悲しみよこんにちは
ふったらどしゃぶり、かおり
……何だったっけ、あの、虫のね、お腹を開いたら胸のあたりまで卵が詰まってて、命っていうのはそのくらい大変で儚くて、みたいな、そういう詩、学校で習わなかった?
あなたがあの人とやり取りしてたメールの中に「話し合う」って言葉を見つけた時、なぜかその卵のことを思い出したの。わたしの、あなたの中にぱんぱんに詰まってしまってお互いを息苦しくさせてたもの。お腹を裂き合って、それを見せ合ってたらよかったのかな?って。
メールの中にあった電話番号にかけようと思った。かかってきたら出ようと思った。でもかけられなかったし、かかってもこなかった。メールを新しい順から、古い順から、何度も何度も読み返して、メールとメールの間に流れていた時間にあなたは何を考えてたんだろうって、考えた。言葉にしたことの外側には何があったんだろう。
あなたの紹介で、あの人がお店に来た時のことを覚えてる。かかとがやわらかくてなめらかで、あなたと違って外を歩き回らないんだなあって思った。あの時、もう何かが始まってたんじゃないの?って後から疑った。ストームグラスってよく考えれば不穏なアイテムじゃない?とか、カードにあった『萩原くんにも宜しく』ってどういう意味?とか。わたしが何も知らないのをいいことに、あなたにもあの人にも、特別な意図があったんじゃないかって疑心暗鬼に陥って、でも、本当に何も知らないわけじゃなかった。
あなたが、人の感情をおもちゃにするような、そんな人じゃないのを、すごくすごく知ってる。だから、あなたがこんなにも心を許したあの人も、絶対にそんな人じゃない。
そう認めることは、疑うよりもっと苦しくて、身体じゅうがいろんな感情でぱんぱんになって泣きたいのに涙が出なくて、叫びたいのに声が出なくて、息ができないほど枕に顔を押し付けてうめいた。わたしがあなたにずっと飲み込ませてきたものと同じかもしれないね。あの人は、わたしが知ってるあなたのいいところも、わたしが知らないあなたのいいところも、たくさん見たのかな。電話で訊いたら教えてくれたのかな?
あなたと、話して。お腹の中のものをぜんぶ晒していたら、うまくいったのかもしれない。でもうまくいかなかったらどうなるの?
あなたがいて、朝おはようと言うこと。一緒にごはんを食べること。玄関先に並んでいる靴を見ること。同じ鍵を持つこと。家の外で起きた楽しいことやいやなことを、帰ってあなたに話さなきゃって思うこと。街で見かけたおいしそうなお菓子を、あなたのぶんも買って帰ろうと思うこと。家に帰ったらあなたがいること。あなたが帰ってくる家にいること。あなたとの、大好きなあなたとの。
そういうのの全部と引き換えにしなきゃいけないかもしれないって思ったら、怖くて無理だった。あなたが日々傷ついてすり減っていくことを知りながら、壊れるまで手放せなかったの。
ごめんね。
ごめんなさい。
もう、何もかもが遠くて遅くて、駄目だね。
あなたの寝息も寝返りも聞こえない部屋は、とても静かです。あんなに夜が怖かったのに、今はそんな自分がわからないでいる。夜が怖くて、だから昼間のあなたをどうしても近くにつなぎとめておきたくて悩ませて、また夜が来て。それを、何度も何度も繰り返して。
気がついたらもう、引き返せないところにいて。
……思っていることを文章にしてみたらすこしはすっきりできるかなあって、やってみたけど、全然です。喉元まできている何かのせいでずっと苦しい。
いつか、苦しくなくなって、あの頃は苦しかったなあって振り返る時がきたら、わたし、もう一回思うんだろうね。
本当に、本当に大好きだったって。
このメールは、送らない。誰にも見せずに保存しておきます。消してもいいやって思える日まで。来年か十年後かもっと先か、わかんないけど。確かなのは、あなたが隣にいないってことだけ。
だから、いないから、もう届かないんだけど、幸せでいてください。
