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余白ができたとき、私に電話が来た

詰め込んでいた頃の話

以前の私は、スケジュールを埋めることが仕事だと思っていた。

空白があると、サボっているような気がした。

予定と予定の間に隙間があれば、何か入れようとした。

会議、現場確認、見積もり、電話。

1日の終わりに「忙しかった」と感じることが、成果だと勘違いしていた。

それが心筋梗塞の前の私の、正直な姿だった。

倒れてから、強制的に余白が生まれた

入院中は、当然ながら何もできない。

電話も出られない。メールも返せない。

最初の数日間は、焦りしかなかった。

「会社は大丈夫か」「あの案件どうなった」「誰かやってくれているか」

頭の中だけ動いて、身体は動かない。

それが一週間、二週間と続いたとき、ようやく気づいた。

会社は、動いている。

私がいなくても、止まっていない。

その事実が、怖くもあり、救いでもあった。

退院後、意図的に余白を残した

回復してから、私は意識的にスケジュールを変えた。

午前中の2時間は、何も入れない。

週に一度、丸一日を「考える日」にする。

最初は落ち着かなかった。

手を動かさないことへの罪悪感があった。

でも、その余白の中で、少しずつ変化が起きた。

ぼんやりと考えていると、アイデアが浮かんだ。

「あの工程、もっとシンプルにできないか」

「社員が毎日やっているあの作業、自動化できるのでは」

そういう思考は、忙しいときには絶対に出てこなかった。

「暇そうにしてますね」と言われた

ある日、取引先の担当者から言われた。

「最近、余裕ありそうで羨ましいですね」

悪意はなかったと思う。でも、ちょっと刺さった。

昔の私なら「そんなことないです、バタバタしてます」と返していた。

でも、その日は違った言葉が出た。

「そうですよ、意図的に余白作ってるんです」

相手が「え?」という顔をした。

それで少し話した。倒れたこと、考え方が変わったこと。

その一週間後、その担当者から連絡が来た。

「うちの会社でも、AIを使った業務改善の話を社内でしたいんですが、少し相談してもいいですか」

それが、最初の「外からの仕事の相談」だった。

私が特別なことをしたわけではない。

余白の中で動いた結果が、外に漏れ出ていただけだった。

余白は「空き時間」じゃない

誤解されやすいから、はっきり書いておく。

余白は、ぼーっとすることではない。

スマホを見続けることでもない。

私の場合、余白の中でやっていることがある。

語源を調べる。AIと対話する。自社の仕組みを図にする。

ダンボール以外の事業の可能性を考える。

葬儀用の祭壇がダンボールで作れないか。ペットを送り出す棺は。

そういう思考は、締め切りや電話の間には生まれない。

静かで、誰にも急かされない時間の中でしか、育たない。

余白とは、次の仕事が生まれる土壌だと今は思っている。

詰め込んでいたとき、私は何を失っていたか

忙しい経営者は格好いい、という幻想があった。

予定がびっしりの手帳を見せることが、頑張っている証明だと思っていた。

でも今振り返ると、詰め込んでいた頃に失っていたものは多い。

社員の変化に気づけなかった。

市場の変化を読み取れなかった。

自分の身体の変化さえ、無視していた。

余白がなければ、情報は入ってきても処理できない。

余白がなければ、声をかけてもらっても、受け取れない。

詰め込みすぎた容器には、何も入らない。

それを身体で学ぶのに、私は心臓を止めかけた。

もう少し早く気づきたかったと、正直思う。

でも今、余白がある。

だから、新しい仕事が来ている。

順番はそういうことだと、今の私は理解している。


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