【創作大賞2026お仕事小説部門応募作】かなめ、DXしちゃいます。 - 第4話「強敵、現る。」
ハンズオン会の翌週、DX推進課には珍しく、いい空気が流れていた。
研究開発部からのツール利用者が、じわじわと増えていた。
田村さんが同僚に口コミしてくれたらしく、「使ってみたら簡単だった」という声がTeamsのチャンネルにぽつぽつと上がり始めた。
毛利さんが「利用者数、先週比で8名も増加しました」とTeamsで報告した。
毛利:グラフにしました。右肩上がりです。
「毛利さん、グラフまで作ったんですか」
毛利:データがあれば可視化するのが礼儀だと思っています。
早乙女くんが「毛利さん、かっこいいっすね」と言った。
毛利:ありがとうございます。現地には行きませんが。
権藤課長が「よっしゃ、この調子でいくぞー!」と言った。
松川さんが「でも、まだ全体の22パーセントくらいだよね」と言った。
正論だった。
でも、今日くらいは、その正論を少し脇に置いておきたい気分だった。
かなめはグラフを眺めながら、次の一手を考えていた。
研究開発部の残り78パーセント。それから営業部、経理部、総務部。会社全体に広げるとなると、まだ遠い。でも、道筋は見えてきた気がする。
そのとき、権藤課長のPCに1通のメールが届いた。
権藤課長が画面を見た。表情が、少し固まった。
「……松尾さん」
「なんですか」
「来週、経営会議でDX推進の進捗報告があるんだけど」
「はい」
「黒川部長から、メールが来た」
「黒川部長?」
「管理本部の部長。役員の1個下。まあ、社内では一番発言力のある人の1人だよ」
かなめはメールを覗き込んだ。
DX推進課の活動内容について、事前に説明を求めたし。
来週火曜、14時。管理本部会議室にて。
黒川 紀子
「説明、求めてくるんですか」
「……うん」
権藤課長の声が、いつもより3トーンくらい低かった。
火曜日の14時。
かなめは権藤課長と一緒に、管理本部の会議室に向かった。
廊下を歩きながら、権藤課長がぽつりと言った。
「黒川部長、手強いから心して」
「どんな人なんですか」
「40代前半なのに、もう管理本部の部長。経理一筋でここまで上がってきた、すごい人。数字の読み方と人心掌握は社内で一番うまいって言われてる。ただ……」
「ただ?」
「デジタルが、苦手で」
「どのくらい苦手ですか」
「スマホはガラケーだった時代から変えてない。PCはメールとWordとExcelしか使わない。資料は全部印刷して赤ペンで修正する。決裁も全部紙と判子」
かなめは少し黙った。
「……それで管理本部の部長なんですか」
「頭のよさとデジタルの得意不得意は、別の話だから。ただ、黒川部長が『DXは不要』と言ったら、経営会議でそれなりに話が動く」
「動くって、どっちに動くんですか」
権藤課長が苦笑いした。「よくない方向に」
そういう人が、いるのか。
かなめは深呼吸をした。会議室のドアが見えてきた。
黒川紀子部長は、かなめの想像と少し違った。
40代前半。背筋がまっすぐで、スーツがきちんとしていて、髪を後ろでまとめている。机の上には、びっしりと書き込まれた紙の資料が積んであった。赤ペンのキャップが外れたまま置いてある。
かなめより10歳ほど上なだけだ。なのに、発しているオーラが全然違った。
部長は資料から目を上げて、かなめを見た。値踏みするような目、ではなかった。ただ、真っすぐに見ていた。
「DX推進課の方ね。権藤課長と……」
「松尾かなめです。今月着任しました」
「そう」
それだけ言って、部長は資料に視線を戻した。
かなめたちが座るのを待ってから、口を開いた。
「単刀直入に聞くわ。今のDX推進課の活動が、会社の業績にどう貢献しているか、説明してちょうだい」
権藤課長が口を開こうとした。かなめが少し早く動いた。
「研究開発部向けに、勤怠管理と出金依頼の自動化ツールを展開しました。現在、研究開発部の22パーセントが利用しており、先週比で8名の利用者が増加しています」
「22パーセント」と部長が繰り返した。
「つまり、78パーセントは使っていないということ?」
「まだ展開を始めて2週間です」
「じゃあ、3年間で、何か達成したことある?」
かなめは権藤課長を見た。権藤課長が少し目をそらした。
「Salesforce、Slack、Notion、RPAを導入しました」とかなめが答えた。
「Salesforceの現在の利用状況は?」
「……営業部の一部が月次で利用しています」
「RPAは?」
「経理部との調整が難航し、現在は停止しています」
部長が赤ペンを手に取った。資料に何かを書き込んだ。かなめには見えなかった。
「つまり、3年間でツールを4つ入れて、全部うまくいかなかった。そういうことね」
「失敗から学んで、アプローチを変えています」
「何を変えたの」
「ツールを入れる前に、使う人と一緒に考えるようにしました。ハンズオン会を開いて、体験してもらうことで、利用が広がり始めています」
部長がかなめをじっと見た。かなめも、視線をそらさなかった。
「あなた、研究開発部から来た子ね」
「はい」
「Pythonでツールを作れると聞いたわ」
「……誰から聞いたんですか」
「社内のことは、だいたい把握しているから」
かなめは少し驚いた。着任して1ヶ月も経っていない自分のことを、この人はもう調べていた。
「研究職の人間がDXをやる。面白い人事だと思って、少し気になっていたの」
「それで呼んだんですか」
「気になったら、直接会って話を聞く。それが私のやり方よ」
部長は資料をまとめた。
「正直に言うわ」
かなめは背筋を伸ばした。
「私は、DX推進課に懐疑的なの。この3年間を見てきて、ツールを入れるたびに現場が混乱して、結局誰も使わないものが増えていった。そのたびに予算が消えていった。私は数字を管理する立場だから、費用対効果を見る。今のところ、DX推進課の費用対効果は、私には見えない」
かなめは口を開こうとした。
部長が続けた。
「だから、3ヶ月後の経営会議で提案するつもりよ。DX推進課の解体を」
会議室が、しんと静まり返った。
権藤課長が「え」と小さく声を出した。
かなめは、黒川部長の目を見た。冷たい目ではなかった。感情を排した、ただ真っすぐな目だ。
「解体、ですか」
「そう。3ヶ月以内に、数字で見える成果を出してちょうだい。業績への貢献が見えなければ、DX推進課を存続させる理由が、私には見つからない」
「3ヶ月で、何を見せればいいですか」
部長が少し目を細めた。おそらく、かなめがそこを聞くとは思っていなかったのだろう。
「業務効率化による、具体的な工数削減。数字で出してちょうだい。感想文はいらないわ」
「わかりました」
「……わかった?」
「はい。3ヶ月でやります」
権藤課長がかなめの方を見た。「え、松尾さん?」という顔だ。かなめは無視した。
「それともう1つ、いいですか」
部長が「なに」と言った。
「3ヶ月後に、工数削減の数字とは別に、もう1つ、黒川部長にお見せしたいものがあります」
「何を」
「今は、まだ言えないです」
部長が片眉を上げた。かなめはひるまなかった。
「数字だけじゃなくて、もっと大事なものが見えると思うので。3ヶ月、待ってください」
部長はしばらくかなめを見ていた。5秒か、10秒か。かなめには長く感じた。
それから、部長はかすかに口の端を上げた。笑った、というより、少し面白そうにした、という感じだった。
「……いいわ。見せてもらいましょう」
「ありがとうございます」
「期待はしていないけれど、注目はしているわ。以上よ」
部長は立ち上がった。
廊下に出たとき、権藤課長が大きなため息をついた。
「……解体」
「課長、大丈夫ですか」
「大丈夫じゃない。3ヶ月で解体って、無茶じゃないか」
「無茶ですね」
「なのに、なんで『やります』って言ったの。しかも最後、何を見せるつもりなの?」
かなめはエレベーターのボタンを押した。
「まだ、ちゃんと決まってないです」
「決まってないのに言ったの?」
「言わなかったら、即解体じゃないですか。3ヶ月、余裕ができました」
「……賭けじゃないか」
「研究職は、仮説を立てて実験するのが仕事なので。まず言ってみて、あとから考えるのが癖になってます」
権藤課長がかなめを見た。しばらく黙ってから、ふっと笑った。
「松尾さん、度胸あるね」
「ありがとうございます。でも課長、1つお願いがあります」
「なに」
「黒川部長の、普段の業務を教えてもらえますか。管理本部で、毎日何をしているか、どんな作業が多いか」
「……何をするつもり?」
かなめはエレベーターに乗り込みながら答えた。
「黒川部長が、自分でびっくりするものを作ります」
「どういう意味?」
「デジタルが苦手な人が、触ってみたら思わず『これは便利だ』と言ってしまうものです。アナログなやり手の人ほど、本当に効率化されると、効果を肌で感じるので」
権藤課長がぽかんとした顔をした。
「……本当に作れるの?」
「3ヶ月あるので。たぶん」
「たぶん、か」
「確実、とは言えないので」
ドアが閉まった。
DX推進課に戻ると、松川さんと早乙女くんが「どうだったっすか」という顔でこちらを見ていた。
権藤課長が重い口を開いた。
「……3ヶ月で成果が出なければ、部署を解体するって言われた」
松川さんがコーヒーカップを置いた。
早乙女くんがプロテインを飲むのを止まった。
Teamsから毛利さんのメッセージが来た。
毛利:今の会話、聞こえていました。
毛利:解体、ですか。
「毛利さん、聞こえてたんですか」
毛利:権藤課長のPCのマイクがオンになっていたので。
「それは……すみません、プライバシーが」
毛利:いえ、聞けてよかったです。状況を把握できましたので。
しばらく沈黙が続いた。
松川さんが「どうするの」と言った。いつもより声が、少し真剣だった。
かなめは全員を見回した。
権藤課長、松川さん、早乙女くん、そしてTeamsの画面の向こうの毛利さん。
「3ヶ月で、工数削減の数字を出します。勤怠と出金依頼の自動化ツールを全社に広げて、1人あたり何時間削減できたかを積み上げます。それだけじゃなくて、管理本部向けに、もう1個、新しいツールを作ります」
「管理本部向け?」と早乙女くんが聞いた。
「黒川部長が毎日使う業務を、自動化します。経理の集計、報告書の作成、会議の議事録。あの人が自分で触って、自分でびっくりするものを」
「……デジタルが苦手な人に、デジタルのツールを使わせるの?」と松川さんが言った。
「苦手だからこそ、効果を一番感じてくれると思います。使い慣れた人より、初めて使った人のほうが、変化に驚く」
Teamsから毛利さんのメッセージが来た。
毛利:管理本部向けのツール、私が業務内容をリサーチします。黒川部長の1日のスケジュールと、どんな資料を作っているかを調べます。あと、黒川部長の趣味も」
「毛利さん、どうやって調べるんですか、それと趣味まではいりません」
毛利:社内のいろんなところに、情報はあります。私、調べるのは得意なので。
「頼りにしてます」
毛利:解体されたくないので、頑張ります。
毛利:率直すぎましたか。
「いいえ、正直で助かります」
早乙女くんが「俺、ハンズオン会の集客と各部署への根回しやりますよ。コミュ力だけは誰にも負けないんで」と言った。
松川さんが「私は……何をすればいいかな」と言った。
かなめは少し考えてから言った。「松川さん、社内で顔が広い人って誰ですか。各部署に話を通してくれる人」
「あー、それなら何人か知ってるよ」
「紹介してもらえますか。管理本部に話を通すのも、1人じゃ限界があるので」
松川さんが「それくらいならできるよ」と言った。
3年間、何もしてこなかったように見えた人たちが、今は全員、前を向いていた。
かなめはメモ帳を開いた。
やることが、3つある。
1つ目、勤怠・出金依頼ツールを全社展開して工数削減の数字を出す。
2つ目、管理本部向けのツールを作って、黒川部長に体験させる。
3つ目、その2つを3ヶ月でやりきる。
無茶だな。でも、燃える。
その夜、1人で残ったかなめのPCに、Teamsの通知が来た。
毛利:松尾さん、黒川部長の業務リサーチ、少し始めました。
「もう始めたんですか」
毛利:早いほうがいいので。管理本部は毎月末に全部署の経費集計レポートを手作業でまとめているようです。各部署からExcelを集めて、1つのファイルに手でコピーしているらしいです。
かなめは少し前のめりになった。
「それ、どのくらい時間かかってますか」
毛利:管理本部の庶務担当の方が、毎月末に丸2日かけてやっているようです。
丸2日。
かなめは計算した。月に2日、年に24日。1人の労働時間として、相当な量だ。
「毛利さん、それ、自動化できますね」
毛利:だと思いました。各部署のExcelを自動で集計して、レポートを1クリックで生成するツールですね。
「そうです。しかも、黒川部長が普段Excelを使っているなら、操作感はそんなに変わらない。入口はExcel、中身はPythonで自動化、という作りにすれば、デジタルが苦手な人でも使えます」
毛利:なるほど。見た目はExcel、中身は魔法、ということですね。
「うまいこと言いますね、毛利さん」
毛利:たまには、うまいことを言います。
毛利:これ、黒川部長が使ったら、びっくりすると思います。毎月2日かかっていた作業が、5分で終わるので。
かなめはメモ帳に書き込んだ。
「見た目はExcel、中身は魔法」
黒川部長が自分で触って、自分で驚く。数字だけじゃない、体験で伝える。それは、田村さんのときと同じやり方だ。
3ヶ月で、やってやる。
毛利:あと、観葉植物に今日水やってくれましたか。
「やりました」
毛利:ありがとうございます。おやすみなさい。
通知が止まった。
かなめはメモ帳を閉じた。
この部署が好きになりかけていた。権藤課長の根拠のない明るさも、松川さんの正直な「難しいよ」も、早乙女くんの謎のコミュ力も、毛利さんのTeams越しの几帳面さも。
全部、なくしたくなかった。
私、DXしちゃいます。
3ヶ月以内に。絶対に。
第5話へつづく
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