「天気の子」公開時+αの感情録~狂った世界で、どうかあなたが生きていますように。
本記事は、ちょうど1年前に公開された映画『天気の子』について、公開直後に執筆しアメブロに載せた感想の再掲+加筆です。
がっつりネタバレが入っていますのでご注意を。
鑑賞前:僕にとっての、新海さんへの奇妙な距離感
最新作の前に、さくっと僕の新海誠歴について。
実は『ほしのこえ』のときに、噂を聞いて劇場に駆け付け、その才能に震撼したうちの一人で……
嘘です。当時お名前すら知らない小学生です。
『言の葉の庭』の公開当時(2013くらい)に、主演の花澤香菜さん(今回、子供役で出てて超歓喜しました)のラジオに新海さんが出てらして。
そこでお名前を知って、レンタルが出回る頃に「そういえば香菜さんが面白そうなアニメ映画に」と思い出して。
超鮮烈な、圧倒的な感動で打ちのめされました『言の葉の庭』。
街の、光の、雨の、狂気にすら覚えるほどの描き込みによる驚異的な美しさ。社会から逸脱しかけたふたりの、小さな、しかし等身大の物語が全身に訴えかける熱量。
描かれているのが、場所こそ違えど「現代日本の日常的な一風景」だというのも、「自分が暮らす街は美しい」という感覚を大いに惹起されて嬉しかったんですね。今でも雨の日をプラスに感じるファクターですし、僕の浅く短い映画体験の中でもベスト級です。
そ・し・て、『秒速5センチメートル』
新海さん、僕の鬱屈を知ってるんですか?
そう問い詰めたくなるほど、心に深く刺さった、「自分のためと思えるような」一作で、ここで完全に新海ワールドに落ちました。
遠い季節のあの一瞬、どんな時よりも幸せに思えた日の熱情と、そこから生まれた幻想を、何年経っても更新できない。
今そばにいる人に向き合えないまま孤独に彷徨う、その街はとてもとても、美しい。
その苦さが、高校時代の恋人との思い出を引きずり続けて、別れてもなお抜け出せずにいる当時の僕(今ですか? 聞くな)には、バフ大盛でクリティカルに弱点直撃で。
鬱エンドとか言われがちですけど、僕にとっては「引きずって、彷徨ってきたあなたは孤独じゃない」「そんなあなたのいる景色は美しい」と、救われたように思えてならない一作だったんですね。
アニメ作りの技術に驚嘆しつつも、どこか親近感を覚えだしたのもこの頃。加えて、新海さんが長野県出身ということも親近感につながっていました。地元の新聞社のCMも作っていますし、たびたび作中に反映されていますし(その割に「長野県がモロに舞台」作は見当たらない印象)
そんなこんなで、「おらが県の分かりてクリエイター」として意識しはじめて。他の劇場作も楽しんでいた頃に、『君の名は。』の公開が報知されて、「今回は規模がデカいな?」とうきうきしながら待っていて。
その後の躍進は説明不要ですし、僕も『君の名は。』は大いに楽しんだんですけど、同時に「遠くに行っちゃったな……」感はあって。
けど、これまで特に好きだった秒速や言の葉で描かれていた「美しい街」が、RADサウンドと圧倒的物量によって、ポップに傾きつつもフェティッシュ増し増しで描かれていたことには大興奮でした。
そして今作公開の日取りが決まってからは、どんな方向から攻められても結局は楽しいんだろうなという激チョロ気分で心待ちにしていました。
公開直前:新海さんが起こそうとする「賛否の嵐」の軸とは
※この辺からネタバレが入ります
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO46648000X20C19A6000000/
↑nikkei styleさんでの新海さんインタビュー。
公開が近づいてから、「賛否が分かれるものを作りたい」という新海さんの言葉を目にすることが多くなって、この辺で「無難ライン狙ってないな、いいよいいよ」とテンションが上がってきます。
その発言と予告、後は過去作……特に『雲の向こう、約束の場所』を踏まえながら。個人vs全体、私vs公みたいな軸で、ひとりの命vs全体の利益……という展開に持っていくのかなと考えていました。
ヒロインの陽菜ちゃんが「天気を操る」異能の持ち主なので、それを管理下に置こうとする公的機関から帆高くん(主人公)たちが逃げ回るとか。それか能力の代償(陽菜ちゃんが蝕まれる)を持ってきて、「晴れ女を続けてほしい世間」に背を向けるとか。
加えて新海さんはラストに「別れ」を持ってくるのが好きな人だと思っていたので、陽菜と引き裂かれながらも、これまで通りの世界を帆高くんが「生きていくんだ!」する結末では、という予想も。
ただこういう展開にしても、なんだかんだで主人公サイドに共感するような、僕らは帆高くんたちサイドにいられるような流れしか思い浮かばなかったので、そこをどんな手で揺さぶってくるのが楽しみでした。
答え合わせをすると、対立軸はそこまで的外れではなかったと思います。
ただ、「公」「全」側の不利益が予想以上だったし、「公」「全」と「僕ら」の近さが予想以上でした。
(以降、ガッツリと作中に触れます)
鑑賞後感想
描き抜いた「みんなの暮らす美しい東京」を巻き込んだ選択
帆高くんの心理とサイドキャラの分厚さとか、過去の新海作品とのリンクとか、語りたいことは雨のように止まないんですが、ちょっと処理しきれないので。今回は主にラストに絞ります。
帆高くんの選択によって「水没した東京」には、かなりの衝撃を覚えました。
主人公サイドの都合で街が破壊されるって展開なら、そんなに珍しくはないと思うんですよ。
新海さんだって、『雲の向こう~』で北海道に大穴を空けてましたし。
じゃあなんで、ラストの東京水没に強めのショックを受けたかというと、それは「僕らと近い境遇の人々の暮らす東京」「雨の日も晴れの日も違った美しさを見せる、人工物の集積地である東京」を、ぶっ通しで圧倒的な映像で脳に刻まれてきたからだと思うんですよ。
言の葉の雨描写で虜になった人間としては。雨に煙る新宿、路面で跳ねる雨、窓ガラスや傘を伝う水滴……という新海rainのフルコースに序盤から絶頂してたんですが。なんとなく人々の顔も暗いし、苛立ってる人も多い気がするし、ちょい憂鬱なムードだな……という感覚だったんですが、それも「雨が降り続いている所為」なら仕方ないよなって。
それが、陽菜の晴れ女パワーの発動で、一気に塗り替えられる。
新海さんは「光の美術」が武器の一つでもある(美術監督の滝口さんや撮影監督の津田さんの寄与も大きい)と思うんですけど、それが十二分に発揮されていて。
影の多かった街並みが一気に明るくなって、ガラスはそれを反射してキラキラして。
帆高くんのモノローグで、「街が模様替えするような」みたいなのがあったと思うんですが、ほんとに街全体が「どう? 素敵でしょう?」とウキウキしているようなシーンで。
そしてお天気ビジネスが本格化すると、青空の下での笑顔の輝きが鮮やかで。
新海さんの作風のきっかけには、「美しい景色が自分を勇気づけてくれていた」という感情があったと記憶しているんですが。その美しさをとうとう自分たちで制御するキャラが出てきた、というのも熱かったです。
極め付きは、神宮での花火大会。打ち上げ花火、上から見よう! のシーン。ほんとに美しくて、ここで一回涙腺が壊れました。陽菜ちゃんの帆高くんへのお礼にもときめきますし……まあ、後から考えると切ないんですけど。
この変化と並行して、現実に存在するコンテンツが常に画面に登場しているってのが、また楽しくて。「ここはあなたのよく知っている日本ですよ」というアプローチが効いていると僕には思えました、スタッフさんの各社との調整に敬礼……まあ作品外でのコラボも充実しすぎていますし。「新海誠ヌードル」「カップヌードルを食べているのだ」とかできてしまった度量の広さ。
後、「君の名は。」の高校生ズがいるんですよね、瀧くんに至っては割とシナリオに入ってきてますし。良かったね神木くん。
(ちなみに小説版を見ると、たきみつの結婚が示唆されていました。映画でも探せばあったかな?)
そして彼らの逃避行と共に、未曽有の大雨が東京を襲います。
「君の名は。」では彗星による突然の破壊でしたけど、今回のこの「徐々にヤバさが上がっていく」感覚も、この災害列島では肌にしみついていると思うんですよ。
逃げ込んだホテルでの、若いノリと甘酸っぱさ全開の大騒ぎ(源さんとAKBという最大公約数チョイス)からの「陽菜さんを、見ている」を経て、夜が明けると陽菜は消え、空は一面の晴れ模様。
(ちなみにこのシーンを新海さんは「その先の人生を長い間温めてくれるような特別な一瞬」(パンフレットより)として表現したかったみたいで。秒速の桜花抄ラストを思い出してました、あそこのロマンチック強度こそが秒速の核だと思います)
ここで「陽菜が消えた……」と悲しむ映画観客としての自分の裏で、そこにいた東京都民に置き換えて「けど豪雨災害は心配いらなくなったな?」と安心している自分がいました。この安心感は帆高くんになじられていますね。
勿論、作中に自分を投影しない、完全にフィクションとして楽しむ人だっているとは思うんですけど、僕は多かれ少なかれ「自分がその場にいたら」を考える人で、今回は特にそれを強く感じてました。その理由は前から書いていた通りで。
だからその後の帆高くんの行動を追いながらも、「そうだ、陽菜さんに会いに行け!」「けどまた東京がヤバくなるのん……」というせめぎ合いはあって。
けどさらに進んで、須賀さんとセンパイの協力を得て「彼岸」に飛び、陽菜と再会するシーンで、モロに帆高くん側に気持ちが振れたんですよ。それはここまで重ねられてきた、可愛くて(ほんと可愛い)格好よくて眩しい陽菜ちゃんへの気持ちが『グランドエスケープ』の高揚感(踊りたくてしょうがなかった)によって何倍にも増幅されたから、だと思うんですが。
めでたく現実に復帰し、再び東京を雨が覆います。
ここでは「まあ雨って不便だけどさ、これまでもなんとかやってたし、どうにかなるっしょ」と、代償を軽めに見積もっていたんですね。
そして。
「雨はそれから三年間止むことなく、今も振り続けている」
水没し様変わりした東京を見て、初めて予告の
「世界の形を、決定的に変えてしまった」
の意味が分かったんですね。
動揺を覚えつつも、立花のおばあちゃんや須賀さんの
「元に戻っただけだわ」「世界なんてさ――どうせ元々狂ってんだから」
という言葉、そして水没した東京でもなんやかんやで順応して(水上バスというロマン)日常を賑やかに送っている市井の人々がフォローとなり。
そして再会した陽菜への、
「どんなに世界が変わっても、僕たちは生きていく」「僕たちは、大丈夫だ」
という言葉を以って、肯定的に、前向きに幕を閉じます。
大事なのは街じゃない、「そこにあなたが生きている」こと
フォローこそありましたけど。東京が水没するってことは、数百万人の生活地域が、職と家が消失するってことですし、その影響は日本中……世界中? に波及するでしょうし、「なんやかんやで順応したからええやん」で済む話ではないと思うんですね。
加えて、もし避難が遅れたら死者も出ていたかもしれないですし……(明言されていなければ、適切に避難して死者は出なかったということにしたいですが)
そこまで考えたときに。まず自分が帆高だったとしたら、日本中の生活を崩してまで好きな人を救う覚悟があるかと言われれば、否を選びそうです。僕はそこまで、自分たち個人を大きく認められないし、相手にその覚悟を負わせるのも、正直怖い。それが臆病だと詰られたら、臆病なんだよと返すしかないのが、自己嫌悪ポイントではあるんですが。
けど一方で、帆高の選択を非難したいとも思えない……というより、第三者から陽菜に「迷惑だから生きるのを諦めてくれ」と言いたいとは思えないんですよね。
その意味で、「代償を非当事者に投げた」だけでなく、「マイノリティの生存権の究極系」と言えないこともないと思います。
迷惑かけたっていい、あなたは、生きていていい。そんなメッセージ。
しかしですよ。「美しい東京」を描いてきた新海さんが、その形を不可逆に変えてしまう選択をさせたというのは、僕にとってはなかなかにショッキングな話でした。映画じゃないですけど、大成建設のアニメCMとかも好きでしたし、自然だけでなく人の造った「街」が好きな方だとは思ってたので。
「雲の向こう」で大穴の空いた北海道の一帯は街というより荒野でしたし、そもそも世界観が現代日本とは違っていましたし。
「君の名は。」で隕石の落ちた糸守は、破壊を回避不能とした上で「人は助けよう」という話でした。
その意味で、命と引き換えとはいえ、「みんなの暮らす美しい東京」を変容させる選択をさせたのは、ある意味で新海さん自身のキャリアに喧嘩を売るようにも取れたんですよね。
(新海さんご本人によると「東京が様変わりする前に、作品の中で様変わりした東京を見せたい」とのことですが)
しかし、ですよ。
もし帆高が逆の選択をして。陽菜のいない、これまで通りの晴れた東京を目にして、どう思うか。
美しいはずないんです。心が晴れるはずないんです。だってそこに、陽菜がいないから。
思い返せば。
「秒速」は「会えなくなってしまったけど、街は美しい」を描いているようで、
「会えなくなってしまったけど、君がこの地上のどこかにいると思えば、街は美しい」を描いていたとも取れますし。
「言の葉」も、「あの謎めいた女性に続いているから、この景色は美しく見える」と描いていたとも取れます。
「君の名は。」も、瀧や三葉の周りには、いつも大切な誰かがいた。
今作だって、「晴れ」があんなに眩しく感じられたのは、その空の下で晴れを喜ぶ人がいたからでした。
新海さんの描いていた現代の東京は、空っぽであったことはなくて、いつも誰かへの想いを包んでいたと思います。
『仮面ライダーW』の主題歌で、「そこに人がいなくちゃ、街は空虚な箱さ」と歌われていましたが、まさにそんな。
街の美しさというのは、そこで暮らす大切な誰かと不可分で。
だから帆高にとって、陽菜のいない東京に意味はなくて。
決定的に形が変わったとしても、陽菜と共に生きていける東京じゃなきゃダメだったのでしょう。
振り止まない雨を、共に乗り越えていける大切な何か=「愛にできること」
本作のサブタイトル「Weathering With You」
weatherには「乗り越える」という意味もあるので、「天気は君と共に」だけでなく「君と共に乗り越える」という意味合いもあるそうです。
新海さんは、本作の出発には「この世界自体が狂ってきたという気分」があったと仰ってまして。
主題歌の「愛にできることはまだあるかい」の歌詞をじっくりと聴いてみると。
この作品に込められたのは、雨が街を覆いつくすような調和の狂った社会でも、大切な何かがあれば乗り越えていける……いや、「大切な何かと乗り越えていこう」ということで。そんな愛しい何かがある尊さであって。
そんな風に、「愛にできることはまだあるよ」と雲間から光を投げかけるような。
ある意味で、キャリアの中でも最も前向きにエネルギッシュに、「人間の強さ」をプッシュする作品でもあったと思います。
こういう、「一周回ることでよりメッセージの強度が増す」というのは、fhánaの『What a Wonderful World Line』でも感じたことだったりします。いずれは僕もそういう話を書きたい。
終わりに:やっぱり新海さんが好きでした
こんな風に、自分の中で感情の紆余曲折を得ながら、肯定的なメッセージを掘り当てる過程は大好きなんですが。
それを抜きにしても、劇場アニメとしてのエンタメ強度は超一級でした。それはそれは、とても面白くて幸福な時間でした。
言の葉で感じた「これ以上、風景描写で好きになれる映像はないわ」を、新海さん自身によって塗り替えられる贅沢。
持ち味のばっちり活きた台詞とRAD音楽とのシンクロによって、視覚と聴覚の全方位を掴まれる感覚のドライブ感。
若い突っ走り感が痛いけど眩しい帆高くん。魅力1000%ヒロインの陽菜ちゃん。イケメンショタ先輩とロリ(花澤香菜)とロリ(佐倉綾音)の三角関係。
変わり続けながらも、変わった先で心に刺さって離れない何かを放ってくれる新海さんは、やっぱり追いかけていて良かったと思える人でした。
今回もありがとうございました。大変な制作だったと思うので、どうかお身体にお気をつけて。
また新作を拝見できると、心から嬉しいです。
それから、一年
という体験を経て一年後。
まさか、こんなにも世界の形が変わってしまうとは、誰も考えていなかったでしょう。
ちょうど一年前が『天気の子』の公開日でした。全てのスタッフ、映画館に来ていただけた方、その後に円盤や配信でご覧いただいた方にあらためて心より感謝です!スタッフ・キャストと一緒にプロモーションに駆け回れていた去年が、今では別の世界のようです。皆に穏やかな日々が、早く戻りますように。 pic.twitter.com/Z4qqloaKgi
— 新海誠 (@shinkaimakoto) July 18, 2020
経済的にも身体的にも追い詰められている人が、日本のあちこちにいることと思います。世界が狂ってきたという形容がこれほど似合う時勢も人生で初めてです。
とはいえ。
僕自身がそれほど追い込まれているかというと否でした。幸運にも親の収入には影響が少ないですし、制限はありつつも大学も再開しています。推しているクリエイターの皆さんも、今できる形でエンタメを届けてくれていますし。在宅が続いた期間に、積んでいたアニメを一気に味わったりもしていましたし。直接は会えなくても、友人各位とはオンラインでのやり取りが続いています。
世界が狂っても。あなたがいれば大丈夫。そんな感情を改めて抱いて。
だから、あなたに生きていてほしかった。その切実さが、改めて刺さる。
一年前。信じられないまま、信じたくないまま、それでも「いま届けてくれるものを受け取ろう」と自分に言い聞かせて、劇場に足を運んで。
アニメーションが好きだ、生きていく勇気をくれるアニメが好きだという感情に包まれて。
そして昨日。一年ずっと考えていたアンサーを記事にした矢先、あまりにも苦しい報せに目を疑って。
二重の「どうして」に苛まれながら。今日も好きな作品の話をしています。好きな人たちの話をしています。
どんなに狂った世界でも。あなたがいるなら、どこかで笑っているなら頑張れる。何かを届けてくれるのなら、もっと心強い。そう思える人が大勢います。そんな人たちの強さが際立つ最近でもありました。
だからどうか、生きていてほしい。そんな願いが湧き上がって止まない今日でした。
