⑭世界禁書図書館~SM・退廃・倒錯文化研究~『Venus in Furs』サッヘル=マゾッホマゾヒズムの原典を読むepisode.14 「現代Femdom文化との接続」(SM奇譚 創戯旅団 外伝第66夜)
〜8月24日 19:30
■深夜二時、光る画面という新しい書物
司書は今夜、書架ではなく、一台の古い端末を持って現れた。画面には、無数の投稿が流れるタイムラインが映し出されている。「これまで私たちは、紙に印刷された物語を読んできました」と司書は言った。「しかし今夜は、少し違う種類の“テクスト”を読み解いていきます。SNSという、絶えず更新され続ける画面の中に現れた、新しいFemdom文化についてです」彼女は端末を置いた。ろうそくの炎が、液晶の光と奇妙な対比をなしている。「なぜ、この現象は、この時代に、この形で生まれたのか。今夜はその社会学的な背景を、丁寧に見ていきましょう」
SM奇譚 創戯旅団 外伝第66夜
世界禁書図書館~SM・退廃・倒錯文化研究~
『Venus in Furs』サッヘル=マゾッホ
マゾヒズムの原典を読む
episode.14 「現代Femdom文化との接続 ※2026年07月25日21時44分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年07月25日21時44分【note有料投稿】
■第一章:メディアが変えた「見せ方」の構造
「まず押さえておくべきは、Femdomという文化そのものは、決して新しいものではないということです」と司書は言った。「私たちがこの連載で追いかけてきたように、女性支配者というアーキタイプは、少なくとも150年前のワンダという人物像にまで遡ることができます」

「重要な変化は、内容そのものよりも、“発信の構造”にあります」と司書は続けた。「かつては、Femdomという世界観を表現するためには、出版社や専門誌といった“仲介者”が必要でした。しかしSNSという媒体は、この仲介者を必要とせず、個人が直接、自分の世界観を発信できる環境を作り出しました」
この構造変化は、Femdomという文化に限った話ではない。あらゆる自己表現、あらゆるアイデンティティの提示が、SNSの登場によって、より個人化され、より直接的な形を取るようになった。Femdom文化の可視化は、この大きな社会的変化の、一つの現れに過ぎないのだと司書は指摘する。
「加えて、仲介者の消失は、もう一つの副産物を生みました」と司書は続けた。「かつて出版社や専門誌が担っていた“編集”や“検閲”という機能もまた、同時に消えたのです。かつては第三者の目を通過しなければ世に出なかった表現が、いまでは個人の判断だけで、瞬時に不特定多数へと届いてしまう。この編集不在の状態は、表現の自由度を飛躍的に高めた一方で、文脈の説明や配慮を欠いたまま、断片的な形で拡散されるという新しい問題も生み出しました」「さらに、アルゴリズムという第三の要因も見逃せません」と司書は続けた。「専門誌の時代であれば、編集者という人間の判断が、何を読者に届けるかを決めていました。しかしSNSの時代においては、その役割の一部を、機械的な選別基準が担うようになっています。どのような投稿がより多くの目に触れ、どのような投稿が埋もれていくのか。この選別の力学は、発信者自身の意図とは無関係に、表現の形そのものを少しずつ変えていきます。強い視覚的インパクトを持つ投稿ほど拡散されやすいという傾向は、Femdomという文化の“見せ方”にも、静かな圧力として作用しているはずです」
■第二章:「権力関係の可視化」という現象
司書は端末の画面を、司書らしくゆっくりとスクロールさせた。「SNSが可能にしたもう一つの重要な変化は、それまで私的な空間の中に閉じられていた“権力関係”そのものを、公の場に可視化できるようになったという点です」

「これは、単に“隠されていたものが暴露された”という単純な話ではありません」と司書は言う。「むしろ、権力関係というものを“表現の一形式”として、意図的に演出し、提示するという、新しい実践が生まれたと理解する方が正確でしょう」
この可視化は、社会学における「自己呈示(self-presentation)」という概念とも深く関わっている。社会学者アーヴィング・ゴフマンは、人間の日常的な振る舞いそのものを、一種の「舞台上の演技」として分析した。SNSという舞台は、この自己呈示のプロセスを、かつてないほど意図的で、編集可能な形式へと変化させた
Femdomという世界観を発信する人々は、この新しい舞台装置を用いて、権力関係というテーマを、一つの表現様式として洗練させていったのだと言えるだろう。
「興味深いのは」と司書は付け加えた。「ゴフマンが論じた“表舞台”と“舞台裏”という区分が、SNSの中ではきわめて曖昧になるという点です。投稿という行為そのものが表舞台での演技でありながら、同時にそれは、私的な欲望の吐露でもある。この二重性こそが、SNS上のFemdom表現を、単なる娯楽的な演出とも、単なる私的な告白とも言い切れない、独特の中間的なテクストにしているのです」司書は少し間を置いてから、続けた。「この二重性は、発信者自身にとっても、常に安定したものではありません。ある投稿は純粋な演出として始まったはずが、反応を重ねるうちに、発信者自身のアイデンティティの一部として内面化されていく。逆に、私的な感覚から出発した表現が、観客の期待に応える中で、次第に様式化された“演技”へと変化していくこともあるでしょう。表現と自己認識が、互いに影響を与え合いながら形を変えていく過程そのものが、SNS時代のFemdom文化を理解する上で、重要な鍵になるのだと思います」
■第三章:なぜ「女性支配者」という像が、この時代に前景化したのか
「もう一つ、社会学的に興味深い問いがあります」と司書は続けた。「なぜ、この時代において、“女性が支配する”という像が、特に前景化したのでしょうか」

「一つ確実に言えるのは、これは単一の原因に還元できる現象ではないということです」と司書は言う。「ジェンダーをめぐる社会的な議論が活発化する中で、“女性が主導する”という表現そのものが、これまでとは異なる文脈で受け止められるようになった。この社会的な土壌が、Femdomという表現が、より広く可視化される条件を整えたのだと考えられます」
同時に、この現象は、既存のメディアが長らく描いてきた「受け身の女性像」に対する、一種の対抗的な表現としても理解できる。自らの欲望や主導権を、自分自身の言葉と画像で定義し直すという行為は、単なる性的な表現を超えて、自己決定というテーマとも接続している。
「もう一つ付け加えるならば」と司書は静かに言った。「経済的な側面も無視できません。SNSという媒体は、個人が自らの表現を通じて経済的な自立を図る手段としても機能するようになりました。Femdomという世界観の発信が、ある種の“職業的実践”としての側面を帯びるようになったことも、この時代特有の現象だと言えるでしょう。これは150年前、ワンダという像が文学という媒体を通じてしか流通しえなかった時代とは、根本的に異なる経済構造です」「この経済的側面は」と司書は続けた。「表現そのものの性質にも影響を及ぼします。かつて文学作品として描かれたワンダ像は、あくまで作家サッヘル=マゾッホという一人の人物の内的な欲望と想像力の産物でした。しかし職業的実践としてのFemdom表現においては、受け手の期待や需要という、外部からの要因が、表現の内容そのものを形作る力を持つようになります。これは、自己表現としての側面と、市場に対応するという側面が、常に緊張関係の中にあることを意味します。この緊張関係こそが、現代のFemdom文化を、単純な“自己解放の物語”としてだけでは語れないものにしているのだと、私は考えています」
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ここまでの無料パートでは、
文学から専門誌へ。
そして専門誌からSNSへ。
Femdomという文化が、
「何を表現してきたのか」ではなく、
「どのように見せられるようになったのか」という
メディア構造の変化を追ってきました。
そして今夜、
私たちはいよいよ一つの重要な地点へ到達します。
それは、
「観客」という第三の存在です。
かつての支配と服従は、
基本的には二人の関係として成立していました。
しかしSNSの時代。
そこには、
「見る者」が存在します。
支配者。
服従者。
そして、その二人を見つめる無数の観客。
この第三項の登場によって、
支配と服従という関係性そのものは、
どのように変わったのでしょうか。
『毛皮を着たヴィーナス』に描かれた
ワンダとゼヴェリンの閉じた契約。
そして現代SNSにおいて、
不特定多数の視線に晒されながら
更新され続けるFemdom表現。
一見すると、
まったく異なる二つの世界です。
しかし、その間には、
150年という時間を超えて
奇妙な共通点が浮かび上がります。
さらに、
「観客」は本当にただの傍観者なのか。
「いいね」やコメント、
フォローや拡散という行為は、
発信者の次の表現を変えてはいないのか。
もし観客が、
ただ見るだけの存在ではないとしたら。
現代Femdom文化は、
「支配者と服従者」という二者関係から、
「支配者・服従者・観客」
という新しい三者関係へ
変化したと考えられるのではないでしょうか。
そして最後に待っているのは、
「可視化」という現象が持つ、
もう一つの顔です。
理解されること。
認知されること。
社会に受け入れられること。
その一方で、
単純化されること。
記号化されること。
ステレオタイプとして消費されること。
光が強くなればなるほど、
その背後に落ちる影もまた濃くなる。
150年前、
マゾヒズムという言葉が
大衆文化の中で単純化されていったように、
現代SNSもまた、
複雑な欲望や関係性を
「わかりやすい記号」へと圧縮していく。
果たして、
私たちはその圧縮から
何を失い、
何を手に入れたのでしょうか。
ここから先は、
「観客」という新しい関係項
そして、
「可視化」がFemdom文化にもたらした光と影
について、
世界禁書図書館の地下三階から、
もう一度ゆっくりと考えてみたいと思います。
📖
あなたが今、
画面の向こう側から
この物語を読んでいるということ。
その「読む」という行為そのものが、
もしかすると今夜のテーマにおける
「観客」の一つの姿なのかもしれません。
それでは。
書架の奥へ、
もう一歩だけお進みください。
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7月25日 19:30 〜 8月24日 19:30
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