAIで作成しました。
最後までゆっくりお付き合いいただきありがとうございます。
いいなと思ったら応援しよう!
noteは営利目的でやっているわけではないのでチップはいりません。
そのお金はご自身やご家族のために、もしくは募金で使って下さい。
代わりに「フォロー」や「いいね」をして頂けると嬉しいです。