世界禁書図書館~SM・退廃・倒錯文化研究~『Venus in Furs』サッヘル=マゾッホマゾヒズムの原典を読むepisode.13 「“主従関係”はどこまで本物か」(SM奇譚 創戯旅団 外伝第65夜)
〜8月24日 01:00
■深夜二時、鏡の間へ
司書は今夜、書架の奥にある小部屋へと案内した。そこは、これまで私たちが足を踏み入れたことのない場所だった。地下三階の世界禁書図書館。無数の禁書と稀覯本が眠るこの巨大な図書館の、そのさらに奥。普段なら決して開かれることのない重い扉を抜けると、そこには壁一面に鏡が張り巡らされた、不思議な部屋が広がっていた。正面にも鏡。左右にも鏡。天井にも鏡。どこを見ても、自分の姿が映っている。しかし、その姿は一つではない。鏡から鏡へと反射を繰り返し、無限に続いている。
司書はその中央に立っていた。「前回まで、私たちはこの物語が世界にどう広がっていったかを追いかけてきました」彼女はそう言って、静かに振り返った。「今夜は、原点に立ち返ります」
司書は一冊の古い本を手にしていた。その表紙には、こう書かれている。『Venus in Furs』「セヴェランとワンダが結んだ、あの契約です」
彼女は本を開いた。「いったい、あの二人の関係は、どこまで“本物”だったのでしょうか」鏡の中の司書が、一斉にこちらを見つめている。「ワンダは本当にセヴェランを支配していたのでしょうか」「それとも、彼女はセヴェランが望む“支配者”を演じていただけだったのでしょうか」「そしてセヴェランは、本当に服従していたのでしょうか」司書は少しだけ間を置いた。「あるいは、服従する自分自身を演じることで、最も強烈な欲望を実現していたのでしょうか」演技と現実。支配と服従。契約と自由。本気と虚構。「この境界線がどこにあるのかという問いは、実はこの物語が書かれた150年前から、今この瞬間に至るまで、誰も完全には答えを出せていない問いなのです」司書は鏡の中の自分を見つめた。「そして、おそらく答えを一つに決めてしまった瞬間に、この物語の面白さは失われてしまうのでしょう」
SM奇譚 創戯旅団 外伝第65夜
世界禁書図書館~SM・退廃・倒錯文化研究~
『Venus in Furs』サッヘル=マゾッホ
マゾヒズムの原典を読む
episode.13 「“主従関係”はどこまで本物か」
※2026年07月25日00時55分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年07月25日00時55分【note有料投稿】
■第一章:小説の中の“演技”という手がかり
「まず、原作そのものに立ち返りましょう」司書は本を開いた。「『Venus in Furs』を丁寧に読むと、セヴェランとワンダの関係が、単純な“本物の主従関係”として描かれているわけではないことに気づきます」
物語の中には、明確な契約があります。服従する者。命令する者。その関係の範囲。許される行為。そして、関係が成立するための条件。一見すると、非常に明確です。しかし、その契約を支えているものを一枚ずつ剥がしていくと、次第に奇妙な構造が見えてくる。
司書は黒板に、三つの層を書いた。

「契約書という第一層は、明確です」司書は言った。「紙に書かれ、署名され、条件が明示されています」しかし、第二層に進むと、少し事情が変わる。「契約書に書かれた内容と、実際に二人の間で起きることは、必ずしも完全には一致しません」
さらに第三層。セヴェラン自身の内面。ここに至ると、すべてが曖昧になる。彼は本当に苦しんでいるのか。それとも、苦しむことを望んでいるのか。彼は本当に屈辱を感じているのか。それとも、屈辱を感じる自分自身に快楽を見出しているのか。彼はワンダに支配されているのか。それとも、ワンダを自分が望む支配者に仕立て上げているのか。
「ここが非常に重要なところです」司書は言った。「セヴェランは、単純に“支配されたい人間”ではありません」
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ここから物語は、いよいよ『Venus in Furs』の核心へと踏み込んでいきます。
セヴェランは、本当にワンダに支配されていたのでしょうか。
それとも――。
彼が求める「理想の支配者」を、ワンダに演じさせていたのでしょうか。
そして、もし後者だとするなら。
「支配している者」と「支配されている者」の立場は、本当に私たちが考えているほど単純なものなのでしょうか。
『Venus in Furs』という作品を読み解いていくと、そこには一つの奇妙な逆説が浮かび上がります。
支配者は、服従者の欲望によって支配者になる。
服従者は、自らの意思によって服従する。
自由を持つ者が、自ら自由を手放す。
そして、その関係を成立させているのは、実は二人の共同作業なのではないか。
ここから先は、
◆ ワンダは本当に「女王」だったのか
◆ セヴェランの欲望がワンダを女王にした可能性
◆ 「演技」と「本気」の境界線
◆ ジュディス・バトラーのパフォーマティヴィティ論から見る主従関係
◆ 現代BDSMにおける「本物らしさ」の正体
◆ 「契約幻想」という、SM文化の奇妙な仕組み
◆ 自由によって選ばれる服従という逆説
◆ セヴェランが本当に求めていたもの
◆ 主従関係は「二人で書く物語」なのか
◆ そして150年前の物語が、現代のSNS・Femdom文化へどう繋がるのか
というところまで、さらに深く掘り下げていきます。
『Venus in Furs』を単なる「マゾヒズムの原典」として読むのではなく、
「支配とは何か」
「服従とは何か」
「本物とは何か」
「人はなぜ、自ら自由を手放したいと思うのか」
という、人間の欲望そのものを考えるための物語として読み直していきます。
ここから先は、鏡の向こう側です。
あなたが見ているのは、セヴェランでしょうか。
ワンダでしょうか。
それとも――。
鏡の中に映っているのは、あなた自身なのでしょうか。
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7月25日 01:00 〜 8月24日 01:00
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