創戯旅団 理念の記録-SM奇譚 第25夜-頭脳の寄算
〜8月22日 21:00
或る深夜、自分の頭蓋を点検してみたくなる時刻がある。点検とは、医学的なそれを意味しない。意味的なそれである。意味的な頭蓋の点検とは、ひと言に縮めれば、こうである。自分という容器が、いま正常に作動しているのか否か、と。複数の人間は、その問いを、夜半の寝台の中で発する。発する相手は誰もいない。発した以上、あとは自分で回答を用意するしかない。回答を用意する行為そのものが、その人を、じわりと、いやがうえにも赤裸にしていく。私は、その赤裸を、過去に一度ならず目にした者の一人である。赤裸を突きつけられた者は、普通、目を伏せる。伏せた目の奥で、その赤裸と、長い時間を過ごす。過ごした時間の長さによって、或る者は諦めへ、或る者は嗤いへ、或る者は祈りへと、姿を変えていく。人の一生は、長い廊下のようなものだと思う。廊下には、折々、分岐が置かれている。分岐は、ときに扉であり、ときに階段であり、ときに窓である。中年の頃までに、大半の人間は、その扉のいくつかを自ら選び、階段のいくつかを自ら昇り、窓のいくつかを自ら開けてきた、と思う。それを選ぶという行為そのものが、人を成熟させる、という事には、おそらく間違いがない。尤も、これは、世間では当たり前すぎる話である。尤もからこそ、当たり前の話として、ここでもう一度、立ち止まって思い起こしておきたい。立ち止まる事には、慣性だけでは到達できない地味な力が要る。地味な力を育てるためにこそ、長い廊下は、長いままに、伸び続けているのである。では、その当たり前の延長から、ほんの数歩、外れた場所へ踏み出した者については、どうであろう。例えば私の場合はどうか。私の経営の上での分岐点は、三つあった。一つ目に、夜の仕事を、生計を立てる手段として、人生の本流に据える、という分かれ目。二つ目に、その夜の業のうち、風俗という種類を選ぶ、という分かれ目。三つ目に、その風俗のうち、SMクラブという、より狭い楼閣を選ぶ、という分かれ目。この三つの折り目が重なる一点に、いま、私の靴の底が置かれている。一点を真っ当と呼ぶか否かは、見る者の視座によって分かれるだろう。仮にそう呼ぶ者がいたとしても、おそらく少数派ではあるまいか。ただ、ここまでは、おそらくまだ、人、と呼ぶことが憚られない領域である、とだけは思う。憚られないという弱い語を、正確に使い分ける事にも、また一つの修練が要る。その先である。。三つの分かれ目を経てなお、自分の観点の中だけで、性に関する事象を、あるいは性に纏わる情趣を、執拗に深掘りし始めた者がいたとしたら、その所作は、常識という語の及ばない圏域に属する。生活を成り立たせる手段とは、別の方角へ伸びる鋤だからである。鋤は鋤として扱えば事足りる。それを、情趣の領分にまで構えを持ち込むのは、また別の話である。最終的にお金に繫がる、という迂路を経由するとしても、その迂路は、十分に遠い揺れ方をする。揺れ方を読まずに飛び乗れば、地面のいずれかに、足の骨を預ける事になる。それを選ぶ好奇心を、純粋な好奇心と呼ぶことは、出来なくはない。だが、その好奇心に自分の全生を賭ける人間は、おそらく稀である。常識ある構えの中で、選び得る限りの選択肢を真面目にくまなく吟味した末に、その好奇心に全生を賭ける、という結論に迪り着く者は、まず居ないと見てよい。だから、時に、人外、あるいは基地外、といった自虐が、ふと口をついて出る。自虐は、自らを客観視する一つの手立てである。手立てを持たぬまま深みに嵌まり込んでいく者は、誰も、救われない。
私の頭脳は、テスラやエディソンの頭脳の、ごく僅かな割合にも届かない。これも、自虐ではなく、事実として申し添えておく。私の脳は、特に傑出した機構を内蔵しているわけでもなく、かといって致命的に劣っているわけでもない。平均より、ほんの僅かばかり、特定の方角に偏った、只の脳である。だからこそ、私は、一つの戦術を、ひそかに練り上げてきた。参与、あるいは寄り算、とでも呼ぶべき戦術である。読者様、お客様、女王様、同業者様、業界のご関係の方々、これらの相異なる立場の皆様方に、一つの思考実験にご参加いただき、その結果を、私の脳へ外付けとして加わっていただこう、というのである。もし叶うならば、何百という異質な頭脳が補完的に推論に加わり、数字の上では、テスラやエディソンの、それこそ何百分の一の脳の性能で、深掘りの到達点を引き上げる事が出来るかもしれない。彼らが性に関する何かを発明したという話は寡聞にして知らない。仮に迪り着いたとしても、到達点は、性に関する何かである。その齟齬を、私は充分に承知している。承知のうえで、書面化を試みる。この、書面化を試みるという一点こそが、基地外の精神と、人外の行動力の、私の側での結合点である、と自己分析している。自己分析は、時に滑稽な結論を私に押し付ける。押し付けられた結論は、滑稽なだけならば、まだ宜しい。だが、私がその結論に取り組み続ける限り、滑稽は次第に、或る覚悟へ組み替えられていく。私は、この組み替えの工程を、まだ終わり切っていない。工程の途中にある、という自覚だけは、確かに持ち合わせている。ここまでが、創戯旅団という読み物の、私自身による、足元の測量である。
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ここまで私は、創戯旅団という読み物を、なぜ書き続けているのかについて、自分自身の頭蓋を点検するように書いてきました。
自分は何者なのか。
なぜ、性風俗という世界をここまで深く掘り続けるのか。
なぜ、単なる店舗ブログではなく、これほどまでに長い読み物を作ろうとしているのか。
そしてなぜ、私一人の頭脳だけではなく、読者様、お客様、女王様、同業者様、業界関係者様――異なる立場の人間たちの思考を、創戯旅団という一つの容器の中に集めようとしているのか。
ここまでは、その「理由」の話でした。
しかし、ここから先は少し話が変わります。
ここから私は、創戯旅団を使って、この先に何をしようとしているのかを書きます。
どこから読者が来ているのか。
それぞれの読者に、私は何を届けようとしているのか。
そして、私が「三期目」と呼んでいる次の段階で、店とお客様と女王様の関係を、どのように組み替えようとしているのか。
さらにその先には、私が十三年以上の風俗人生の中で、何度も失敗しながら、それでも未だに諦めきれずにいる、一つの構想があります。
それは、単なる集客の話ではありません。
単なる店舗運営の話でもありません。
ましてや、私一人の成功談を語る話でもありません。
「創戯旅団が存在することで、SMクラブという業態そのものに何が起こり得るのか」
その可能性について、ここから先は、もう少し踏み込んで書いてみようと思います。
ここから先は、私の頭蓋の中だけで組み立ててきたものを、少しずつ外へ開いていく話です。
もし興味を持っていただけるのであれば、どうぞ、この先へ。
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