創戯旅団 生存の記録-SM奇譚 第1夜-序章
■ はじめに
丸十四年――。
その時間をひとつの言葉で言い表すことは、たぶんできない。
長かった、というにはあまりに中身が濃く、重かった、というにはあまりに形を持たず、苦しかった、というにはその中に確かに熱や光もあった。
ただ、振り返るたびに思う。
まさか自分が、それほどの歳月をSMクラブという世界の底に足を浸し、そこで呼吸を覚え、そこで傷み、そこでなお生き続けることになるとは、あの頃の自分は少しも想像していなかった。
人はときどき、自分の人生には節目があると思い込む。
どこかで幕が引かれ、どこかで場面が変わり、ひとつの章が終わるのだと。
だが実際には、終わるべきものが終わらず、離れるつもりでいた場所から離れられず、気づけば月日だけが、黙って背後に積み上がっていることがある。
私にとっての十四年は、まさにそういう時間だった。
自分で積んだつもりはない。
けれど気づけば、背中にはもう、ひとりで背負うには少し骨の折れるだけの歳月が載っていた。
その間には、もちろん歓びもあった。
人の顔がふとやわらぐ瞬間。
救われたような沈黙。
言葉にならないまま交わされる理解。
そういうものに触れた夜は、たしかにあった。
だがそれと同じだけ、あるいはそれ以上に、飲み込めないものもあった。
理不尽、誤解、失望、疲弊、軋んでいく関係、崩れていく均衡。
そうしたものは、派手な音を立ててやってくるのではない。
たいていは、静かに忍び寄る。
冬の夜の底冷えのように、気づいたときにはもう身体の芯まで入り込んでいる。
長く「総合SM倶楽部 厚木エレガンス」や「真正痴女ハードコアコネクション グランブルー厚木」を見てきた方なら、あるいは薄々感じておられるかもしれない。
この業態は、外から見える輪郭ほど単純ではない。
むしろ、その輪郭の内側は、思われている以上に脆く、濃く、そして暗い。
成立させることが難しい、という言い方は正しい。
だがそれだけではまだ足りない。
続いていることそのものが、すでに不自然に近い。
近年、私はそんなふうに感じている。
看板を掲げれば店になるわけではない。
扉を開ければ世界が成立するわけでもない。
そこには人がいて、金が動き、感情が擦れ、欲望が交錯し、そのどれもがわずかな均衡のうえで辛うじて形を保っている。
ひとつでも歯車が狂えば、全体は思いのほか簡単に軋み、音を立てて崩れる。
それでも翌日にはまた扉を開ける。
その繰り返しの中で、人は少しずつ、目に見えないものを失っていく。
■ 気がつけば“最後の一店”になっていた
神奈川県南部には、かつて同じ業態の店がいくつもあった。
同じ看板の下に括られていても、それぞれに癖があり、体温があり、匂いがあった。
店には店ごとの呼吸があり、女には女の立ち方があり、客には客なりの沈黙や熱があった。
同じ種類の場所など、実のところひとつもなかったのだと思う。
似ているように見えて、どれも違う生き物だった。
けれど、時間はそれらを一つずつ連れ去っていった。
閉じる店というのは、案外、静かに消える。
昨日まで灯っていた明かりが、ある日を境にただ点かなくなる。
中にあった声や笑い、苛立ちや疲労、濃密な空気さえ、誰にも見送られぬまま、跡形もなく沈んでいく。
残るのは、通り過ぎる人間が一瞥して終えるだけの、無言の外観だけだ。
新しく生まれる店も、なかったわけではない。
だが、新しいものはたいてい若い。
若いということは、勢いがあるということでもあるが、同時に、折れやすいということでもある。
開いたばかりの扉には希望がある。
だが希望だけでは冬を越えられない。
春先に咲いた花が、そのまま夏を持ちこたえるとは限らないように、店もまた、始まることより続くことの方がはるかに難しい。
気がつけば、この地域で残っているのは、ほとんど私たちだけになっていた。
神奈川県全体を見渡しても、事情はそう変わらない。
東京の外れに一店舗。横浜にM女専門が一店舗。
M性感まで含めたとしても、横浜や川崎にわずかな名残が見える程度。
つまりこのジャンルは、消えたのではない。
欲望は消えない。
必要としている人間も、いなくなったわけではない。
それでも、店は続かない。
それがこの世界の、最も静かで、最も残酷な事実である。
求める人はいる。
渇きはある。
だが、渇きがあることと、井戸が掘り続けられることは、まったく別の話なのだ。
人の欲望は時に深いが、それを受け止める器はあまりにも割れやすい。

■ なぜ続かないのか
なぜ続かないのか。
その問いには、単一の答えは似合わない。
ひとつの理由で壊れるのではなく、いくつもの小さな綻びが、気づかぬうちに布地全体を弱らせ、最後には手の中で音もなく裂けていく。
そういう壊れ方をする世界だからだ。
まず、経営というものがある。
だがこの場において、経営とは単に数字を整えることではない。
売上、採用、広告、価格、回転、効率――そうした言葉は確かに必要だが、それだけでは何ひとつ守れない。
店の空気は数字では測れず、数字が悪いからといって空気だけで食っていけるわけでもない。
理念と採算、そのあいだに張られた細い綱の上を、落ちずに渡り続けるようなものだ。
少しでも重心を誤れば、途端に足元は消える。
キャストの問題もある。
この業態は、誰にでも務まるものではない。
いや、務まるという言い方すら、どこか足りない。
そこに立つには、単なる技術や見た目ではない、もっと深い部分が問われる。
適性。耐性。理解。諦め。距離感。
自分の輪郭を保ったまま、人の欲望の近くに立ち続けることのできる、ある種の強さ。
それを持つ人は多くない。
たとえ一度は立てたとしても、その場に居続けることはさらに難しい。
人は心から磨耗する。
目に見えない場所から、音もなく削れていく。
壊れるとき、壊れる人間は、たいてい最後まで自分が壊れつつあることをうまく説明できない。
客層の特殊性もまた、この世界を難しくしている。
ここを求めてやって来る人間は、ただ単に何かを買いに来るわけではない。
もっと複雑なものを持ち込んでくる。
欲望だけではない。
孤独、屈折、幻想、承認、痛み、支配されたい衝動、支配したい衝動、あるいはただ、自分がどこにいるのかわからなくなった末の漂着。
そうしたものが入り混じっている。
ゆえに、この場所にはいつも、説明のつかない濃度がある。
一歩まちがえば、それは熱ではなく圧になる。
圧はやがて歪みになり、歪みは関係を蝕む。
そして何より重いのは、続けること自体が、人の精神にじわじわと錆を浮かせるということだ。
この疲れは派手ではない。
倒れるほどの一撃ではなく、日ごと夜ごと、わずかずつ骨の内側に沈殿していく。
問題は終わらない。
ひとつ片づけば、別の顔をしたものがまた現れる。
続けるほどに楽になるのではなく、続けるほどに見えてしまう。
見えなければまだ耐えられたものまで、見えてしまう。
だから、多くの店は途中で立ち尽くす。
経営難だったのかもしれない。
将来性を失ったのかもしれない。
あるいは、もうそれ以上、人として削られたくなかったのかもしれない。
どれもあり得る。
だが、どの理由も結局は、同じ暗い場所へ流れ着いているように思える。
■ 「勝った」とは思っていない
では、なぜ私の店だけが残ったのか。
そう問われることがある。
だが、その問いに胸を張って答えられるほど、私は自分を買っていない。
経営の才能があったからではない。
先を読む目があったわけでもない。
人より優れていたと感じることも、ほとんどない。
むしろ何度も判断を誤り、何度も遠回りをし、何度も痛い目を見てきた。
それでも残った理由を、ひとつだけ挙げろと言われるなら、たぶんこう言うしかない。
辞めなかった。
それだけだ。
言ってしまえばあまりに身も蓋もない。
だが、長く生き残る理由というものは、案外その程度のものなのかもしれない。
華々しい勝因などなく、合理的な必然もなく、ただ途中で手を離さなかった、それだけのこと。
工夫もした。
修正もした。
失敗のたびにやり方を変え、何が残せて何が壊れるのか、泥の中で手探りするように探ってきた。
けれど、それらはすべて後付けの説明にすぎない。
もっと根の深いところでは、ただ諦めきれなかったのだと思う。
だから私は、自分が勝ったとは思っていない。
勝ち残った、という言葉さえ、どこか嘘くさい。
私はただ、沈むべきところで沈み切れなかった人間だ。
岸に上がったというより、流されながらまだ息があった、という方が近い。
そこにあるのは誇りというより、むしろ、長く水を飲み続けた者だけが持つ鈍い重さである。
途中でやめる理由なら、いくらでもあった。
やめた方がきっと楽だった時期も、少なくない。
それでもやめなかった。
いや、やめられなかったというべきかもしれない。
この場所に、何かが結びついてしまっていた。
名前をつけるには厄介で、切り離すにはもう遅い、そういう何かが。
■ なぜ続けているのか
それでもなお、なぜ続けているのか。
考え続けると、答えは意外なほど単純な場所へ戻っていく。
私はこの仕事が好きなのだと思う。
好き、という言葉は軽すぎる。
本当はもっと、愛憎の入り混じった、濁った感情だ。
好きだから続くのではない。
嫌いになり切れないから続いてしまう。
投げ捨てたい夜もある。
顔も見たくない現実もある。
それでもなお、完全に背を向けられない。
この仕事にしかない濃度がある。
ここでしか露わにならない人間の素肌がある。
欲望がただの欲望としてではなく、孤独や痛みや祈りのようなものと絡み合って立ち現れる、その瞬間がある。
私はたぶん、そこから目を逸らしきれない。
SMクラブという業態そのものに対しても、私はある種の責任を感じている。
ここで起きていることは、安易な言葉で片づけられるものではない。
快楽と呼ぶには複雑すぎ、遊びと呼ぶには深すぎる。
人はここで、普段は人に見せない顔を見せる。
見せたくないはずの傷が、ふとした拍子に覗く。
言葉にされない願いが、行為の端々ににじむ。
そういうものを、ただ消費として流し去ってしまうのは、どこか不誠実な気がしてならないのだ。
だから、残したいと思った。
記録として。
美しいからではない。
むしろ逆だ。
綺麗に整理される前の、濁った現実のままで。
人はしばしば、都合の悪いものほど早く忘れる。
だが忘れられた現実は、なかったことになる。
なかったことになったものの中で、どれほど多くの感情や時間が、声もなく朽ちていったのか。
そのことを思うと、私は黙っていられなかった。
■ 激動の時代と風俗業界
この十四年のあいだ、世界は何度も揺れた。
揺れるというより、地盤そのものが、目に見えぬところでずっと軋み続けていたと言った方がいいのかもしれない。
リーマンショック。
東日本大震災。
コロナウイルスによる社会の停止。
そしてその後も続く、戦争、物価高、インフレ、価値観の変容。
世界は元に戻ったような顔をしながら、もう二度と元には戻っていない。
この仕事は、余白の上に成り立っている。
人が生きるためにどうしても必要なものではない。
だからこそ、時代が苦しくなると真っ先に削られる。
財布の紐が締まれば、足は遠のく。
不安が濃くなれば、人は遊ぶ前に身を守ろうとする。
それは責められることではない。
当然のことだ。
当然であるがゆえに、この仕事はいつも、社会のわずかな気圧の変化にさえ敏感でいなければならない。
数字が落ちる。
予約が減る。
それだけではない。
客の表情が変わる。
言葉の端が変わる。
現場に流れる空気が変わる。
何もかもが少しずつ乾いていく。
そんな変化を、私たちは嫌というほど見てきた。
それでも足を運んでくださるお客様がいた。
現場に立ち、支え、踏みとどまってくれたキャストがいた。
いなければ、今ここに私はいない。
それは感謝という言葉では収まりきらない。
むしろ、借りのようなものだ。
返しきれないまま増え続けていく、静かな借りである。
正直に言えば、アフターコロナの影響はいまも濃い。
経営は楽ではない。
先が明るいとは言い切れない。
だが、店というものは最後、設備でも広告でもなく、人で持つ。
人と人とのあいだに、かろうじて切れずに残った糸が、今日をつないでいる。
私はそれを、十四年かけて骨の奥で知った。
■ 七転び八起きの現場
順風満帆だった時期など、思い返してもほとんど見当たらない。
むしろ問題のない日など、一日としてなかったのではないかと思うことさえある。
人が足りない。
売上が落ちる。
関係がこじれる。
予想もしなかったことが起きる。
何かを繕えば別の場所が裂ける。
一息つけば、次の不安が戸口に立っている。
現場というのは、たぶんそういう場所だ。
何事もなく過ぎる一日こそが、むしろ幻に近い。
そのたびに立て直し、また崩れ、また手を入れる。
壊れかけたものを抱えながら、どうにか次の日まで持たせる。
それを繰り返してきた。
何度「もう終わる」と思ったかわからない。
終わりの気配は、何度も確かにそこまで来た。
だが不思議なことに、完全には終わらなかった。
ぎりぎりのところで、何かがつながる。
一本の予約。
誰かの言葉。
一人の踏ん張り。
本当に些細なものが、崩れかけた足場の下にそっと差し込まれ、もう一日だけ持ちこたえる。
そうして一日が一週間になり、一週間が一か月になり、気づけばまた一年が過ぎている。
奇跡と呼ぶにはあまりに地味で、あまりに泥臭い。
だが人生というものは案外、そういう小さな繋ぎ合わせの果てにしか続かないのかもしれない。
■ “創戯旅団”という試み
このコラム『SM奇譚 創戯旅団』は、そうした現場の沈殿を、少しでも形に残すために始めた。
気づけば第256夜。
1001夜まで書くという目標は、いまなお無謀なまま、遠くでじっとこちらを見ている。
風俗コラムというだけで、すでに異物だ。
そのうえ長編で、しかもリアルタイムに、現場の湿度を帯びたまま書き続ける。
普通ならどこかでぶれる。
書く側の手が止まるか、読む側の目が離れるか、そのどちらかが先に来ても不思議ではない。
けれど、この企画だけは、最初から変わらない芯を持っている。
現場を可視化すること。
それだけである。
客が見ている時間だけが、この世界のすべてではない。
むしろ見えない時間の方が長い。
扉の裏側で何が起きているのか。
誰が何を抱え、何に耐え、何を失いながら立っているのか。
そのことを、できるかぎり隠さずに残す。
これは読み物である以前に、証言であり、記録であり、ある種の遺書に近いのかもしれない。
■ ここから先に書くもの
ここから先に書いていくものは、たぶん綺麗ではない。
読む人によっては、不快ですらあるかもしれない。
だが現場とは、本来そういうものだ。
なぜSMクラブは続かないのか。
なぜ人は去っていくのか。
なぜ経営は安定しないのか。
それでも残る人間は、何を犠牲にして残っているのか。
そうしたことを、私は現実の手触りを失わぬように書いていこうと思う。
外から眺めているだけでは見えないものがある。
現場にいなければわからない温度がある。
そしてたいてい、そうしたものほど語られない。
なぜなら都合が悪いからだ。
夢を見せる場所は、その夢の裏にある疲弊や歪みを表には出さない。
だが、語られないものの中にこそ、本当の構造は潜んでいる。
沈黙はしばしば、真実の上にかぶせられた薄い布でしかない。
■ これは“物語”ではない
このコラムは、脚色された物語ではない。
成功談でもない。
美談でもない。
現実だ。
それも、できるだけ手垢のついていない現実である。
うまくいったことは書く。
失敗したことも書く。
見せたくないことも、可能な限り書く。
誤魔化さない。
取り繕わない。
綺麗に整えた瞬間、そこからこぼれ落ちるものの方が、あまりに多いからだ。
現場の価値は、美しい形にあるのではない。
痛みも、矛盾も、迷いも、恥も、どうしようもなさも、そのすべてを含んだ不格好な全体の中にしか、本当の輪郭は現れない。
私はそう信じている。
■ 読む覚悟について
正直に言えば、軽い気持ちで読むためのものではないかもしれない。
ここで扱うのは、夢を見るための風俗ではない。
構造としての風俗であり、そこに棲みついた現実である。
そこには甘さより苦さがあり、華やかさより疲労があり、幻想よりも先に、生身の人間の影がある。
それでも知りたいと思う人。
この世界の裏側にある、本当の湿度を知りたい人。
ただの娯楽としてではなく、一つの現実として受け止めたい人。
そういう人だけが、この先に進めばいいと思う。
読書とはときに、頁をめくることではなく、他人の重さを引き受けることだからだ。
■ 最後に
これは娯楽ではない。
記録である。
そして同時に、十四年という時間が、現場の底に沈めてきたものの堆積である。
綺麗に整えられた話ではなく、傷んだまま、濁ったまま、乾ききらない現実をここに残していく。
飾らず、誤魔化さず、都合の悪いことからも目を逸らさずに。
それが、このコラムにできる、せめてもの誠実さだと思っている。
続きを読みたい方は――
どうか、それ相応の覚悟を持って先へ進んでほしい。
ここにあるのは作り話ではない。
長い夜の底で、誰にも見えないまま積もっていった現実の沈殿、そのものなのだから。
【note質問箱】
※質問箱でSMクラブやSMに関するご質問を受け付けております。
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