創戯旅団 生存の記録-SM奇譚 第19夜-灯の外郭
文章を書くたび、私はいつも同じ誤りを犯す。目の前にいるたったひとりに向かって話しかけているような気になってしまうのだ。けれど実際には、言葉の向こうにはいくつもの顔がある。雨上がりの軒先にぶら下がる雫のように、それぞれ異なるかたちの関心が揺れている。こちらを試す者、慰めを欲する者、何か新しい眺めを求めている者、ただ退屈を紛らわせたいだけの者。誰も同じ色をしていない。にもかかわらず、私はしばしば途中からそれを忘れ、喉の奥で煮えていたものを鍋ごとひっくり返すように語り始めてしまう。熱くなると止まらない、というのは性分というより、たぶんもう骨格なのだろう。肋骨の内側にあるべきものが、ときどき外へ向かって生えてくる。だから、いま書こうとしていることも、本来は誰か一人だけに向けるべきではない。客へ、女たちへ、まだこの場所を知らない未来の通行人へ、そして何より、自分自身へ。店が第三期に入る。そう口にした瞬間、どこか大仰な年表の響きが混ざるが、実際のところ、それは時代の始まりというより、古い皮膚をはがすときの痛みに近い。皮膚はいつだって、自分の肉といちばんよく癒着している。はがすべきものほど、自分の一部みたいな顔をしている。だから決断は、たいてい清々しくない。もっと湿っていて、鈍く、指先に嫌な温度が残る。
第一期のことを思い返す。あのころ、店にはまだ、店と呼べるほどの輪郭がなかった。理念より先に疲労があり、構想より先に汗があった。雨の中で柱を立てる者のように、私たちはただ、倒れないように何かを組み上げ続けていた。図面はたびたび風にさらわれ、釘は泥の中で見失われ、それでもどうにか火だけは消さないようにしていた。そう、あれは店というより焚火に近かったのだと思う。客も、働く女たちも、私も、皆その火のまわりに寄り、手探りで自分の位置を確かめていた。まだ誰も、何が中心で何が周縁なのかを知らなかった。世界が世界として固まりきる前の、やわらかな泥の時間だった。その混沌を、私は嫌ってはいなかった。未完成なものには、未完成なものだけが持つ慈しみがある。角の取れていない器の縁に指をかけるとき、人はそこに不器用さだけでなく、誰かがそこまで作った時間そのものを感じる。第一期には、そういう時間のぬくみがあった。客も女たちも、互いに何かを測りかねながら、それでもわずかな善意を持ち寄って、その場をひとまず成立させていたように思う。無論、それは甘さでもあり、未熟でもあった。だが、創世記とはたいてい、未熟さの別名である。
やがて第二期が来た。そこには中心があった。夜空に二つの異様に明るい星が現れ、その重力のまわりに空気ごと組み替えられていくような時期だった。強い女というのは、ただ技量があるだけでは足りない。場の温度を変える。人の目の向き方を変える。沈黙の質さえ変えてしまう。才能という言葉は便利だが、あれは才能などという整った箱には収まらない。もっと乱暴で、もっと巨大な炉だった。ほかの者が薪を一本ずつ拾い集めているあいだに、彼女たちは山の稜線そのものを折って火にくべる。客はその熱に惹かれ、店はその熱によって夜を越えた。しかし、強い光のもとでは、影もまたくっきりと深くなる。中心があるということは、そこから零れ落ちる者がいるということだ。しかも、女王を名乗るような女たちは、往々にして群れに向いていない。互いに牙の長さを見せ合うことには長けていても、同じ方角へ歩調を揃えることは苦手だ。協調という言葉は、彼女たちの耳に入ると、すぐに飾りの悪い金具みたいに外れてしまう。五人いれば五つの孤島ができる。海図の上では近く見えても、それぞれの地層は繋がっていない。
私はそのころ、自分が何者なのかよく分からなくなることがあった。監督なのか、介添えなのか、掃除夫なのか。采配を振るうような顔をしながら、実際には場にこぼれた感情を雑巾で拭いて回っていただけではないか、と思う夜もあった。誰かの機嫌、誰かの嫉妬、誰かの勘違い、誰かの誇大な自意識。そういうものが目に見える埃のように降り積もり、気づけば床が滑りやすくなっている。転ぶのはだいたい、鈍感な者ではなく、真面目な者からだった。それでも船は進んでいた。進んでいるように見えた。疫病が街を黙らせるまでは。あの長い沈黙の季節が明けたとき、店は以前とは別の場所になっていた。人が減ったとか、活気が失われたとか、そういう単純な話ではない。もっと根のほうで、時間の流れ方が変わっていた。これまで二つの強い星が引き受けていた重力が少しずつ弱まり、その下にいた者たちの輪郭が急に露出し始めたのである。すると、見たくなかったものまでよく見えるようになる。技量の不足。覚悟の薄さ。客の沈黙を読み違える鈍さ。あるいは、自分が選ばれていないという事実を認識する力の欠如。指名の数というものは、残酷なくらい端的だ。言い訳の余地をほとんど与えない。まるで冬の川の水位みたいに、下がったぶんだけ岸の汚れた線が露わになる。客は正確だ。いや、正確というより、冷たいほどに感覚が鋭い。彼らはサービスを受けに来るだけでなく、自分の欲望に見合う質を測りに来ている。声の置き方、沈黙の間合い、視線の刺さり方、触れ方に宿る迷い。そういう微細なものを、彼らは驚くほどよく覚えている。そして、一度「違う」と感じた相手に対しては、慈悲のない速度で距離を取る。渡り鳥がある朝ごっそりいなくなるように。問題は、去っていく客より、残される側にあった。自分が避けられていることに気づけない者。自分の不出来を偶然や他人のせいにし続ける者。そういう人間は、たいてい自分より弱い場所を探してそこに重さを預ける。腐敗は臭いから始まるのではない。責任の置き場所が歪むところから始まるのだ。第二期の終盤、店には濁った水槽のような息苦しさがあった。見た目にはまだ水は張られている。魚も泳いでいる。だが底では見えない藻が増え、酸素が薄くなり、何かが静かに死に始めている。私にはそれが分かっていた。分かっていて、なおしばらく決断を先延ばしにしたのは、たぶん私自身がその水の中に長く浸かりすぎて、腐りかけた温度に慣れてしまっていたからだろう。
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第三期で私が何を切り捨て、何を残したのか。
待機所を廃止した本当の理由。
女王様の採用基準を大幅に変更した理由。
完全予約制・自宅待機へ移行した経営思想。
広告媒体との向き合い方。
「文章」で店を変えるという挑戦。
そして、創戯旅団麻雀部を立ち上げようと思った理由まで――。
単なる営業方針ではなく、第三期の設計思想を包み隠さず書いています。
ここから先は、創戯旅団という物語の中核になります。
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この記事では以下の内容を詳しく収録しています。
■ 第三期で店を根本から作り直した理由
■ 女王様の採用条件を変更した背景
■ 「待機所廃止・完全予約制」に踏み切った真意
■ 自宅待機制度に込めた経営哲学
■ 指名が取れない理由をどう考えるべきか
■ 「女王様」という肩書きを一度地上へ降ろした理由
■ 広告費に依存しない店舗運営への挑戦
■ なぜ私は写真より文章を書くことを選んだのか
■ 創戯旅団麻雀部を立ち上げようと思った理由
■ 第三期を支える「姿勢」という考え方
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