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未来へ伝える炭鉱遺産…北海道 空知の炭鉱群(2003年〜)

道北の遺棄された炭鉱や鉱山の話をする前に、炭鉱の遺構を未来に伝えようとしている空知の炭鉱群に触れたいと思う。
現在は、北海道の近代化を支えた三都(空知・室蘭・小樽)を結ぶ物語を「炭鉄港」と呼び、ポータルサイトなどで発信されているが、今回は、まだそのような体系的な活動が行われる前の話である。

三笠地区には沢山の炭鉱がありました

廃墟マニアが集まる幌内炭鉱

「どこから来られたのですか? えっ東京?(札幌と言うべきだったかも…)『空知炭鉱遺産マップ』を見て来たんですか?」遺構だらけの幌内炭鉱、常盤坑エリアを歩いていたら、その分野の専門家らしき人に声をかけられた。

遺構だらけ
熊が怖いかも…
ホッパーの跡

「本にも載っていない所があるんです。怖くなければ案内しますが…神社跡なんですが、行ってみる気ありますか?」
ということで憑かれそうな場所まで案内される。しかし、道案内をしてもらっただけで、結局は独りで行く羽目になった(写真の掲載は自粛します)。ちなみに、その手の本の存在は知らなかった。今日もふらっと来ただけである。

幌内炭鉱は、北海道最初の近代炭鉱で、いわば、北海道の近代史の始まりの地であった。1989年(平成元年)に閉山されるまで、長く北海道の産業を支えてきた炭鉱である。閉山が遅かったため、遺構がまだ沢山残っていることとして知られていた。

最初に訪れたのは、選炭場や発電所などの主要施設のあったエリア。斜坑である常盤坑から採掘された石炭が、コンベアで谷を運ばれ、坑外施設で様々な工程を経て鉄道で出荷されていった跡がそのまま残っていた。

入口を覗いてみると
コンベアがつながっていた

山の中を貫くコンベア

私は遺構の中を歩き回った。特に規制されている様子もない。当時は、前述のような廃墟マニアもやってきて、それぞれ勝手に散策していた。保存して残そうとしているのか、遺棄して朽ちるのを待っているのかよくわからない状態だった。

それにしても、炭鉱設備の遺構は、生活感が全くない事もあって、怖さというものは全く感じなかった。以前ご紹介した第二海堡と同じような感覚である。なお、このエリアは、現在は三笠ジオパークとして整備され、自由に歩き回る事はできない。

奥には炭住も見えます
色々な施設がそのまま残っている(発電所)
もちろん廃線跡も…

幌内線の跡地は鉄道村に

幌内炭鉱で採掘された石炭を小樽港まで運んだのが北海道の鉄道の始まりであった。この路線は、幌内線として1987年(昭和62年)まで営業を続けた。私も幌内線の末期に乗る機会があった。廃線後、幌内駅の跡地は三笠鉄道村として整備された。訪れた時は蒸気機関車が、トロッコ客車を牽引していた。また、貴重な北海道の主力車両も保存されていて、愛好者が訪れていた。家族連れで賑わうこの公園に、廃鉱の暗さはまったく感じない。

幌内線の施設は他にも活用されている。萱野駅もライダーズハウスとして、旅の拠点のひとつになっている。ここに泊まり、幌内線の事を偲ぶのも良いだろう。もっとも、現役の幌内線のことを覚えている人は少なくなったと思うが…

蒸気機関車が動態保存されてました
しっかりトロッコに乗りました

過去をつなぐ巨大エレベータ…幌内炭鉱立坑櫓

炭鉱跡の見学を終えて、車で走っていると右手に巨大な櫓が見えてきた。これは1966年(昭和41年)に建設された北炭幌内炭鉱立坑櫓で、高さ約40m、地下約1077mの巨大エレベーターであり、近代炭鉱の象徴のような存在であった。

廃鉱となり、このエレベータが動く事はないが、建物だけはこうして街の中に堂々と残っている。この街に住む人にとって、それは幸せなのか、それとも辛い事なのか…。

ちゃんと保存すれば、ランドマークになりえそうな建物であるが、これもまた放置状態であった。廃墟マニアが建物の中に自由に出入りしていたが、さすがにこれはイリーガルな行為だろうなぁ…

現在は工業団地の中にあって近づけません

炭住に炭鉱都市の面影を感じる…幾春別

幌内線は三笠で幌内方面と幾春別方面に分岐する。最後まで旅客列車が走っていた幾春別にも炭鉱があり、炭住も残っていた。高倉健が今にも現れそうな雰囲気である。

ハモニカ長屋がひしめく中に立坑櫓がそそり立つ。これが住友奔別炭鉱立坑櫓である。高い櫓は、まるで城下町の中心に聳える天守閣のようだ。幌内炭鉱が人々の生活をあまり感じさせないのとは異なり、こちらは、かつての炭住の風景をそのまま残していた。

炭住を見ていつも思うが、ここで暮らすには、大変な苦労があったはずだ。極寒地で銭湯に通うことを想像するだけでも辛そう…。気が合わない人との共同生活は私だったら耐えられない。昔の人は我慢強かった? 今の人が我儘になった?

住友奔別炭鉱立坑櫓
炭住と立坑櫓
炭住の作りは色々あるようです
今もこれだけ残っているのでしょうか…

未来に伝えるために

20年前、ただ残されていただけの炭鉱群は、現在では整備され、見学ツアーも実施されている。空知の炭鉱群は、そこに縁のある人々にとっても、無人の山奥に遺棄されてしまった道北の炭鉱群よりも幸せなのかもしれない。もちろん、関係者の努力があっての事だと思う。これからも形として残る方法で「炭鉄港」をサポートしていくつもりである。

訪問日:2003年11月2日
    2007年6月30日
    2007年9月22日

執筆日:2004年6月6日
加筆日:2025年3月5日

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