~第270回~「東遊と国風歌舞」
氷川神社は毎年8月1日の例祭に、畏き辺りより勅使の御差遣、また御付きの楽師により「東游(あずまあそび)」を御奉奏戴いております。
東游は国風歌舞のひとつで、東国地方の風俗歌に由来した歌舞で、後に神事に用いられるようになりました。
『三代実録』に貞観3年(861)の東大寺の大仏供養の際に舞われたとあり、次いで宇多天皇の御代、寛平元年(889)の賀茂神社の臨時祭に舞を奉納し定着し、石清水八幡宮など各社にも奉納されるようになりました。
序曲の一歌(いちうた)、二歌(にうた)、舞を伴う駿河歌(するがうた)、求子歌(もとめごうた)からなり、歌人と伴奏楽器として和琴(わごん)、高麗笛(こまぶえ)、篳篥(ひちりき)、笏拍子(しゃくびょうし)がつきます。
舞人は青摺(あおずり)の小忌衣(おみごろも)に帯刀、巻纓(けんえい)の冠に桜や橘など時期の花を挿します。
舞は安閑天皇の御代、有渡浜(うどはま。現在の美保の松原)に天女が舞い降りた姿を模したと伝えられています。
今日では宮中を始め、氷川神社、賀茂神社、春日大社等の祭典に奉納されます。
先に「国風歌舞」と書きましたが、これは「くにぶりのうたまい」と読みます。
古来の日本に伝わる歌舞を起源とし、大陸から渡来した楽舞の影響を受けながら成立した日本独自の歌と舞で、『古事記』『日本書紀』の伝承に由来するものや、日本各地の風習に由来するものなどがあります。
大宝元年(701)の大宝令の制定で設置された「雅楽寮(うたまいのつかさ)」でも伝承されておりましたが、徐々に衰退し、応仁の乱(1467年)など戦国時代に入ると組織だっての伝承が途絶えます。
しかし、舞の部分は残っており葵祭や若宮御祭で奉奏されていたため、江戸時代に入ってから再度組曲として復興され、雅楽の伝承組織「三方楽所(さんぽうがくそ)」も制度化されました。
その後、明治時代に入り京都から東京に首都が移った際、三方楽所の楽人の一部と江戸幕府にいた楽人の一部とで宮中に仕える事となり、現在の宮内庁の楽部(宮内庁式部職楽部)の基となりました。
日本の歴史の中で、荒波に揉まれながら今日まで伝わる「国風歌舞」そして「東游」。
氷川神社の例祭は連綿と続く日本の芸能史を感じることができる祭祀でもあるのです。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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