ソウルの透明な競争で見えた余白のある教育
ソウルで暮らすと、誰もが知る「スヌン」の季節が来る。
だんだん寒さが増してくる十一月の半ば
国じゅうの呼吸が止まるような、
あの静かで熱い一日。
大学に入るまで一度も試験のない子どもたちにとって、
それは人生の最初の分かれ道。
友人の話や近所のお母さんたちの囁きを聞くと、
この国の教育熱は、まるで地下水のように深く、熱い。
競争は、もう、お腹の中にいるときから始まっている。
マタニティースクールの先生が、友人の子の「早生まれ」を、
まるで欠点のように告げたときから、
時計の針は速く回り始める。
子どもが生まれると、
健診のたびに、身長も体重も百人中の順位で示される。
親たちは無意識に、隣の子どもを意識し、
比べ始める。
それは静かな、しかし確かな競争の種。
レールは透明なのに、とても固い。
良い幼稚園、他の子より一つでも多い習い事。
そのすべてが、スヌンという名の大きな賭けのため。
大学に入れば、就職に有利になるように、
皆が少しずつ顔を変える。
良い仕事を見つけ、
さらに良い相手と結婚し、
そして、
また子どもを「良い時期」に産む。
この国の人生は、どこまでも続く
エンドレスな輪のようだ。
日本よりもずっと、
ただ「普通に生きる」ことにが大変だ。
日韓夫婦の友人たちが、
少しずつこのソウルの教育の色に染まっていくのを見るのは、切ない。
何でも軽やかにこなせる子と、
何度教えても掴めない子。
努力で追いつける子と、
そうではない子。
小さな頃は気にならなかったその差が、
九歳という透明な窓を通して、
急に鮮やかに見えてくる。
この国ではこの頃から、
習い事を辞めていく子がたくさんいるという。
皆、子どもの幸せを願っている。
その願いだけは、どこも同じ。
けれど、この忙しい日々の中で、
子どもたちが今、
どれくらい「幸せ」を感じているのか、
それは誰にも分からない。
教育は「投資」だと言うけれど、
お金の余裕がない中での投資は、
危うい光を放つ。
私は、娘の宿題の小さな間違いさえ、
強く責めてしまう。
もしも、私の望んだ結果が出なかったら。
もしも、娘が私と違う道を選んだら。
私はきっと、いつか、彼女の人格を否定するような、
冷たい言葉で娘を追い詰めてしまうだろう。
その予感が、恐ろしい。
投資は、いつも成功するとは限らない。
でも、今、娘と築いているこの「関係」だけは、
きっと将来に繋がっていく。
ありのままの娘を、
このまま、受け入れる。
今は、私が信じる、
この静かなやり方で、
娘の隣にいると、決めている。
