AIは『隣る人』として寄りそえるか
道徳で再び生成AIを使いました。教材は光村図書の教科書に掲載されている「『隣る人』として寄りそう」という中川翔子さんのコラム。こちらの記事にもある中川さんのいじめ体験と、その中で中川さんに隣ってくれた友達、木村の話です。
授業、はじめの話
授業ではこのスライドを出して話しました。

教科書に「『いじめ』は絶対にしてはいけません」と書いてあるけれど、「いじめ」は絶対になくならないだろう。行為によって心身の苦痛を感じたら、それで「いじめ」になるわけだけれど、それって大きなものから小さなものまで色々あって、ちいさいものだったら、日々、どこかで起こっているでしょう?
だから「いじめをなくそう」と考えても無理があるのではないかな、と思うのだよね。それよりも「いじめにどう向き合おう」と考える方がいいのではないかな。
今回の「隣る人」は、その向き合い方の一つなのだろうけれど、この話をきっかけに君たちには考えてほしい。例えば、「『隣る人』になることは、いつでも正しいのか」「『隣る人』になれるのか」「いじめがあったら、自分には何ができるのか」等々。
それを話し合って欲しいな、と思うのだけれど、正直、重い話だし、いきなり友達と話すのは厳しいのではないかな。そこで、今日はまずAIと話してほしいと思います。このAIには、「『隣る人』として寄りそう」を読ませたので、君たちといじめについて対話を進めてくれる。
ある程度、進んだところで声をかけるから、そうしたら「まとめて」と打って。するとAIが君たちとの対話をまとめてくれるから。それを紹介しながら友達と話し合ってみよう。その後はクラスで考えを共有して、最終的な自分の考えはFormsで教えてね。
システムプロンプト
「『隣る人』として寄りそう」を読ませたシステムプロンプトはこんな感じです。
# 児童が、添付した「『隣る人』として寄りそう」の文章を読んで「いじめ」について考える手助けをしてください。
# 児童と会話を続けながら「いじめ」について考えるヒントを与えてください。
# 児童に考えさせたいポイントとしては以下のようなものがあります。
- 「隣る人」になることは、いつでも正しいのか
- 「隣る人」になれるのか
- 自分がいじめにあったらどうするべきか
- 自分のまわりにいじめられている人がいたらどうするべきか
- 自分は「木村」のように行動することはできるか
- 自分が「木村」のように行動するためにはどうしたらいいか
- いじめはなぜ起こるのか
- いじめをなくすためにできることはあるか
# 一つの会話の中には質問を一つだけ入れるようにしてください。
# あなたの会話は質問で終わるようにしましょう。
# 児童がこの学習と関係のないことを入力してきたら、学習に戻るよう促してください。
# 児童が「まとめて」と打ったら、そこまでに児童とあなたとの間で行われたチャットの内容をまとめた概要を作ってください。概要の最後に、児童が「隣る人」になるための課題を一言、入れてください。
弾む対話 厳しい評価
AIとの対話の時間、どうなるのかなぁ、と思っていたのですが、15分間、相当、真剣に対話を重ねていましたね。
しかしですね、この子たちは何しろ私のクラスの子なので、生成AIに対しては相当、冷静な態度を持っています。授業後に聞いたらこうですもの。

「話を聞きだすのは上手かったけれど、結構詳しく答えたのに、結局ありきたりな言葉でまとめていた」
「ある程度質問をしたら、そこから、質問の内容が堂々巡りしているように感じた」
「要約が長い」
辛辣ですなぁ、君たち。うん、まあ、それでいいのだけれど。ともかく、AIの言うことをまるまる信じるわけではないのですが、今回のテーマについてかなり真剣に考え対話を重ねていたようです。それ故、その後のグループでの議論、クラス全体での考えの共有等、非常に盛り上がりました。
AIは『隣る人』として寄りそえるか
夏に流れたこのニュースを覚えている方もいらっしゃるかと思います。
続報を待たねばなりませんが、恐らくは自殺をした少年は、生成AIの答えが自殺を助長(容認?)するように会話をしたのではないかな、と思います。しかし、ここまで極端でなくても生成AIと人間との距離感、どうなっていくのだろう、という話は他にもあります。
生成AIとどういう関係を築いていくべきか、人類は未だその明確な答えを持っているとは言い難いでしょう。そして、その答えは人によって違うのかもしれません。
生成AIと共に人生を歩んでいく子どもたちが「生成AIとどういう関係を築いていくべきか」の答えを自分で探していかねばならないのだとすれば、やはり我々は子どもたちに様々なAIの姿を見せてあげる必要があるでしょうし、時にはこの実践のようにAIと直接、深い対話をさせたり、その結果を仲間と共有させたりして、生成AIの可能性と限界について考えさせる必要があるでしょう。
我々には、まだまだ取り組まねばならないことが山程あるのではないか、と感じるのです。
