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知。とは何か。

知。とは正義であり、感動をもたらすものだ。
今回は漫画「チ。-地球の運動について-」で考えたことについて書く。
初めに。この漫画ほど考えさせられ、心躍らされたたアニメはないかもしれない。

本題に入る。
知と信仰の違いからまず話したい。この物語の軸は知と信仰の対立からなると思う。
知と信仰との違いは柔軟性の違いにあるのだと思う。ほかの意見も取り入れ、論理にかけるものは淘汰され、塗り替えられていくのが知で、それとは逆に異なる意見を無視して自分の意見を率先して尊重することは信仰であると思う。

人は時に自分の知性が信仰になる時がある。
なぜなら、自分の人生や経験を否定されるのはとても恐しいものだからだ。
また、ほかの理由を言うと、人は時に自分の考えを正すため、自分の欲求を満たすために手段を問わずに行動してしまうからだ。

前者は異端審問官のノヴァクから。後者は最終章に登場したラファウから学んだことだ。(詳しくは本編を読んでみて確かめてほしい。)

人は自分が経験したこと、作り上げたことにプライドを持ってしまう時がある。そのプライドが溢れすぎると知性はたちまち信仰に変わる。なぜなら、その時から人は自分と対立する存在を制圧しようとするからだ。

後者に対しても同じことがいえる。自分の地の欲求、探究心が暴走すると手段を問わず、倫理観に反してまでも追い求めようとしてしまう。これは知性が信仰に変わるというより、狂気に変わるといったほうが近いのかもしれない。

知性は時に凶器になり、人を迷わせ、狂わせる。だから知性に立ち向かうには理性が人間には必要だ。
(ここでいう理性とは、他人の人間の意見を受け入れる勇気と他者を重んじる思いやりのことを指す。)

その理性が欠けてしまったとき、人の知性は公共の福祉を害してしまうのだ。

これを踏まえて、知とは正しい義(みち)つまり、正義なのだと思う。
自分の知は正しいものなのか。自分の考えを常に疑い、変化させ続けることで知を保つことができる。それを経て知は「正しさ」となっていくのだ。 ソクラテスは無知の知といったが、私は懐疑の知を唱えよう。笑

また、知は感動を生む。
知を知ること、紡ぐことは素晴らしい。時代や場所を超えて人と人がつながり、新たな歴史を作っていくのだ。その一つ一つの知の中にはそれぞれの物語があり、誰かの人生の形でもある。
人が社会的に支えあい、繋がれているのはきっと知があるからなのだろう。
知は私たちに感動を与える。だから私は知を探求し続けたい。

この漫画は命をかけれるほどの感動や希望とは何なのかを教えてくれる。
全人類にお勧めしたい名著だ。



このnoteでつずった熱い思いの一割をポトツキさんへ。



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