你好台湾、貯金200万を溶かした僕が「賄い目当て」でたどり着いた店
前回、貯金200万を半年で溶かした話を書いた。
そこからの続き。お金がない。じゃあどうするか。当時の僕が出した結論は、われながら情けないけど正直なものだった。
——飲食店で働けば、賄いでメシ代が浮くんじゃないか?
それだけだった。立派な志なんてない。腹が減ってたし、財布が軽かった。ただそれだけの理由で、僕はバイトを探し始めた。
使ったのは「台湾掲示板」という、台湾在住の日本人向けの求人掲示板。そこで見つけたのが、台北・中山区の焼肉屋だった。
応募して、面接へ。一生懸命、自己紹介や面接で使えそうな中国語を覚えて臨んだ。だけど——蓋を開けてみたら、面接は日本語で進んだ。www
その店、オーナーが日本人男性と台湾人女性の夫婦で、台湾人オーナーのほうも日本語ペラペラだったのだ。僕の特訓した中国語は、出番なし。でも会話がやたら盛り上がって、その場で採用が決まった。
肩の下まであった髪を「結んで働いてね」と言われ、黒いシャツみたいな制服を渡された。困窮していた僕は、心の底から嬉しかった。やっと仕事が見つかった、と。
働き始めてから、この店がただの焼肉屋じゃないと気づいた。
席は4人がけが20席、カウンターが10席、奥には20人入れるVIP個室。コンセプトは「和牛×ワイン」。客層は、台湾の富裕層、日本の駐在員、たまに出勤前の水商売の女性が同伴で来ることも。
あとで知ったけど、台湾人オーナーは高級クラブを4店舗も経営していて、日本人オーナーは不動産投資家。つまりこの焼肉屋は、クラブのお客さんを連れて来られる店として作られていたらしい。道理で豪華なわけだ。
僕のポジションはホール。お客さんの肉を焼きながら、話し相手をする係。時給は220元(当時の日本円で880円くらい)。これでも台湾では高時給だった。
そして初日。まず教わったのは、焼肉用語と接客の中国語だった。
肉の部位を中国語で言える留学生なんて、たぶんそういない。カルビ(牛五花)、ハラミ(内横隔膜)——教科書には絶対載ってない単語を、現場で覚えていく。
学校で習ったかしこまった接客フレーズは「そんなの使ってる台湾人いないよwww」と笑われ、あっさり封印した。
働いてるのは、ほぼ同世代の20歳前後。台湾人17人、日本人2人、フランス人1人。日本人と関わったことのない子も多くて、最初はみんな、物珍しさで僕に話しかけてくれた。
「なんで台湾に来たの?」
そう聞かれて、僕はいつも適当に答えた。「中国語話せたらモテそうだから」「だって台湾メシうまいじゃん」。すると、みんな決まって笑って喜んでくれた。
カルチャーショックもあった。お客さんがいない時間は、基本ぜんぶ休憩。タバコを吸いに行ってもいいし、ずっと喋っててもいい。Uberでみんなの分の飲み物を頼んでくれる社員までいた。日本のバイトの感覚だと考えられない、ゆるさと優しさ。
そんな中で、僕は一つ、本音をこぼした。
「実はお金がなくて。賄いでメシが浮くと思って、この仕事を探してたんだ」
冗談まじりの、でも本当の話。そしたら——その日から、みんなが僕に、翌朝食べる用のお弁当を持たせてくれるようになった。毎回。出勤するたびに。
正直、これにはやられた。マジでみんなのことが、どうしようもなく好きになった。命の恩人たちには、今でも足を向けて寝られない。(書いてて思ったが、いつでも北枕にしているので、台湾に足を向けて寝ています)
そして、初日の帰り道、僕が考えていたことはたった一つ。
「賄い、うまかったな〜」
それだけだった。
でも今振り返ると、僕の台湾生活は、たぶんこの日から本当に始まっていた。観光でも、教室でもない。働いて、笑って、メシを分け合う台湾が。
你好台湾。
——この店には、まだとんでもない人たちがいる。
全身タトゥーで警棒みたいな包丁を握るスキンヘッドの先輩。G-Dragonみたいな格好で現れた、正体不明のマダム。そして、ある日とんでもない事件を起こした、僕の父。
その話は、また次回。
(つづく)
