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Cure

ふったらどしゃぶり

朝のエレベーターで、営業の萩原と一緒になった。
「おはようございます」
「おはよう。……萩原はきょうも男前だなあ」
「え、何ですか急に」
「萩原に会うと、何ていうかこう……茶柱を見つけたような気分になるんだよな……得した感じっていうかさ……」
「そんな縁起いい感じします? ありがとうございます」
エレベーターが営業部のあるフロアに到着すると、萩原は「お先に失礼します」と笑顔で降りていき、再び扉が閉まると、後ろに乗っていた部下が釘を刺してきた。
「駄目ですよ、このご時世にああいうのは。何をしみじみと意味わかんないこと言ってんですか」
「褒めただけなのに?」
「褒め言葉でも。仕事に顔面は関係ありませんから」
「あるだろ、営業なんだから」
「そういうことも言っちゃいけないんです。萩原くんがコンプラ室に相談したら聴取されちゃいますよ?」
「萩原はそんなことしないって信じてるから……」
「だからそういうとこですよ」

社内の電気工事に関して、メールではまどろっこしい確認事項が出てきたので、直接総務に出向いた。
「ここの配線なんだけど」
「業者の方からいただいていた図面とずれがありますね」
半井と書類を挟んで擦り合わせている最中、あまりに淡々とした表情と口調に、つい軽口を叩いてしまった。
「半井はいつもクールだなあ、恋人といる時もそんな感じなのか?」
さっきの萩原とあまりに対照的だったせいかもしれない。半井は重要箇所にアンダーラインを引いていた手を止め、顔を上げる。目が合った瞬間、電気が走ったように記憶が迸った。
あ、俺は、何年か前にもまったく同じ質問をしたんだった。あの時、半井は瞬時に怒りでも侮蔑でもなく「無」としか言いようのない真っ黒な目をして、黙殺した。何も聞こえなかったようにリース契約書の内容変更について説明を続けた。ものすごく後悔した。

――ああ、半井ですか。彼は訳ありだから。
のちに、人事の担当者からそう聞いた。
――内々定出した後で、ご両親が事故に遭って……それでだいぶ参っちゃったみたいで、配属の時点で要配慮っていうか、内勤業務でなるべくストレスかからない仕事を、って。まあ、いざ入ってきたら普通に働いてますけど。
軽率さを反省した。本人にしかわからない傷口を無神経に擦ってしまったのかもしれない。でも、こうも思った。
半井、そんなんじゃ寂しいだろう。
自分から、もっと寂しくなろうとしてやしないか。
――仕事以外での不用意なコミュニケーションは避けたほうが無難ですよ。
――いや、でもそんな、腫れ物に触るみたいなさ。
――腫れ物ですよ。うかつな言動でメンタルにとどめ刺しちゃって、会社に壊されたとか訴えられたらどうすんですか。いま、いろいろうるさいんだから。
イマジネーションは無限、なんていうのは大嘘で、想像力もやさしさも有限だと思う。自分を中心に広がるその輪は、体調とか気分によって絶えず拡縮を繰り返している。中天の下の影くらい縮こまって余裕をなくす時もあれば、波紋のように外へ外へと向かい、他者の円と響き合い、さらに遠くまで届く瞬間もある。
たぶん、萩原を見てほっとするのは、広くてきれいな円を安定して描いているように思えるからだ。

――そんなことを、いま思い出したって遅いわけで。またあの、世界を映すことを拒絶したような目で刺されるのを覚悟した。
でも、半井は、ふ、とかすかに笑った。瞳から光は失せなかった。
「……相手のあることですから」
確かにそう言った。そしてこちらの反応を待たず「確認事項は以上ですね」と書類を押し戻してくる。「要点を整理して一時間以内にメールします」
「……ああ、よろしく」
「それと、三度目はないので。次は必ずコンプライアンス室に報告します」
「はい」

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