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“修己安人”が僕のありたい姿

どうも。伊田錦です。

僕はときどき、自分の当たり前を疑うことがある。

たとえば、リンゴ。

僕には、赤く見える。

だけど、ある人にとっては、青く見えるかもしれない。

たとえば、鳩の鳴き声。

僕には、不快なく聞こえる。

だけど、ある人にとっては、うるさく聞こえるかもしれない。

たとえば、カレーライスの香り。

僕には、いい匂いに感じる。

だけど、ある人にとっては、不快な匂いに感じるかもしれない。

たとえば、ふかふかのタオルの感触。

僕には、つい触ってしまうくらい気持ちよく感じる。

だけど、ある人にとっては、全く心地よく感じないかもしれない。

たとえば、梅干し。

僕には、酸っぱい梅干しがおいしく感じる。

だけど、ある人にとっては、酸っぱさがおいしくないと感じるかもしれない。


僕には、心地よく感じることが。

誰かにとっては、不快に感じるかもしれない。

僕には、不快に感じることが。

誰かにとっては、心地よく感じるかもしれない。


同じ風景を見ていても、

僕に見えている景色と、

あなたに見えている景色は、

同じではないかもしれない。


同じ場所にいても、

僕とあなたでは、

全く異なる感覚を味わうかもしれない。



だから僕は。

ときどき自分の当たり前を疑う。

独りよがりにならないように。

僕の“正しさ”で誰かを傷つけないために。


でも、正直難しい。

でも、正直おもしろい。


異なるからこそ。

違うからこそ。

おもしろい。


【もし…】


「もし、この音が不快だったら?」
「もし、この光が眩しく感じたら?」
「もし、この状態がしんどかったら?」
「もし、この環境が心地よくなかったら?」


もっとたくさん想像して。

もっとたくさん考えて。

自分と違う誰かを突き放さないように。


僕は未熟で。

もっといろんなことを知らなくちゃいけない。

自分のなかに、いろいろな視点や感じ方を取り入れたい。

それが、“おもしろがれる人”に繋がると思うから。

決めつけたり、否定したり、攻撃したり、排除したりするのではなく。


受け入れたり、見出だしたり、伸ばしたり、活かしたり、ときには見守ったり、手を引いたり後押ししたり。


そんな人になりたい。

そんな人でありたい。



僕にはひとつ、こうありたいという姿がありまして。

それは、

【修己安人】(しゅうこあんじん)

という在り方です。

【己を修めて人を安楽させる】
(おのれをおさめてひとをあんらくさせる)

つまり、自分を磨き、関わる人を安心させるみたいな感じですかね。


同じような言葉に、“修己治人”という表現もありますが。

どちらかというと、僕は“修己安人”かなと。

意味や捉え方も、いろいろあるのかもしれませんが。

ひとまずは、上記の捉え方で納得しています。

(“修己治人”の方は“己を修めて人を治める”…どちらかというと、“よい国をつくる”とか、人の上に立ち統治していくみたいな認識でして。少しイメージと違うかなと。)


正直、道のりはまだまだ遠いですが。

そんな姿に一歩でも近づけたらなと。


また、話が飛びましたね。

まぁ、今日はそんなお話でした。

では。また。いつか。

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伊田錦/人生の意味の編集者 もしよろしければ、見守りと応援をお願いします!いただいた“心”を“言葉”で返させていただきます!