創戯旅団 理念の記録-SM奇譚 第30夜-鎖の鳴る朝、まだ世界は倒れていなかった
二〇〇八年九月十五日。
世界が音を立てて傾いた日を、私は、後になってから知った。あの日、地球のどこか深い地下で、巨大な歯車がひとつ欠け、見えない機械仕掛けの文明が不気味な軋みを上げたのだと、今の私は理解している。けれど、その日の私は、そんなことにはまるで気づいていなかった。台風の目の底に立つ人間が、空の青さだけを見上げているみたいに、自分の頭上で何が起きようとしているのか、ひどく鈍感だった。無知とは、時に幸福の仮面をかぶる。何も知らない者は、まだ崖の縁に立っていても、そこを花畑だと思い込める。私はまさにそういう種類の人間だった。経済のことも、経営のことも、世の中の湿度の変化を肌で読む術も知らない。潮が引く気配を読めぬ漁師のように、空気の色が変わっていることさえ見抜けなかった。もしあの頃の私に、世相のかすかな異臭を嗅ぎ分ける鼻があったなら、この話は今ごろ武勇伝になっていたのかもしれない。だが現実は、いつだって能天気な者から順番に爪先を焼く。だからこれは成功譚ではない。じりじりと足裏から炙られた人間の、火傷の記録である。リーマン・ブラザーズが倒れたというニュースは、海の向こうで起きた火事のようでいて、翌日にはもう、こちらの空まで煤で曇らせていた。遠い国の高層ビルで起きた崩落が、どうして千葉の工場の片隅にまで粉塵を運んでくるのか、当時の私には分からなかった。だが世界というものは、ずいぶん前から一枚の薄い皮膚でつながっていたのだろう。アメリカで負った傷口から流れ出た血は、海を越え、言葉を越え、業界の垣根を越え、私たちのような場末の暮らしにまで滲み込んできた。教科書の中にしか住まないはずの大恐慌の亡霊が、実際の生活の襖を開けて入ってくるなど、私は夢にも思っていなかった。
その頃、まだエレガンスは存在していない。私とエレガンスの人生線は、夜空の別々の場所に打たれた釘のように、まだ無関係を装っていた。だが運命というやつは、見えないところで勝手に糸を張る。こちらが知らぬ間に、足首に輪をかけ、ゆっくりと引き寄せ始める。後になって振り返れば、その時すでに、私の未来は音もなく係留され始めていたのだ。十六年後、自分が厚木エレガンスの屋台骨だか人柱だか分からぬ立場で、店の息継ぎを支えることになるなど、当時の私に告げても、きっと鼻で笑っただろう。いや、笑えたならまだ幸せだ。未来はたいてい、冗談みたいな顔をして近づいてきて、気づけば胸の上に腰を下ろしている。私は父の営む小さな町工場で働いていた。小物絨毯を作る、斜陽産業の末端も末端、夕焼けのさらに向こう側みたいな場所である。繊維業界。言葉にするとそれだけで、昭和の煤けた工場の窓、乾ききらぬ糸、油と汗の混じった匂いまで立ちのぼってくる。華やかな産業ではない。時代の表通りからずいぶん遠ざかった、置き去りの仕事だ。けれど、置き去りにされた場所にも生活はある。朝起きて働き、誰かの家計を支え、子どもの学費になり、親の薬代になる。産業として古びていても、そこに流れる血だけは、どこの大企業とも同じ赤さをしていた。十二月になると、都内へ向かう電車は毎日のように遅れた人身事故。その四文字が、車内アナウンスで告げられるたび、私は胸の奥で小さな氷片を噛まされる気分になった。乗客の誰かは舌打ちをし、誰かは腕時計を見て苛立ち、誰かは慣れた顔でスマートフォンもない時代の退屈をやり過ごしていた。けれど私には、ただの遅延とは思えなかった。レールの先に散っていった人間の、その直前の呼吸を想像してしまった。どんな重さが肩に積もれば、人は鉄の塊の前へ歩き出すのだろう。どんな静けさが心を満たせば、あの轟音を救済に見間違えるのだろう。真面目な人から先に折れていく。世の中は時々、そういう残酷な順番で人を奪う。いい加減に生きられる人間なら、夜逃げもできたかもしれない。自己破産だってあった。名前を変えて、別の町で、別の誰かとして生き直すという極論だって、選択肢の棚には一応並んでいたはずだ。だが、真面目な人は自分を捨てられない。家族を捨てられない。責任を捨てられない。だから最後には、自分の命そのものを捨てる。私は電車の遅延に腹を立てたことがない。むしろ、止まった車内でぼんやり吊革につかまりながら、世界は今こんなところまで壊れているのかと、途方もなく暗い海を見下ろす気持ちでいた。赤の他人の死なのに、他人事ではなかった。明日は我が身。その言葉は脅しではなく、当時の空気そのものだった。
当然、父の工場も無傷では済まなかった。いや、もともと無傷でいられるような身体つきの会社ではなかった。借金という名の見えない骨組みで、なんとか姿勢を保っていた小さな建物である。私が戻った時点で、すでに自転車操業だった。母の嘆きを聞きながら育った私は、そのことを薄々ではなく、ほとんど確信に近い形で知っていた。若い頃、別の場所で働いていた私を父が呼び戻そうとした時も、親心だけではあるまいと思っていた。跡継ぎがいれば銀行の顔色が少しはましになる。融資の糸が一本でも細く長くつながる。そういう計算が父になかったとは思わない。実際、戻って帳簿を見た私は、総勘定元帳の数字の並びから、会社の肺がずいぶん前から水で満たされていたことを知った。ここから先は延命治療だな、と私は思った。完治ではない。再生でもない。どれだけ長く、息を止めずにいられるか。その勝負でしかなかった。父も知っていたはずだ。私も知っていた。だが知っていてなお、すぐには終われないことがある。会社というのは不思議なもので、帳簿の上ではとっくに死んでいても、現場ではまだ朝礼があり、電話が鳴り、従業員が出勤し、昼には味噌汁の匂いがする。数字が死を宣告しても、生活はしぶとく続いてしまう。だから人は諦めきれない。明日ひょっとしたら何かが変わるのではないかと、乾いた井戸の底で、まだ空から水が落ちてくるのを待ってしまう。父は何度も、会社を畳むという私の提案を聞かなかった。その頑なさを、若い私は愚かさと見た。だが今なら少し分かる。人を切るというのは、数字を切ることではない。何十年も見てきた顔を、家族構成ごと、癖ごと、病歴ごと、知ったうえで、明日から来なくていいと言うことだ。正しい判断と、できる判断は違う。解雇が正解でも、それを口にする自分を許せない人間がいる。父もそうだったのだろう。師匠もそうだった。ついでに言えば、たぶん私も同じ穴のむじなである。血は時々、性格として遺伝する。理屈ではなく、罪悪感の受け止め方として。
その頃、私の師匠の店もまた、暗い海を航行していた。師匠は根っからの風俗人で、水商売の潮目を読む勘を持ち、夜の街の息遣いを知り尽くした男だった。それでも、リーマンショックの大波は避けられなかったらしい。あの冬の冷え込みは、業界を問わず、あらゆる店の灯りを青ざめさせた。客の財布が固くなるというのは、単に売上が落ちるという意味ではない。街の欲望そのものが痩せ細るということだ。人は不景気になると、明るい場所に行く前にまず、暗い将来を数える。店のネオンは点いていても、そこへ歩いてくる足音が減る。そういう時代だった。師匠の店では、翌年も手探りの修正が続いたという。暗中模索。この四文字ほど、経営不振の現場に似合う言葉もない。手元に地図はなく、灯りもなく、羅針盤も壊れている。それでも前へ進かねばならない。そんな時に浮上したのが、高給だけを吸い上げる中間管理職の問題だった。働かない。責任も負わない。だが椅子にだけは深く腰かけている。大きな店には、そういう湿った苔みたいな人間が張りつくことがある。現場の必死さとは無縁の温度で、ただ利益を食い潰していく存在。二人。たった二人。されど二人。その腐りきった重石が、沈みかけた船には致命的だった。私はその二人を昔から知っていた。二十八年前から数えて五年半、私は若い時分を師匠のグループで過ごしたことがある。だから知っている。偉そうな顔と、仕事のできなさは必ずしも反比例しないことを。いや、あの二人に関しては、見事なまでに反比例していた。普通なら切る。切って当然だ。だが師匠は切らなかった。優しさと甘さはよく似ていて、しかし当人にとってはたいてい同じ根から生えている。遊ばせておくわけにもいかない。ならば別の店を持たせるしかない。そうして生まれたのが、後のエレガンスだった。何というか、出自からして、すでに船底に穴が開いている。私があとからその経緯を知った時、苦笑いするしかなかった。そんな理由で新店を立ち上げるのか、と。希望の船出に見せかけて、実際は厄介払いと延命措置が半分ずつ混ざった出航である。しかも舵を握るのは、櫂の持ち方すら覚えようとしない連中だ。座礁の未来が、港を出る前からもう見えていた。それでも師匠は、人を切れなかった。切れない人間が、切れないままに選ぶ次善策として、店は生まれたのだ。今なら、あのときの師匠の心中が少し分かる。間違いだと知っていながら、それでも自分が引き受けるしかないと腹を括る瞬間。人を守りたいという感情は、しばしば経営の合理性と反対方向へ走る。だが人は、機械ではない。正解を知っていても、正解どおりには動けない。その意味で、師匠と父はよく似ていた。そして、嫌になるくらい、私も似ていた。人を切れない者たちが、それぞれの持ち場で、自分の骨を削って時間を買う。まるで冬山で焚き火が尽きた夜、家具を壊しては薪にしていくようなものだ。椅子がなくなり、机がなくなり、最後には家の柱にまで斧を入れる。暖を取るために家を壊す。愚かだが、人間的だ。そういう矛盾を、私はいくつもの現場で見てきたし、自分でもいつか同じことをするのだろうという、いやな確信がある。
やがて私の実家の工場にも、決定的な夜が来る。二〇一〇年十月。父はついに、支払いに行き詰まっていること、銀行からこれ以上の融資が見込めないこと、会社を潰さざるを得ないことを私に告げた。遅すぎる告白だった。なぜもっと早く話さなかったのかと問うのは簡単だ。だが父には父の沈黙があった。最初に私を半ば騙して引き戻した負い目。閉めるべきだという私の提案を何度も退けてきた意地。従業員を守ると決めてしまった人間の、引き返せない一本道。そういうものが全部絡まり、父は一人で抱え込むしかなかったのだろう。自業自得と言えばそれまでだ。だが人間はたいてい、自業自得の十字架をいちばん真面目に担ぐ。あの時の父の顔を、私は今でもうまく思い出せない。顔の造作ではなく、漂っていた気配だけを覚えている。長い間、堤防として立ち続けてきた男の、足元の土がついに崩れた時の沈黙。悔しかっただろう。情けなかっただろう。それでも泣けなかっただろう。男という生き物は、ときどき涙の代わりに沈黙を飲み込む。その沈黙が胃の底で石になり、晩年まで居座る。私は父を責めたい気持ちと、責めきれない気持ちのあいだで、ずいぶん長く揺れた。だが今では、父の愚かさの輪郭の中に、自分自身の影が見える。だからあまり大きな声では罵れない。父が父なら子も子である。師匠が師匠なら弟子も弟子である。救いようのない血縁と師弟関係が、私の中で仲良く肩を組んでいる。そうして惨劇は、一度始まると連鎖する。ひとつの不幸は単独では終わらない。火は燃え移るためにあるのではないかと思うほど、次の乾いた場所を見つけるのがうまい。私の人生も、師匠の店も、エレガンスの運命も、それぞれ別の場所で燃えながら、やがて同じ炎の色を帯び始めていた。そして、その先にはさらに巨大な災厄が待っている。二〇一一年三月十一日。あの日のことは、まだこの段では語らない。だがあの震えが来る前から、私たちはすでに十分揺れていたのだ。地面より先に、生活が揺れていた。建物より先に、人生の方が罅割れていた。それでも人は生きる。生きてしまう。それが祝福か呪いかは、日によって変わる。私は自分の人生を、ときどき鎖だと思う。重く、冷たく、引きずるたびに金属音がする。だが鎖とは、どこかにつながっている証でもある。家族に。仕事に。師匠に。店に。過去に。失敗に。責任に。愛着に。愚かさに。私が今なお歩いているのは、自由だからではない。きっと、この鎖がまだ切れていないからだ。人は案外、希望よりも鎖によって前に進む。逃げられないから、仕方なく今日も起きる。仕方なく働く。仕方なく笑う。だが、その“仕方なく”の中に、妙な生命力が宿ることがある。
悲劇を喜劇に変換しなければ、やっていられない夜がある。自虐は敗北ではなく、時に止血だ。私は自分を笑うことで、どうにか自分を腐らせずに済ませてきた。人柱だの、どMだの、そんな軽口で傷口をごまかしながら、実のところ、何とか今日を渡ってきただけなのだ。けれど、そのみっともなさこそが人間の本体ではないかとも思う。立派な理念や、整った成功談より、泥だらけで笑っている失敗者の方が、時々よほど生きている。血を流しながら「まあ、まだ死んでないしな」と笑う声の方が、よほど本物だ。十六年ぶりに、私はこの重い鎖のことを回想した。まだ走馬灯にするには早い。だが、振り返る必要のある夜というものはある。人生は不思議だ。こうして過去を書き起こしていると、また同じような宿命を私は選んでしまうのではないかという、いやな予感が胸をよぎる。たぶん私は、懲りることはあっても、根本では変わらない。誰かの重荷を見れば、またうっかり肩を差し出してしまうのだろう。学習はする。多少はブラッシュアップもする。以前よりは、火の熱さも、借金の匂いも、人の沈黙の危うさも分かる。それでも最後には、性分が勝つ気がする。人は知恵で改善できても、宿命からは少ししか逃げられない。だから私は書く。人の不幸話は蜜の味、などと世間は笑うけれど、当人にとっては噴き出す鮮血の味だ。鉄の味がする。生ぬるい。だが、その血でしか書けない文章がある。綺麗事では届かない場所に、傷の言葉だけが届く夜がある。もしこの先、また十年後に私は似たような場所で立ち尽くし、「ほらやっぱり、またこうなった」と苦く笑っているのだとしても、その時には少しだけ、今より上手に火傷していたいと思う。まったく無傷ではいられない人生なら、せめて傷の意味くらいは見失わずにいたい。世界が倒れた朝、私はそれに気づかなかった。だが、気づかぬまま歩いたその無防備な一歩一歩が、のちに私をエレガンスへ運び、父の沈黙へ繋ぎ、師匠の優しさの歪みへ繋ぎ、数え切れぬ失敗の広場へ連れていった。すべては無関係に見えて、実は一本の鎖でつながっている。遠いウォール街の崩落も、千葉の工場の帳簿も、冬の電車の遅延も、名もない店の灯りも、私の未来の首輪の金具も、全部どこかで同じ鉄から作られていたのだ。そう思うと、人生はあまりに皮肉で、あまりに美しい。壊れながら続いていくからこそ、物語になる。潰れそうな店にも、沈みそうな会社にも、切れそうな縁にも、まだ次の一行が残っている。ならば私は、その一行を書く。鎖を鳴らしながらでも。朝がまだ、完全には終わっていないうちに。
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