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【短編小説】『雨宿りは迷いの森のログハウスで。』#4黒のアゲハ蝶、黄色のヒマワリ。[前編]

その喫茶店は、海が有名な街にあった。 

しかし、海からは遠く、山側の森の中にひっそりと佇んでいた。 

この街と言えば、海、そしてサーフィンが有名なのに。 

店主は海が嫌いなのだろうか。

今は夏真っ盛りで、海岸の海の家では連日ビーチパーティーが行われているのに。



そう言う話なら私もそうか。

雨が振り出したのだ。台風も近づいているらしい。

こんな日は海の家に客は誰も来ない。

私は夏の間だけ、普段働いているクラブのオーナーから紹介された海の家でDJをやっていた。

海の家の店長から、今日はタイムテーブルを全てキャンセルするから、帰っていいと言われた。

来たばかりで帰っていいと言われても……、と独りごちたが、店長は聞こえないふりをした。

「店開ける気ねぇんだわ。俺もせっかくだから家帰って寝るわ」

あくびをしながら店の奥に引っ込んでいった。


仕方ない、あの場所に行くか。

そろそろ、行かなきゃいけないと思っていた所だ。逃げ続けるわけにはいかない。

私は、誰のものかわからない薄汚れたビニール傘をさして海岸から少しずつ坂を上った。


そして、振り返ると海が一望できるほどの場所まで来た。

雨が振っていなければ、青空と海が1つになって、それは素晴らしい景色なのだ。

日の出には街中の家の屋根が反射し、キラキラと輝く宝石箱のようになる。

夕焼けも、夜景も、私の心の中には全ての画像が残されている。


昨年までは、彼と2人で見ていた。

私はここの生まれではなかったが、父親が転勤族だったため、小学生の途中から住み始めた。

そして、偶然渋谷で出会った彼が生まれ育ったのもこの街なのだ。

彼と出会ったのも、こんな土砂降りの日だった…。


え?土砂降り?

急に雨が強くなったらしい。

ビニール傘をさしていても、大粒の雨がノースリーブから出た腕に当たり、少し痛いくらいだった。

昔の思い出に浸ろうと思っていたが、それどころではなくなった。 

本当は、まっすぐにあの場所に行きたかったけど…。

仕方なく、目の前の喫茶店で雨宿りをする事にした。


道路から、奥まった場所に佇むログハウスは、

鬱蒼とした雰囲気は一切なく、

木々の間にすっぽりと収まっていた。

背の高い木々が傘代わりになってくれているおかげで、不思議と目の前の道路から一歩踏み込んだだけで雨の音が一段階弱くなった。

入り口の脇には、手入れの行き届いたポーチュラカやペンタス、背筋が真っ直ぐに伸びたヒマワリといった夏の花たちが、雨に打たれながらも力強く色を放っている。

自分がお花を好きだったかどうかあまり知らないが、こういう花を綺麗だと愛でる心は残っているようだった。


木の色によく似合う真鍮のドアノブを掴んで中に入ろうと思ったその時、

手は空を掴んでいた。扉が内開きで開いたのだった。

自動ドア…?

少し混乱したが、そんな訳はなく、中から白髪の高齢女性が顔を出した。

驚いた顔をしている私をよそに、女性はニコリと微笑んだ。


「いらっしゃい。急な雨で大変だったわねぇ」

彼女はまるで、親戚や家族に言うような、ましてや初対面とは思えないほど、自然に話しかけてきた。

白地に赤や淡いピンクの花柄のワンピースを着ていた。一見派手そうなモチーフだが、全く派手ではなくむしろ上品だった。

身を後に引き、ごく自然な仕草で、私を奥のカウンター席へと案内した。

白髪を1つに束ね、落ち着いた赤い色の花柄のバレッタをつけていた。

耳元で深紅のルビーのイヤリングが揺れる。

背筋がスッキリと伸びていて、華奢な身体に細い足首。茶色の革のサンダルがとても似合っていた。
その後ろ姿からは、年齢を感じさせない瑞々しい生気が溢れていて、まるで少女がそこに立っているかのようだった。


店内は、外観通りのログハウスだった。

カウンター席とテーブル席があり、思ったよりも広く感じた。

天井も高く、吊下げられた小さなステンドグラスのランプシェードに淡いオレンジ色の照明が灯っていた。

空気感が重くも軽くもなく、明るすぎず暗くもなく、店内は絶妙な雰囲気だった。

「はい、これで拭いて。あと、これがメニューね。お冷やも置いておくわ」

店主はカウンター越しではなく、私の横に来て、花がらのタオルを私に手渡し、深緑の表紙のメニューと、青い琉球グラスに入ったお冷やを次々とカウンターテーブルに置いた。

「カラン」と「コロン」の間の音で、氷が涼しげに鳴った。

氷の音は厚手の琉球グラスに包まれ、天井や壁の木肌に吸い込まれるようにして、角の取れた柔らかな余韻だけを店内に響かせた。

外は激しい土砂降りのはずなのに、厚い木の壁と周囲の森が騒音を遮断しているのだろうか。
ログハウスの壁を叩く雨音は、ここでは驚くほど丸く、穏やかなリズムに聞こえた。


そうだった、あの日、彼と出会ったのも、夏の夜、渋谷のファストフード店の軒下で雨宿りをしていた時だった。


その日は行きつけのクラブに海外から有名なDJが来る日で、かなり前からチケットを買って楽しみにしていた。

センター街のファストフード店で腹ごしらえをしてから、化粧室でお化粧直しをバッチリし、上着を脱いでカバンに入れた。

黒のへそ出しのチューブトップに、黒の太めのカーゴパンツ。いつもだったら厚底のサンダルだが、クラブで踊りやすいように厚底の白いスニーカーを履いていた。

このスニーカーは、その年に渋谷へ初上陸したブランドの限定モデルで、発売日に数時間並んでようやく手に入れた、私にとっての『戦闘靴』のようなものだった。

髪の毛も、この日に合わせてピンクのエクステを20本、美容院で付けてもらってきた。

耳元で存在感を放つ大きな黒いアゲハのピアスは、私にとって特別な夜の象徴だ。
普段は派手すぎて持て余してしまうけれど、フロアに立つ時だけは、これが私を自由で無敵な「何か」に変えてくれる気がした。


気合は十分!いざ出陣!!

意気揚々とファストフード店を出ようとしたその時、

ザーーーーーーーーーーーーーーー

センター街はものすごいゲリラ豪雨に見舞われ、道路に跳ね返った水しぶきが、霧のように視界を白く染め上げていた。

「きゃーー」

あちこちで悲鳴を上げながら、頭を抑えて走る若い女の子達。

店の軒先から先が白い壁に覆われているようだった。


どうしよう…。

私は時計を確認した。

あと30分だ…。

ここから歩いても5分だが、5分間もこの雨に曝されるわけにはいかない…。

私は手のひらを店の外に出した。

手のひらに一瞬で水が溜まるほどの大雨だ。

どうしよう…。再び悩む。

あと25分だ。

着いてから、セキュリティチェックして…ロッカーに荷物預けて…トイレに行って…

頭の中でシュミュレーションをする。

あと5分でここを離れないと間に合わない。


「……の…」

激しい雨の音に紛れて声が聞こえた。

「あの!!」

耳元で大きな声がして驚いて振り返った。

店内も若者で賑わっている為、自分に向けられている声とは思わなかった。

振り返ると、そこには今時の若者…にしては少し落ち着いた知性的な感じの、私と同じくらいの年齢の男性がいた。

グレーのパーカーを着ていて、下は細身のパンツだった。

「雨!!酷いですね!!」

大声で怒鳴るように言う男性。

私は思わずクスッと笑った。



カランっ。

お冷の氷が鳴った。

そうだった。メニュー決めないと。

我に返った私に店主は言った。

「ふふ、その人、まるでお婆ちゃんに話すかのようね」

そう、私もそう思って思わず笑ってしまったのだ。


「お婆ちゃんじゃないんだから…笑」

と初対面なのに、なぜかツッコんでしまった私に、男性はニコニコしながら、

「だって、全然気付いてくれないから…」

と言った。

「君、今日のイベント行くんでしょ?」

急に変わった話に一瞬止まったが、すぐにクラブの話だとわかった。

「うん。そうなんだけど……」

チラリと外に目線をやった。 

外は依然として土砂降りだった。

「だよね。いつもあそこのクラブ行ってるでしょ?よく見かけるよ。」

うわぁ…ナンパだったか………。

私は1人でクラブに行くことが多いので、よくナンパされる。
ただ音楽を楽しみに行ってるだけなのに、ナンパされるとテンションが一気に冷めるんだよな…。

そう思いながら、

「……ぅ…うん……」

と苦虫を噛んだような返答をすると、

「あっごめん、ナンパっぽいよね?違うんだけど。いや、違くもないんだけど。オレも今日そのイベントのチケット持っててさ」

と、早口でまくし立てながらポケットから見覚えのあるチケットを出してきた。
チケットには、今日の日付とこれから行くクラブとイベント名が書かれていた。

それでこの人もここで足止めされてたのか。

私は顔を上げた。

「これじゃ、行けないよね……」

そう言った私に、

「うん……でももう行かなきゃじゃん?」

そう言って、男性は自分のジャケットを脱いだ。

中に白いTシャツを着ていた。

そのTシャツには私の好きなレコードのレーベルのロゴが入っていた。

そのレーベルのロゴは、レコードをひまわりの花に見立てたロゴで、普通ロゴ全体はダークブラウンだが、彼が着ているのはひまわり花びらの部分だけが黄色のレアなTシャツだった。

「それ…期間限定の……」

私が最後まで言葉を発する前に、バサッと自分の上から私の方までジャケットを被せた。

「走るよ!」

彼は突然私の腰に手を回し、片手で荷物のように脇に抱え、すごいスピードで走り出した。

「ちょ!待って!ぅぁああーー!!」

私の声は雨の音と街の喧騒にかき消されていった。

こんな時に、きゃーとかいう黄色い声が出ない自分が情けなかった。



「はい、お待たせしました。アイスコーヒーです。ガムシロップとミルクです。あと、これサービスよ」

店主は、またカウンターを回って私の横まで来ると、アイスコーヒーなどと一緒に、ガラスの器に入ったミックスナッツをくれた。

そう、これだ。昔から夏になると、冷たいコーヒーを啜りながらミックスナッツを摘むのが、私のささやかな習慣だった。

「……気が合いそう」

ふとそんな言葉が浮かんだが、すぐに

「いや、よくある組み合わせか」

と思い直して、心のシャッターを半分閉じた。

そして、運ばれてきたナッツの香ばしい匂いは、私の意識をあの夏の夜へと引き戻していった。


私と彼は、無事にクラブに入ることができ、フロア前のバーカウンターでお酒を購入していた。

彼はコロナビール。ビンの口にくし切りのライムが刺さっていた。

私はテキーラコーク。特に、ここのクラブのテキーラコークのテキーラとコーラの割合が好きだった。

私の分も、まとめて払おうとする彼を制し、
カウンター上にあったミックスナッツの小袋を2つ掴んで、バーテンダーに見せながらお金を払った。

「なんで?奢るのに」

バーカウンターを後にしながら、彼は私の顔をのぞき込んだ。

無言でお互いのビンとコップを合わせて乾杯すると、一口テキーラコークを飲んでから思い出したようにミックスナッツを彼に渡した。

「あのね、あんなにジャケットずぶ濡れにしてまでここまで私を『運んで』くれて、無事に間に合ったんだから、お礼くらいさせてよ」

『運んで』のところは少し嫌味を込めて強調した。

「へー。律義なんだね」

彼は瓶の口からビールの中にライムを押し込んで、ゴクゴクと美味しそうに飲んだ。 

フロアからは前座のDJが、定番の曲で盛り上げている音が聴こえてきた。

「やば、フロア盛り上がってきたよ。もう来るんじゃない?」

わたしは、彼のコロナビールを持っていない方の腕を掴んでフロアに急いで入った。

クラブには席があるわけではないから、混む前に行っておかないと、いい場所を取られてしまう。

フロアに飛び込むと、一瞬で脳まで爆音に包みこまれた。
暗い部屋に、ネオンの光。前で踊る人達が壁のように立ちはだかる。

「うわ!前に行けるの?これ」

彼がつぶやいた。

確かに私も初めて来たときは圧倒された。

前に行こうと思っても、満員電車のようにぎゅうぎゅうで前に進めなくてフロアの端で眺めていた。

前に行くにはコツがある。

音楽に合わせて、ノリながら人をかき分けつつ、踊りながら少しずつジリジリと、そして大胆に前に進む。

飲み物を持っているときはこぼさない様に。それが鉄則。

1メートルほど前に進んだ所で、後ろを振り向くと彼が来ていなかった。

数人挟んだ後の方でで、動けなくてこちらに手を伸ばしていた。

「しょうがないなー」

誰に聞こえるわけでもなく私は呟くと、伸ばした彼の手を取って少し戻った。

「私に合わせて着いてきて」

彼の耳のそばで言うと、彼の手を引っ張って、前へ前へと進んだ。


ポリ…

ミックスナッツが残り半分になった。

アイスコーヒーの残りも半分。

我ながらいいペースで楽しんでいる。

「ミックスナッツ、おかわりあるわよ」

店主の言葉に私は目を輝かせた。


イギリスから来たそのDJは、私の憧れのDJだった。

フロアの、最前線まで辿り着き、食い入る様に彼のプレイを眺め、彼の技に酔いしれた。

踊ったり、音楽に身を委ねたり、プレイに感動して立ちすくんだり、

音楽と自分が一体化する感覚を楽しんだ。

音の波に自分を溶かし、フロア全体の熱量を束ねていく。
シャーマンとはこういう気分なのだろうか。たまに、自分が何かとても神々しい儀式を執り行っているような、不思議な高揚感に包まれることがあった。

DJが入れるスクラッチに一瞬で意識が引き戻される。 


隣を見ると、彼もまた同じように音に没頭していた。

私は思わず笑顔になり、彼の耳元で叫んだ。 

「楽しいね!」 

彼は驚いたように目を見開いた後、私以上に眩しい笑顔を返してくれた。 

「お酒、おかわり買ってくるよ!」 

彼はそう言って、混雑するフロアを何度も往復しては、隣で音楽を楽しんでいた。

そして、最高潮の盛り上がりのままイベントは終了した。 

心地よい疲労感に包まれながら、私は一度化粧室へ向かった。


個室に入ると、外の洗面台の方から女の子たちの話し声が聞こえてきた。 

「ねえ、黒のアゲハの子見た?」 
「あー、あの必死に前の方で踊ってた子でしょ? 
ひとりで来てるのかと思ったら、男捕まえてお酒運ばせてさ。ウケるんだけど」 

私のことだ。

「あの子さあ、ここでたまにDJやってる子だよ。クロアゲハとか呼ばれてるみたいよ。DJの名前はなんだっけ?よくわかんない、下の名前?忘れたけど」

この声は、たまに私が1人でいると話しかけてくる女の子の声だ。

「あの子さあ、なんかスカしてるんだよね。いつもナンパされたら不機嫌になってさぁ。
私は音楽のためにクラブにきてるんですぅー、ぷぅーって」
『ぎゃははははははは!』

そう言って女の子2人の笑い声が重なる。

「てか何様っ?て感じ。さっきうちらナンパして来たヤツらいるじゃん、あいつらさあ、あの娘が今日珍しく男連れだったから諦めてうちらナンパしてきたんだよ」
「はあ?何それ。舐めてんのあいつら。」

「可愛いってだけで、人生イージーモードだよねー。噂だと、ここのオーナーか、ヤバいとこのパトロンが付いてるんじゃないかって話」
「まじで?やりそうだよねー」

「私達とは世界が違うってことー」
「そーそー、どーせうちらはブスでパンピーですよー」
『ぎゃはははははは………』

笑いながら扉を開けて出て行った。

個室の中で、私はしばらく動けなかった。せっかくの最高な気分が、一気に冷めていくのがわかった。

少し落ち込んで、そんなに酔ってもないのに、胃のあたりがムカムカして、そのままトイレで吐いてしまった。


トイレを出ると、彼が心配そうな顔で待っていた。

「大丈夫? 顔色悪いよ」

久しぶりに人の優しさがありがたいと思った。


カラッ

店主が、空になりかけていた私の器に、ミックスナッツのおかわりを足してくれた。

「そうなのよねー」

店主は私の話を聞いて、穏やかに相槌を打った。

「噂なんて、本当に勝手なものよね。

でもね、他人の言葉であなたの価値が決まるわけじゃないわ。

……あなたを見ていたらわかるもの。

そんな、誰かを踏み台にするような目をしていないことくらい」

店主はそう言って、私の手元に温かいおしぼりをそっと置いた。

「真実っていうのは、声の大きい人たちの間にあるんじゃなくて、こうして静かに座っているあなたの心の中にしかないのよ」

本当に、噂とは勝手なものだ。

そして、それを鵜呑みにする世界もまた、ひどく身勝手な場所だった。

しかし、彼だけは違った。


後半へ続く


こちらに全編まとめています。


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