Midwinter
※『ふったらどしゃぶり』一顕と整
春は膨張する。夏は高く昇り、秋は色を濃くし、冬は、透明に消えていく。寒ければ寒いだけ。空気が研がれたようになめらかにつめたくてよそよそしい、底冷えの夜を歩くのが整は嫌いじゃなかった。温かな場所が約束されているからかもしれない。
信号待ちの時、ふと左手人差し指の逆剥けに気づいた。指先でうまくむしれるか血が滲むか、経験則として半々くらい。今はだいぶ手がかじかんでいるから失敗するかも。まあいいか、気になるし。
うすくめくれた皮膚を摘もうと伸ばした右手を、隣からつかまれた。
「こら」
とたしなめた一顕は、一瞬ののちに「つめた!」と手を離した。
「ぶん投げたな」
「そこまでしてないすよ。想像の三倍くらい冷え切っててびっくりしたから――」
すこし間があって「――氷みたい」と続いた。「死人みたい」と言いかけてやめたのがわかった。
「どっか入ります?」
「ううん。いま、いい感じになってきてるから」
「いい感じって?」
「どん底まで冷えて感覚なくなったら、今度は血が通ってきてじわっとあったかくなってくるじゃん。あの感じ、けっこう好き」
自分のものじゃないように可動性のひくい両手を見下ろしながら横断歩道を渡る。勝手に生きたがる身体が煩わしくてたまらない時期もあったけれど、今はありがたいと思う。
「頑張ってんな、みたいな」
「そこに到達するまで耐えられないんですけど」
「俺、鈍感だからさ」
違うよ、と一顕はつぶやいた。
「我慢強い」
全然、と思った。その逆の心当たりならたくさんあるけれど。そう言おうとしたら、「無駄に」とつけ足される。何だと?
「無駄かどうかなんて、我慢してる時にはわかんないだろ」
いいことも悪いことも、幸も不幸も、納得も後悔も、正しさも誤りも、手が届かなくなって初めて噛み締めることができる。そしてその理解が未来永劫揺るがないわけでもない。通り過ぎて流れた時間を、刻々と生み出される過去がまた追いかけていって、振り返った時の眺めをどんどん変えていく。定まらない。生きるって、要はそういうことだ。
「そう」
一顕があっさり頷き、立ち止まる。マフラーをゆるめる。整の凍えた両手をしっかりと握る。
「だから、その時は俺が教える」
こうやって、と首元に整の手のひらをぴったり押しつけた。あたたかい。
「萩原、つめたいだろ」
「うん」
「鳥肌立ってる」
「うん」
「それは、無駄な我慢じゃなくて?」
「やせ我慢」
「どう違うんだよ」
「教えない」
笑顔の頭上で月光が雲を照らす。皮膚越しの血管に触れた指先で一顕の鼓動をかぞえる。何拍で同じ体温になるだろう。
冬が寒いこと。夜が静かなこと。月光が澄んでいること。一顕が、やせ我慢をしてくれること。ふたりなこと。ふたりでいること。ふたりであたたかな場所を目指すこと。この瞬間さえ、どんどん手の届かないところへ過ぎ去ってしまうこと。
好きな気持ちを我慢しなくていいこと。
なんかもう消えちゃってもいいな、と思った。このまま、いま。でも言葉にすれば、きっと一顕は「こら」と言ってくれるだろう。整が大好きな、一顕だけの言い方で。
