中島伊津子という天才デザイナーの悲劇-マネキンシステムから紐解く-
中島伊津子(なかしま いつこ、1951年11月2日 - 1988年3月14日)は、20世紀の昭和期に活動した日本のファッションデザイナー1975年にファッションブランド「ニコル」へ入社、のち同ブランドのチーフデザイナーとなり、同社は300億円の年間売上を計上し、DCブランドブームを牽引する存在となったが、1988年3月14日に自殺。36歳没。
プロフィール内容はwikiより引用。
私が提唱する概念『マネキンシステム』が彼女も苦しめ、そして命を奪ったのではないか?
才能のある若者の死を扱ってきているが、今回は中島伊津子氏を取り上げる。
私が興味や関心があるのはその人の考え方の傾向や性格だ。以前に三島由紀夫を取り上げた時も文学作品からのリサーチを全くしていない。作品と本人は違うからだ。
「小さいころから非常に真面目で、何事もコツコツとやるタイプ」だった中島は、大分県のかつて祖父が村長をしていた家に生まれた。無口であまり社交的ではなかったが、芯の強い子供だったという。
これは内向的で、しかし情熱はあるというタイプに思える。社交的でなく芯が強い。これは母性にも直結するような内容である。
つまり、彼女は強い内省型なのだ。
東京デザイナー学院卒業後、東京・青山の小さなアパレルメーカー羅馬→一珠→ニコルと順調にキャリアを重ねていく。
一珠では大きなヒット作となるワンピースを作った。モノトーンのプリントに白襟、白いカフスを付けたこのワンピースは会社の歴史に残るほど売れ、20代前半で彼女はチーフデザイナーに抜擢される。
この『ニコル』というブランドが彼女のマネキンだったのではないか?
1985年には取締役にまでなり、1987年にはグループ売り上げ270億円というとんでもない大きさに成長した。
しかし、そのマネキンの肥大と彼女自身は乖離する一方だった。
亡くなったのは36歳だ。デザイナーという職業、初期パッションの『熱さ』をどこまで継続できるのか?という大変厳しい戦いのはずだ。
これは別記事でも、アーティストのパラドックスとして取り上げてる。
年々、期待度は高まっていく。次はどんな新しいデザインが出てくるのか!その期待との乖離は許されない、そんな強烈な内省の繰り返しだったのかもしれない。
完璧主義だったという性格でもあったようだ。完璧主義とは恐ろしのだ。それが当たり前になってしまっては完璧は普通と認識され挙げ句の果てには、「つまらない」と言われてしまう。
この性格が後継者を育てるポジションに甘んじるという選択をしなかった、許せなかったのかもしれない。
このブランドというマネキンは手放せなかったのだろうか?自分はニコルというブランドありきでないと見てくれないという不安があったのかもしれない。
お酒が好きで姉御肌。ディスコで・・・という記述を発見したが、これはフリというかキャラ作りであったと思われる。
強い内省型にお酒はノイズになるからだ。そのキャラ作りで飲むようになり、それが飲まないとやっていけなくなったパターンではないだろうか。
彼女の地味なデザインというものが、虚飾を嫌い自らの『肉体』を見て欲しいという素直さの表れだったのかもしれない。
地味な服は普通は売れない。この地味なデザインは、本来であればニッチに留まるはずが、DCブームという時代の熱狂に合致し、知的で洗練された優雅さとして熱狂的に受け入れられてしまった。そこで更にマネキンとの乖離が発生したのだ。
彼女が後継を育てる、もしくは退社して個人ブランドを立ち上げるという未来は無かったのか。
青山あたりで独自のブランド、オーダーメイドのブティックの店舗を作る。そこを自分の城にするという選択もあったはずだ。
しかし、彼女にとってのニコルはマネキンであると同時に『母』だったのではないか?
その母を裏切れなかった。そんな葛藤があったのでは・・・と。
