氷河期世代AD、テレビの片隅で。#24「祖父母から両親、そして僕へと人生は繋がっていく」
震災から少し経って、
街は少しずつ日常を取り戻していった。
僕が担当していた番組も、
ゆっくり再開していった。
でも、
どこか空気は変わっていたと思う。
「普通の日常」
は、
急に終わることがある。
みんな、
それを知ってしまった。
震災から何日か経った頃。
僕らの誕生日が来た。
僕と広末直子は、
誕生日が一日違いだった。
番組のディレクターたちが、
誕生日会を開いてくれた。
戦友みたいな人たち。
普段は、
「俺のVTRの方が面白い」
とか言っていた人たちなのに、
みんなお祝いしてくれた。
そして、その日の夜。
僕はプロポーズをした。
かなり自然な流れだった。
変にロマンチックな感じでもない。
でも、
今思うと、
震災のあとだったからかもしれない。
人は、
失うかもしれないと思ったあと、
誰かを大事にしたくなる。
広末直子は、
わりとあっさりOKした。
理由を聞くと、
「誕生日が一日違いだから」
とのことだった。
この日に産んでくれた母に感謝である。
震災から2か月後。
僕は彼女を連れて、
東北の実家へ帰った。
AD時代、
僕はどこか実家を避けていた。
疲れた顔を見せたくなかった。
うまくいってない自分を、
家族に見せたくなかったのだと思う。
でもこの時は違った。
ただ、
家族に会いたかった。
実家には、
父、母、弟、妹、
みんな集まっていた。
弟は津波でアパートを流されていた。
でも、生きていた。
それだけで十分だった。
そして、
みんな彼女を見て驚いていた。
母なんて、
「なんでこんな美人が、あんたと結婚してくれるの?」
と本気で言っていた。
理由は、
「誕生日が一日違いだから」
数か月後。
東京で結婚式を挙げた。
番組の戦友たちも来てくれた。
東北からは、
親戚一同が新幹線で来てくれた。
父は10人兄弟だった。
従兄弟も30人くらいいた。
だから子どもの頃は、
親戚が集まると大騒ぎだった。
お盆や正月になると、
いとこ達も集まって、
何十人もいた気がする。
フラフープ大会なんかもやった。
なぜフラフープだったのかは分からない。
でも本気だった。
優勝は弟。
僕は2位だった。
悔しかった。
たぶん人生で一番真剣なフラフープだったと思う。
父は10人兄弟。
久しぶりに兄弟全員集まれたと、
なんだか嬉しそうだった。
親戚たちは、
僕のやっていた番組を毎週見てくれていたらしい。
「見てるよ」
「この前の面白かった」
そう言われるたび、
すごく嬉しかった。
父も、
少し誇らしそうだった。
父も若い頃、
集団就職で東京へ出ていた。
母も同じだった。
でも二人とも、
東京には馴染めなかったらしい。
数年で東北へ戻り、
地元で出会い、
家庭を築いた。
そして今、
その二人の息子である僕は、
二人が離れた東京で、
テレビの仕事を続けている。
夢を追いながら、
これから自分の家庭を築こうとしている。
不思議なものだと思う。
人生は繰り返さない。
でも、
どこかで繋がっている。。。
昔、
野球部で補欠だった僕は、
今はテレビの世界でレギュラー。
人生は分からない。
母方のおじいちゃん、おばあちゃんも来てくれた。
AD時代、
消費者金融で借りた金で寿司をごちそうした、
あの祖父母だった。
おばあちゃんは認知症を患っていた。
人の顔や出来事を忘れてしまうことも多かったらしい。
でも、
その日のおばあちゃんは違った。
昔みたいによく笑っていた。
妻を見て、
「女優みたいだ」
と言っていた。
母は後から、
「あんなにしっかりしてるおばあちゃん、久しぶりに見た」
と言っていた。
結婚式のことも、
その後しばらく覚えていてくれたらしい。
結婚式で流すVTRを作るため、
実家から昔の写真をたくさん送ってもらった。
生まれたばかりの僕を風呂に入れるおばあちゃん。
海で弟や妹と遊ぶ僕。
少年野球でバッターボックスに立つ僕。
思春期で、全然笑わない僕。
いろんな僕がいた。
当時の僕は、
清原和博選手に憧れていた。
毎日野球ばかりしていた。
父は仕事が忙しかった。
でも土日になると、
少年野球のコーチとして来てくれた。
母はいつも早起きして、
お弁当を作ってくれた。
僕は野球が特別うまいわけではなかった。
むしろ、
三歳下の弟の方がすごかった。
上級生のチームでレギュラーだった。
正直、
少し羨ましかった。
でも、
少し自慢の弟でもあった。
写真を見ながら思った。
僕は、
思っていたより、
ずっと大切に育ててもらっていたんだなぁと。
父には何度も助けてもらった。
母には心配ばかりかけた。
祖父母にも、
たくさん可愛がってもらった。
もちろん反抗期もあった。
でも今振り返ると、
僕はかなり幸せな子どもだったと思う。
そして、
弟や妹にも感謝している。
弟も妹も今も地元にいる。
子どもを連れてよく、実家に顔を出している。
両親も、
孫に会えるのを本当に喜んでいる。
だから僕は、
東京で好きな仕事を続けられているのかもしれない。
家族には本当に感謝と敬意しかない。。。
そして僕は思った。
父は10人兄弟。
もし、
父の兄弟が10人いなかったら、
今の僕はいない。
おじいちゃん、おばあちゃんがいなかったら、
僕の存在もない。
もちろんテレビの仕事もしていない。
広末直子とも出会っていない。
もっと言えば、
何百年、
いや何千年も前から、
誰かの人生が繋がって、
今の僕がいる。
どこか一つでも途切れていたら、
僕はここにいない。
そう考えると、
人生って、
自分一人で進んできたようで、
本当は、
ずっと誰かの人生の続きなのかもしれない。
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#25 「テリーさんが笑い、夢は叶った。誰の人生にも物語がある」
理不尽なAD時代、無職、そしてディレクターへ。
このシリーズを書いた理由と、「誰の人生にも物語がある」と
思うようになった理由を書きました。
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『氷河期世代AD、テレビの片隅で。全話まとめ』
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