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弥生台駅、午後三時のコーヒー

相鉄線の弥生台駅に降り立つと、歩く速度が自然と落ちる。横浜市内にありながら、急行はこの駅を通過していく。そのせいか、駅全体が少しだけ肩の力を抜いているように見えた。
 改札を抜けると、こぢんまりとしたロータリーが広がっている。高い建物はなく、視界が開けていて、空が近い。私は特に目的地を決めないまま、その場で一度立ち止まった。

 午後三時。
 この時間帯に外を歩くことにも、だいぶ慣れてきた。以前は、昼間の街にいるだけで気持ちが落ち着かなかったが、最近は「今はそういう時期だ」と受け止められるようになっている。
 少し前まで、時間に追われる毎日を送っていた。今は、予定が少ない。その差に戸惑いがなかったわけではないが、今日はその余白を使って、駅のまわりをぶらぶら歩いてみようと思った。

 駅前の風景は、記憶の中のそれと微妙に違っていた。かつて相鉄ローゼンがあった場所には、今はクリニックが入っている。白を基調とした外観で、清潔感はあるが、買い物袋を提げた人の出入りはもうない。
 同じ場所でも、役割は変わる。街は、そうやって少しずつ更新されていくのだろう。

 昼間の弥生台を歩いているのは、主婦が多い。買い物袋を片手に、スマートフォンを見ながらゆっくり歩く人。特別な用事があるようには見えないが、どこか落ち着いている。
 その流れの中に、自分も混ざって歩いてみる。思っていたほど、違和感はなかった。

 駅前から少し離れたところに、昔からある喫茶店がある。存在は知っていたが、入るのは初めてだった。
 「いつか入ろう」と思いながら、その「いつか」がなかなか来ない店というのは、だいたい安心感のある佇まいをしている。今日は、その「いつか」を今日にしてみることにした。

 ドアを開けると、小さな鈴の音が鳴った。
 店内は静かで、クラシック音楽が小さく流れている。誰も会話をしていない。客は数人いるが、それぞれが自分の時間を過ごしているようだった。
 私は窓際の席に座り、ブレンドコーヒーを頼んだ。

 この店には、急かすものが何もない。
 壁に掛かった時計は時間を示しているが、それを主張してはいなかった。音楽も、空気の一部のように存在している。
 こういう場所が、街には必要なのだと思う。

 コーヒーは、派手さはないが、ちゃんと美味しかった。苦味が強すぎず、後味が軽い。
 一口飲んで、ふっと息が抜ける。
 忙しかった頃は、コーヒーを「飲む」というより「流し込む」ことが多かった。今は、味を確かめる時間がある。

 予定のない時間が続くと、自分が何者なのか分からなくなることがある。
 役割や肩書きがないと、存在まで薄くなるような気がして、少し怖くなる瞬間もあった。
 けれど、こうして街を歩き、コーヒーを飲み、ただ時間を過ごしていると、それだけでも一日はちゃんと形になるのだと分かる。

 窓の外を、さきほど見かけた主婦たちが通り過ぎていく。
 彼女たちは、私のことを特に気にしていない。
 それが、思っていた以上に心地よかった。

 店を出ると、個人経営の焼肉屋が目に入った。暖簾は出ているが、今は準備中らしい。夜になれば、きっと賑わうのだろう。
 今日は入らない。
 ただ、そこに変わらず店があることを確認できただけで、十分だった。

 駅へ戻る途中、通過する電車の音が聞こえた。
 乗らなくてもいい電車が、一定の速度で通り過ぎていく。
 急がなくていい日も、悪くない。

 弥生台駅のベンチに腰を下ろし、私はしばらく空を見上げた。
 次は、どの駅を歩こうか。
 そんなことを考えながら、ゆっくりと立ち上がった。

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