「別にいい人じゃなくても、どんな性格してようとも、こっちの勝手じゃないか」という"性格の自由"を北村紗衣さんの本から学ぶ
■時代によって変わるヒロイン像
今回読んだ『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード』は、英文学研究者でフェミニスト批評家である北村紗衣さんの本です。様々な映画や文芸作品を、フェミニズムの視点から読み解いていきます。
この記事のタイトルである「別にいい性格じゃなくてもいいじゃないか。」という内容は、この本の中で1番最後に収録されている「ジェーン・オースティンのいけすかないヒロイン ~『エマ』の変貌」から得た教訓(?)です。
この章では、1815年ジェーン・オースティンが発表した『エマ』という作品の、1996年と2020年に発表された2つの実写版を比較しています。
この2つの実写版で大きく異なるのは、主人公であるエマのヒロイン像です。1996年版の方は、女性はかくあるべし、というステレオタイプを反映した感じの良いヒロインが描かれます。
一方、2020年版の方のエマは、原作に忠実で、気分屋で思慮が浅く、わがままでいけすかない女性として描かれます。
■「性格」の多様性
「多様性」が叫ばれている昨今ですが、人の「性格」に関して「多様性」を認めていこうという意識は、まだ少ないのではないでしょうか。
世の中には外交的、活発といった性格のほうが良しとされ、内向的なほうが評価が低い。女性だったら従順でおしとやかのほうがモテる、男性だったら明るくて活発なほうがリーダーに抜擢される。
そういった「性格」のある種の「格付け」に対して疑問を持つ人は、まだまだ世の中に少ないのではないかと思います。
実際会社でも人事評価で「積極的」「主体的」なほうが評価される、などの傾向があるでしょう。
しかし、そもそも性格や人間性に優劣をつけること自体おかしなことではないでしょうか。
■「性格」の自由と権利
人には、人それぞれが持った固有の性格というものがあります。一人の人間が、どんな人間でどんな性格であろうが、そもそもその人の自由ではないでしょうか。
そこに人からの好き嫌いという価値判断はあるかもしれませんが、別にどんな性格をしていようが、それは本人の自由です。その人がその人でいることの権利を止めることなど、誰にもできません。
自分の性格に関して、他人の評価など知ったこっちゃないのです。たとえいけすかない人間であっても、それがその人なので、仕方がない。自分の人間性を変えてまで、あるべき性格に合わせる必要はないのです。
そんなことを教えてくれる北村紗衣さんの本でした。他にも様々な興味深い視点を提供してくれていて、ご興味ある方は一読をオススメします。
