藍から白む④ 創作大賞2024応募作品

サラ episode2

19時半にアイミのマンションを出て、リマ姉と歩き出した。

昼間の暑さが引き、空は今日最後の明るさを保っている。

この時間なんていつもは出勤前だし、休みの日なんかはまだベッドにいる。
いつぶりかわからないくらいに昼間に活動した。
昼に起きた時は正直、眠くて眠くて行くのを迷ってしまったけれど、来てよかった。
1日を無駄にせず楽しんだ充実感と酔いで、気分が高揚していた。

やっと酒のアップが済んだところだった。
絶対にこの酔いから醒めたくない。
この気持ち良さから抜け出したくない。

アイミはこれから推しの配信があるらしく、
「絶対絶対外せないの!これを楽しみに今週生きてきたの!!また今度飲も〜♡」
と、溶けてしまいそうな笑顔で言い、解散になった。

見慣れない道。
あたしもリマ姉も、何処に向かっているのかわかっていない。
ただなんとなく、吸い寄せられるように、ネオンが光る方に歩いていく。
街灯に群がる蛾を見て、自分のようだと思う。
鳥肌が立った腕をさすりながら、下を向き舌打ちをした。

「リマ姉帰る?」
「微妙な時間だよねー。もう一件どっか行く?」
「行く行く!まだ飲みたい!適当にそこらへんの店入る?」
「いいねー!開拓しよっか。知らない街楽しい〜」

メインの飲食店通りから一本中に入ったところに、こじんまりとしたダイニングバーを見つけた。

黒のウッド調の外観。
外から見える店内には、暖色の小さなライトが規則的に垂れ下がっている。
カウンターメインで、テーブルは2席?くらいだろうか。

「良さげじゃない?イタリアンかな?」
2人で中腰になり、外看板を覗き込む。
「リマ姉、これ、飲み放あるって!」
「良いじゃん!入ろ入ろ」

平日のこの時間だからか、店は空いていた。
カウンターに常連らしい男性が一人。
店長らしき男性は30代半ばくらいだろうか。
濃い目の顔にヒゲ、パーマがかかった黒髪のミディアムヘア。
ジェルで出しているであろうその艶感に、少しだけ嫌悪感を覚える。
絵に描いたような【隠れ家風ダイニングバーの店長】の風貌に、右の口角だけをわずかに上げて笑った。

「飲み放題で、赤ワインください。フードも注文しちゃって良いですか?じゃあ、チーズの盛り合わせ、と、自家製ウィンナーとー………、ピクルスも。あとチェイサーください。サラは?飲み物どうする?」

この類のお店は、格好付けたよくわからないお酒ばかりだ。
1つも理解できないカタカナを睨んでいると、向かいの席からリマ姉がメニューを覗き込んできた。

「んーーー………何か飲んだことないやつとか挑戦したいんだけど、全部わからん」
「何系のお酒が好きですか?辛いのとか、甘めが良いとかあります?」

店長は急かすようでもなく、柔らかい口調で微笑んだ。

「なんでも好きなんですけどー……、あんま甘いのは好きじゃないっす。あ、さっき頼んだフードならどんなお酒合いますかね?」
「んー……、そーれーなーらー…、ジンか、辛口の白とかー。あ、ビール好きですか?これ、最近お店に入れたやつなんだけど、海外のやつで。味しっかりしてて、でも軽くて飲みやすいんです!おすすめ」

じゃあそれで、と店長がおすすめするビールを頼む。

「もしお口に合わなかったら遠慮無くおっしゃってください。すぐ違うものご用意するので」

爽やかな笑顔にペコっと頭を下げると、店長は厨房の方へ消えていった。

慣れてる。
馴れ馴れしすぎない、でも厭らしくない、絶妙な
接客だ。
低くて落ち着いた声も、聴き心地が良い。

「店長モテそうやな」

赤ワインとビールで乾杯すると、小声でそう呟きながら横目で厨房を見やった。
リマ姉が肩を僅かに震わせ、グラスで顔を隠す。

「同じこと思ってた笑 色気あるよね」
「ね!女のファン多そう。爽やかエロ」

ケタケタ笑いながら、同じタイミングで二口目を飲む。

7歳も上の女の人と仲良くなるのは初めてだった。
店で浮きまくっているあたしに、初めて声をかけてくれたのがリマ姉だった。

2年前に東京に出てきて、ホテル暮らしをしながら毎晩クラブに通った。
毎日朝まで、時には昼まで、気絶するまで飲んだ。
琉人と離れてから、あたしは毎日泣いた。
シラフでいると気が狂いそうだった。
清潔で冷たいホテルのベッドは、孤独だった。
寂しくて寂しくて、何度も死んでしまいたいと思った。

100万円近くあった貯金は、一ヶ月も経たないうちに信じられない勢いで減っていった。
保証人のいらないアパートの契約金を払い、最低限の生活用品を揃えると、破産がすぐ目の前に迫っていた。

クラブで知り合ったスカウトに紹介してもらった単価が安めのキャバクラ。
上京して初めて働き出したそこは、客層も黒服もキャストもクソばかりで、糞の掃き溜め、肥溜めボットン便所のような店だった。

控室に一瞬でもバッグを置くと財布が無くなるし、客はケチでセクハラ三昧、黒服はモラハラパワハラ気質、色管竿官は当たり前、キャスト同士のいじめも凄まじかった。

地元で働いていたグレーな居酒屋も同じようなもんだった。
まともな仕事についたことが無いあたしにとって、職場なんてどこもこんなもんだと思っていた。

いじめられているキャストが毎月辞めていき、そのたびに新しいキャストが入ってくる。
働き出して5ヶ月経った頃、いじめのターゲットがあたしに変わったのか、ロッカーがボコボコになっていたり、ポーチやサンダルが無くなった。

退勤後に控室でスマホをいじっていると、いじめの主犯格のデブ女と金魚の糞達が、こちらを見ながらにやついていた。

「細すぎー。骨じゃん。自分でキモいとか気付かないのかな笑」
「貧乳幼児体型笑 小学生かよ」
「ビョーキなんじゃない?あ、薬中か!こわーい」

クスクス、クックックッ。
その乾いた笑い声は、どこかで聞いたことがあった。
16歳になって初めて働いたクリーニング店。
ベテランバイトのお局達がバックヤードで煙草を吸っている時も、いつもこんな不協和音が聞こえていた。

「おーい!聞こえてる?シャブ中ちゃーん」

あたしがスマホから目を離さずにいると、デブ女がドスドスとこちらに近づいてきて、あたしの前に立ちはだかった。
金魚の糞達が黙り、空気がピリっと緊張した。

「何黙ってんの?難聴?喋れない?おーい聞いてるー!?」

女がニヤつきながら、ねちっこくあたしの顔を覗きこむ。

「喋ろーよおー!」

デブ女が笑いながら、左肩をどついてきた。

体が揺れ、あたしは後ろのロッカーに肩と頭をぶつけた。

シンと静まり返った空気の中で、バコンバコンと、自分の心臓の音だけが聞こえていた。
体中の血液がグラグラと沸き立ち、脳が煮えたぎっている。

「は?痛えんだけど。触んな汚え」

言いながら女の右肩を殴る。

「ってえ!んだコラてめえ!調子乗ってんじゃねえぞ!」
「るせえ黙れ豚。殺すぞクソブス」

顔を真っ赤にした女と掴み合いになった。
爪で首と頬を引っ掻かれ、血が出た。
後頭部を掴み、エクステを引きちぎってやると、ジェルネイルが折れた。
悲鳴をあげながらよろけた女の両肩を押し、同時に膝を思い切り蹴る。
女はバランスを崩し、スローモーションのように床に倒れた。

ドレスから何重にも贅肉がはみ出ている醜い背中に、思い切り蹴りを入れる。

「たあい!止めてえ!!」

被害者ぶった高い声色に、怒りが爆増していく。
体を起こそうとしている背中をもう一度思い切り蹴ると、女の喉から変な咳が出た。

「豚!クソデブ!死ね!」

叫びながら女の背中をヒール部分で何度も蹴り続ける。
肩甲骨の周りがミミズ腫れのようになり、血が滲んでいた。

今日は帰りに、背脂たっぷりのニンニクが効いた豚骨ラーメンを食べよう。

甲高い金魚の糞達の声と誰かが走っていく音が、遠くでかすかに聞こえた。


次の日店長からの鬼電に出ると、鼓膜が破れてしまうほどの爆音量で、ひたすら怒鳴られた。
何を言っているかわからない巻き舌口調に、こちらが恥ずかしくなってしまう。
ヤンキーへの憧れが消えないまま大人になってしまった、キチガイのようだ。
店長はあたしの言葉をまるで聞かず、ただただひたすらに罵り続けた。
その間ずっと、あたしはジェルネイルが剥がれた指先を見つめていた。
反対の手で軽く触れると、そこはヒリヒリと痛んだ。

どいつもこいつも狂っている。
店長は何故こんなにもデブ女を庇うのか。
売り上げも無い、勤務歴が長いだけのあのデブ女が、何故あんなに偉そうにできるのか。

デブ女は幹部と寝ている。
あんな肉団子みたいな体でどうやってセックスするんだろう。
あんな肉団子とセックスできる男も、性癖異常者だと思う。
あれは人間でも女でも豚でもない、ただの肉魂だ。
あいつにセックスなんてできるわけがない。
性癖異常者と肉団子による肉相撲を、セックスとは言わない。

バカとクソと異常者しかいない肥溜め。
皆溺れてしまえ。
さっさと全員死ねば良い。

微塵の反省も見られないあたしを、店長は実質クビにした。


新しい店を探さなければいけない。
面接に行かなければいけない。
金が無い。
クソほど面倒くせえ。
なんであたしがこんなに面倒なことをしなければいけないのか。

バカの挑発に乗ってはいけない。
金にならない喧嘩をしてはいけない。
もう絶対に、無駄なことはしない。
そう心に誓った。


激昂しながら一連の事情を話すと、スカウトは苦笑し、もっと上手くやれよ、と吐き捨てた。


新たに紹介されたキャバクラは夜の街に疎いあたしでも聞いたことがある、そこそこ有名な高級店だった。


これを逃せば一文無し。
ホームレス。

髪色のトーンを落とし、化粧を薄くし、吐きそうになるくらいの高い声で受け答えをし、顔の筋肉が攣るくらいニコニコし、人生で初めて愛想と媚を大量に売ったおかげか、奇跡的に面接に受かった。


【IRES】に入店して1年半。
売り上げは毎月ギリギリだけど、キャストに嫌味を言われても華麗にスルーできているし、触ってくる客とも喧嘩をしなくなったし、それなりに平和に過ごせている。

まさか飲み屋で友達ができると思っていなかったから、リマ姉とアイミと笑って過ごすこの日常が、未だに現実では無いように思える。


「本当アイミすげえよなあ〜。勝ち組すぎるわ、あんな家。あたしと3つしか変わんないのに。尊敬する」

頬杖をつきながらピクルスを咀嚼する。

「アイミは天職だよね、キャバ。接客楽しそうだもん」
「それー。なんなんだろ?仕事楽しいと思ったことないわ」
「そうなの?」
「うん、まじ仕事嫌い。金の為に仕方なくやってるだけ」
「ふーん。アパレルとか向いてそうじゃない?服好きでしょ?コスメ関係とかも向いてそう」
「んー好きだけどー、多分接客向いてない。短気だし。頭悪いし小卒だし。普通の仕事無理だよな。髪とか化粧地味にするくらいなら死ぬ」
「死ぬんだ笑 中学ほとんど行ってないんだっけ?」
「うん、中2まではたまに行ってたけど、中3は10回も行ってないかな」
「ヤンキーじゃん」

だから!ヤンキーじゃないし!と半ギレするあたしに、リマ姉が手を叩きながら笑っている。


店長のおすすめのビールは思った以上に美味しかった。
いつも買っている淡麗や第三のビールとは全く別物だ。
ハーブの効いた自家製ウィンナーは複雑でよくわからない、だけど高そうな味がした。


食事がどうでも良いし、噛むのが面倒くさいし、お金がもったいない。
そんなあたしにとって、今日は奇跡のようだ。
全てが美味しくて、楽しい。
リマ姉とアイミと食事に行くようになってから、40kgまで落ちていた体重が47キロまで戻った。
163cmのあたしの身長では、今の体重がベストだ。

上京して半年以上、主食が酒と煙草だった。
ずっと眠れないし食べられなかった。
だからリマ姉が体を壊してお店に来なくなった時は、心底心配した。


「リマ姉最近体調どう?」

4杯目の赤ワインを飲んでいるリマ姉は、頬全体が赤くなってきていた。

「元気元気。まだあんま寝れないんだけどね。寝付くの1時間以上かかるけど、3時間くらいは連続して寝れてる感じ」
「まじ?疲れ取れんくない?」
「いやー、ピークの時一睡もできないの数日続いたからさ。今とか全然マシ」
「そうなん?寝れないの辛いよなあ〜。あたしも一時期ウィスキー一気しないと寝れなかったもんなあ」
「寝なきゃ寝なきゃって思うと寝れないからもう諦めたよね。横になってれば少しは休まるし、寝れたらラッキーくらいに思ってる」


以前リマ姉がかなり酔っていた時、鬱病とパニック障害の治療をしていることをサラッと言っていた。


今まで働いたどの店でも、精神薬や草をキメてヘロヘロで働いている女を多く見てきた。
リスカの痕を隠しもせず、ラムネのようにデパスを噛み砕く。
何がそんなに辛いのか。
何でみんなそんなに病んでいるのか。

人の緊張を解いていくようなフニャフニャしたアイミの笑顔を思い出す。
高い声と、ヘラヘラとした語尾を伸ばす口調。
幼稚園児みたいだ。
アイミは病むことがあるのだろうか。
いや、きっと、無い。
ラストオーダーのビールを飲みながら、そんなことを考えていた。


22時半頃、駅でリマ姉に手を振る。


これからどこへ行こう。
まだまだ飲みたい。
今日はこれからだ。
知り合いのバーか、クラブ。
音楽を爆音で聴きたい。
朝まで飲んで、それか満喫かカラオケで寝て、始発で帰ろう。

ぐぉん、ぐぉん。
地響きで体が揺れる。
ひたすら趣味の悪い真っ赤な照明の階段をおりていくと、馴染みの従業員が怠そう片手を上げた。

「サ〜ラ〜。休み?一人?」
「うん、さっきまで友達と飲んでた。今日ジャンル何?」
「今日ミックス。今ハウスだわ」
「ふーん。ワンドリ付いてる?」
「ほれ、これ」


ドリンクチケット3枚をグシャっとあたしの手に握らせ、ニヤッと笑う。

「ありがとー大好きー」
「ほーい今度やらせろー」
「無理ー」

カウンターでテキーラとビールを注文し、その場でテキーラを飲み干す。
ビールを飲みながら、これまた悪趣味なピンクの照明の通路を歩き、トイレに入る。

鏡を見るとアイラインが溶け、下瞼が真っ黒になっていた。
ファンデははげ、眉尻も消えている。

「きんも」

自分の顔を見て吹き出し、バッグからポーチを取り出す。


「ねー!本当無理なんだけどー。やめてー、トイレーだからあ」

化粧を直していると、鼻にかかった女の声と、安っぽいヒールのカツカツ音が近づいてくる。


「あれー?沙藍ー!?」


あたしのことを本名で呼ぶ女は、東京でこいつしかいない。
同中で、グレーな居酒屋で一緒に働いていた。
こいつは今まで会ったどの人間よりも、頭がおかしい。


「来てたのー?ラインしてよおー!1人い?」


猫なで声であたしの腕に絡みつき、胸を押し付けてくる。
クロップドキャミソールから露出された、ヌーブラを重ねて作ったであろう深い谷間。
ショートパンツから伸びる脚をクネクネとさせ、上目遣いでこちらを見つめている。

無理矢理に描いた涙袋の影は不自然で、汚い。
ラメが光る部分に針を刺してやりたい。
ヘーゼルのカラコンをしていてもわかる。
こいつは今、確実にラリっている。

「1人ー。モモ、コテかスプレー持ってない?」
「えー、なあーい。ね、ね、ヤバいさあ今あ。沙藍の左目が落っこちてぇ、ここぉ」

あたしの頬を指差し、モモがケタケタと笑う。

「何食ってんの?臭、お前」
「えーひどーいうけるー。沙藍シラフー?食おーよー!気持ち良いよお〜」
「こないだお前に食わされたやつまじでやばかったんだけど。まじ離脱死んだ。水5リットルは飲んだわ」
「キャハハハ!あれ混ぜもん多くてカスだったあ〜。あたしもさあ、包丁持って裸で風呂場にこもって、殺されるー!って叫んでたらしいよ。彼氏ドン引きー。うけるー」

バカみたいな口調から想像できない冷めた表情で、モモがティントを塗り直す。


女子高生と楽しくお喋りができる居酒屋。
金が欲しい餓鬼と餓鬼を食い物にしたい大人。
需要と供給が素晴らしく一致したそのグレーな店で、あたしは18まで働いた。

同期のモモは、監視カメラの無い個室で履いていたルーズソックスを客に売り、ヌーブラを売り、下着を売り、キスをし、膝の上に乗り、お触りをさせ、出勤の度にありえないほどの大金を稼ぎ、
最終的にはパトロンを数人作っていた。


自称発達障害で、虚言癖。
男と金が大好きで、自分のことしか考えていない。
中学の時からあたし達は、仲間や先輩と遊びまくっていた。

モモは彼氏が途切れることがなく、ナンパには120%着いていき、二股三股、友達の彼氏を寝取るなんてことも常習的で、中3で妊娠した時も誰の子かわかんなーいと笑いながら缶チューハイをストローで飲んでいた。

上京して2年ほど会っておらず、その存在さえも忘れかけていた。
レゲエのクラブイベントで再会した2ヶ月前、モモは駅弁スタイルで男に抱えられ、キャーキャーと叫びながら腰を振っていた。
常軌を逸するヤリマンクラッシャー力を一切失うことなく、むしろ倍増させ、成長し続ける。


据わりきった目でモモが何かを叫び、男の肩に嘔吐する。


あたしは彼女から目を逸らすことができなかった。


軽蔑しながら、嫉妬していた。
モモが羨ましい。
あたしはこいつが大嫌いで、こいつになりたい。
あたしはモモになりたい。


体中から力が抜けていき、足が冷えていく。
飛び交うレーザー光線があたしを焼き殺してくれたら良いのに。


もう絶対にここから一歩も動けない。
ここで死にたい。

強い希死念慮に侵食されながら、あたしはその場に立ち尽くした。








































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