『果てしなきスカーレット』を100倍面白くする! 『ペルソナシリーズ』の隠れた名作
※トップ画像は電撃オンラインより転載
3DS用ソフト『ペルソナQシャドウ オブ ザ ラビリンス』
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注意!! 当記事は映画『果てしなきスカーレット』に加えて、
3DS用ソフト『ペルソナQシャドウ オブ ザ ラビリンス』の重大なネタバレを含んでいます。
「どっちも知らないよ~」という方で、これから視聴またはプレイする予定がある方は、即座にブラウザバックしてください。
どっちも絶対見ない、やらない……もしくは既にやってます! という方はぜひぜひこの記事を読んでいただければ幸いです。
初めに
『果てしなきスカーレット』という映画をご存知だろうか。
SNSや動画配信サービスを中心に、話題の花を咲きに咲かせるあの映画である。
脚本、監督は細田守監督。『時をかける少女』で有名な、アニメーション映画の巨匠だ。
そんな偉大なお方が撮った映画なのだから、さぞや素晴らしい名作なのかと思いきや……ああ、どうしたことだろうか。
公開から三週間近くが経った今、世間からの評判は悲しくも賛否両論と言わざるを得ない。
いや、賛否両論は言い過ぎた。正しくは賛否否否両論くらいか?
むしろ賛否否否否否両論の方が適切かもしれない。
いい加減うざったらしいのでもう止めるけれども、
ともかくこの作品は否定、批判、罵倒の雨あられを喰らい続けている。
いったいなぜか? 簡単だ。
『話が分かりづらいうえに、分かってもつまらない。』
『ストーリーがご都合主義的だし、キャラクターの魅力にも欠ける。』
『結末は釈然としないし、物語としてのテーマも陳腐に過ぎる。』
エトセトラ、エトセトラ……
挙げて行けばキリが無いほど、不満点が後から後から湧き出てくるのだ。
人の趣味嗜好は星の数ほどあって、一つの映画をどう評価するかもやはり人それぞれだ。
……とはいえ、ここまで駄目な点が多いと、どんな人間でも一つか二つをモロに喰らってしまい、視聴した際に精神に壮絶なダメージを受ける。
しかしそうは言っても、細田守監督はアニメ映画の巨匠。
多額の予算と時間と人員を惜しみなく注ぎ込んだだけはあって、
背景映像に代表される美麗なアニメーション、
ワンフレーズでも心震わされるような素晴らしい音楽など、手放しに評価できるポイントはきちんと用意されている。
だがしかし、それでも、だ。
そういったプラスを帳消しにして余りあるほど、クソ要素が多いし強い。
結果、SNSやnote界隈は『罰金1800円に加え懲役二時間』の刑罰を受けた無辜の民の悲痛な叫びに覆われているわけだ。
さて、この現状を憂う僕だったが、このどうしようもないクソ映画を100倍(当社比)面白くできる素晴らしい神ゲーを、昨日偶然にも発見した。
正確には発見したというより、思い出した。
(実際に当ゲームをプレイしたのは7、8年以上前の話になるからだ。)
本記事では、ぜひその神ゲーを皆さまに紹介させていただきたい。
合わせて、なぜ『果てしなきスカーレット』との食い合わせが良いかも説明する。
ペルソナQとは?
『ペルソナQ シャドウ オブ ザ ラビリンス』(ペルソナキュー シャドウ オブ ザ ラビリンス、PERSONAQ SHADOW OF THE LABYRINTH)は、 アトラスより2014年6月5日に発売されたニンテンドー3DS用ゲームソフト。
(wikiより抜粋)
今は古くも3DS専用ソフトのゲームである。
ゲーム市場はニンテンドースイッチ2に移行し、既に半年が経とうとする今となっては、3DSなんて言われても最早ピンと来ない人もいるかもしれない。
なんせ十年以上前の話だ。なんならまだ生まれていない人だっているだろう。(いやさすがにか?)
そんな昔のゲームを引っ張り出して何が言いたいんだ? と、さぞや皆さまは頭を捻っていることと思う。
だが安心して欲しい。ちゃんと中身ある話を用意している。
『果てしなきスカーレット』と『十年前のゲームソフト』……二つを引き合いに出した理由は、ずばりストーリーの類似性にある。
(※再度の注意になりますが、ネタバレを気にする方はこの文章を目にした時点で、今すぐブラウザバックを押してください。僕は責任を取りません。)
両者の共通点
……を説明する前段階として、二つの物語のあらすじをざっと紹介しておこう。
どちらも知っている人、もしくは「そんなのどうでもいいから結論はよ」という方は読み飛ばして構わない。
『果てしなきスカーレット』
十六世紀デンマークに生まれた王女スカーレットは、敬愛する父王アムレットを、叔父であるクローディアスに謀殺されてしまう。
クローディアスはその勢いで王となって、スカーレットの母をも娶り、それまで幸福に生きてきたスカーレットの全てを奪った。
復讐心に駆られるスカーレットは、ただ仇敵クローディアスを誅殺したい一心で、日々訓練に勤しみ、ついにそのチャンスが巡ってくる。
宴の晩、スカーレットはクローディアスの酒杯に毒を入れることに成功するが、なんとクローディアスもまたスカーレットの杯に毒を仕込んでいて、間一髪の差で逆に毒殺されてしまう。
かくして非業の死を遂げたスカーレットだったが、なんと次の瞬間、荒野と暗雲に覆われた異世界――『死者の国』で目を覚ます。
それこそは、生前成し遂げられなかった復讐をやり直すために、天が与えた機会なのか? はたまた全く別の意図があるのか?
スカーレットは死後の世界で何を見つけるだろうか……。
『ペルソナQ シャドウ オブ ザ ラビリンス』
『ペルソナ』と呼ばれる超能力を持った少年少女たちのグループ『特別課外活動部』は、ある日、全員揃って不思議な異空間に飛ばされる。
その異空間は『ある高校の文化祭』だけで構築されている空間で、学校の敷地からは一歩も出ることが出来ず、外部との連絡も一切取れない。
また生徒や教師、他の住人といった人間の姿も見えない。
その割に、校内は煌びやかなお祭りの装飾で溢れていて、あたかも人間だけが一斉に消失したような、不気味な様相を呈している。
あまりに異様な状況だが、強力なペルソナ能力を持つ面々は怯まず、各自探索を始める。幸いにも、食料などの物資は校内に潤沢に用意されていたので、当面のサバイバルに問題は無さそうだった。
捜査が進む中で、彼らは生存者らしき二人の生徒を発見する。
浅黒い肌をした寡黙な男子と、大食いでいつも何かを口にしている少女だ。
そして不思議なことに、二人とも『この高校の一年生である』こと以外の記憶を一切失っていた。
課外活動部は彼らを現地協力者として臨時メンバーに組み込み、終わらない文化祭を続けるこの学校の、更なる探索に挑むのだった……。
本題
お待たせしました。
二つの物語の共通点に、もう聡い読者諸兄はお気づきだろうか?
そう、両者ともに異空間に迷い込むという点だ。
無論、当然それだけではない。
『果てしなきスカーレット』の方から逆算してもらえば分かると思うが、
ペルソナQの異空間もまた、『死者の世界』なのである。
つまり特別課外活動部が迷い込んだのは、本来ならあり得ない、死者と生者が邂逅する場所で、校内で出会った二人の生徒は、やはり人ならざる者だった。
より正しくは(ゲーム最終盤で明かされる)、浅黒い肌の男子は死神で、大食いの少女――玲こそが本当の意味での死者(既に亡くなった人間)である。
復讐を成し遂げられず死に、荒れ果てた死者の世界を行く『スカーレット』と、終わらない文化祭をさ迷う少女――『玲』。
二人は同じく死者であり、かつその異空間の主役という点でも共通している。
いや待て、主役ってどういうこと? となる人も多いだろう。
一つずつ解説する。
今度は『ペルソナQ』側から説明を組み立てていこう。
死者の少女『玲』は、十代半ばの若さでありながら、病で死んでしまった悲しき女子生徒である。
しかもその病は生まれついてのもので、彼女は小学生になる頃からもう、日常生活すらまともに送れておらず、ほとんど病院通いの毎日だった。
学校で勉強することもできない、友達と一緒に遊ぶことも当然ダメ、下校途中におやつをたらふく買い食いだなんて、それこそ自殺行為だ。
彼女は真っ白な病室で延々と毎日を過ごし、味気ない病院食だけを口にし続けてきた。
友達だって一人もいないのだから、まして恋人なんてできるわけがない。
少女は年相応に恋の味をも知りたがり、いくつかの本を読んで空想したけれど、結局それが実物を結ぶことはあり得なかった。
やがて少女は狭い病室の硬いベッドの上で、定められた寿命を迎え、死に至る。
もう目も開けられない、何も見えない暗闇の中で、いったい何を思ったか?
悔しい。こんなのは嫌だ。私だって、皆と一緒に学校に行きたかった。
誰かと恋がしたかった。文化祭を楽しみたかった……。

彼女の強烈な未練は、彼女を迎えに来たはずの死神『クロノス』と、さらに彼の支配する空間を歪ませ、再構築した。
そうしてできあがったのが、終わらない文化祭を続ける異常な高校だったわけである。
特別課外活動部が校内で巡る迷宮……つまりゲーム的な意味でのダンジョンステージは、どれも文化祭の展示を下地にしている。
『不思議の国のアリスを模した迷路遊び』、『合コン喫茶』、『学校や病院を舞台にしたお化け屋敷』、そして『神社のお祭りのような雰囲気の郷土資料展示』。
各ステージを順にクリアしていくことで、ゲームはエンディングを迎えるわけだが、この流れにもきちんと意味づけがなされている。
少女は『不思議の国のアリス』のように純粋な好奇心を持って生まれ、
『合コン喫茶』で見られるような、異性との恋愛に憧れを抱き、
『学校に行って友達と遊びたいと願いながら』、しかし実際には『病院の一室で生涯を終え』、
その魂は『鳥居、御輿、提灯に彩られた華々しいお祭りの中で』、安寧の終わりへ向かって見送られる。
一連の流れは、無念の中で死んだ少女『玲』の魂を慰めるためのイニシエーション、すなわち鎮魂の儀式であるのだ。
ここで『果てしなきスカーレット』に話を戻そう。
ここまでの流れを汲み取っていただければ、僕が持っていきたい結論にも察しがつくはずだ。
スカーレットが行った死者の世界は、
悲しき死者である玲を慰めるために用意された終わらない文化祭と同一なのである。
なぜ『スカーレット』はご都合主義的か? 原因から考える。
記事のさわりに挙げた批判の筆頭、「ご都合主義的過ぎる!」を憶えているだろうか。
映画の中で起きる出来事は、いつもスカーレットにばかり都合が良く、酷い場合には、彼女が何もせずとも敵が勝手に自滅することもある。
だが、それを単に『脚本が悪い!』『作者の人なにも考えてない!』と片づけて本当に良いのだろうか?
それで話を終わらせては、1800円と2時間をまるまる損しただけではないか。
いいやそれだけじゃない。『クソつまらん映画を見ちまった!』というネガティブな感情を溜め込んでしまうという絶大なデメリットも負ってしまう。
僕個人としては、それよりも『では、いったいなぜご都合主義なんだろう?』と考えた方が、ずっと楽しいし生産的だと思う。
そんなこんなで、数時間を費やして編み出したのがすなわち、
『スカーレットが行ったのは、死した彼女の魂を慰めるためだけに用意された特別な異空間だった』という珍説である。
この説を呑み込む大前提として、読者にはある一つの誤解を認めていただきたい。
それは『スカーレットは結局、生き返っていない』という点である。
映画の最終盤で、スカーレットは実のところ死んでおらず、生死の境をさ迷う危篤状態だっただけという驚愕の事実が明かされる。
そして彼女の「生きたい」という強い意思によって、彼女は見事、現世に蘇るわけだが、これは完全な誤解だ。
そういう風に演出されただけであって、現実の彼女はやはり死んだままである。
なぜか? 生き返った直後のシーンで分かる。
ベッドの上で、スカーレットは自身の手のひらに、聖が巻いてくれた包帯がまだ残っているのに気づく。
一見、心温まるシーンに思えるが、違うぞ、騙されるな。
これはスカーレットがいまだ、幻想渦巻く死者の世界から帰還できていないことを示す重要なヒントだ。
現実と地続きであるわけもない死者の世界の名残は、決して目に見えてはならないし、実態があってもならない。
それをわざわざくっきり描写したということは、これは細田守監督からの「うっそぴょ~ん」という種明かしに他ならないのだ。
これが例えば、スカーレットが包帯を認識した瞬間に、幻のように溶けて消えてしまう……という描写なら、僕がこんな珍説を持ち出すことは未来永劫無かっただろう。
……が、実際はそうでなかったので、スカーレットは死んだままだ。以上、証明終了。
さて、話が逸れに逸れたが本筋に戻る。
死者の国へ旅立ったスカーレットが、そこで体験した一連の流れをあらためて思い返して欲しい。
そうすれば、これが彼女にとっての鎮魂の旅路であることが克明に理解できるはずだ。
1)死者の国にて、仇敵クローディアスが健在であることを知る。よって、復讐を遂げる再度の機会を得る。
2)平和主義者の青年、聖と出会う。彼はスカーレットに対して強力に『殺傷は良くない」と言って聞かせる。
スカーレットは納得がいかないながらも、聖に従い、それ以降はむやみな殺生を止める。
3)聖と共に、クローディアスを追う度に出る。その工程で、かつて父を処刑した兵士と出会うも、やはり聖の忠告に従い、殺害はしない。
そしてその兵士から、父の最後の遺言が『許せ』という不可解なものだったと知る。
4)聖との語り合いの中で、スカーレットは己の人生の別の可能性を見る。それは平和な世界で、聖と楽しく愛のダンスを踊るというものだった。
――いったん中断しよう。
ここまでの重要なファクターを抽出してみると、
『スカーレットが復讐すべき相手はそこにいる』、『だが、彼らを殺害するのは良くない=できない』の二つだということが分かる。
これらは実のところ、生前のスカーレットと何ら変わらない、ということに気付けるだろうか?
は? そんなワケねぇじゃん。と思った方は良く思い返して欲しい。
スカーレットの父は、どう少なく見積もっても、スカーレットが復讐に取り掛かる五、六年前には殺されていたはずである。
要するにスカーレットが、仇敵クローディアスを殺すチャンスはかなり長い期間あったのだ。
しかし、彼女はそれをあえて実行には移さず、なぜかボクシングや剣術の訓練に長い年月を費やし、しかるのち最終的に腕っぷしが全く関係無い毒殺を選んだ。
冷静になって考えれば、これが全く無駄な工程であることは疑いようもない。
きっぱり言い切ろう。スカーレットは生前からずっと、そして死んでからもなお『復讐として叔父を殺害する』ことを嫌がっていた。心の底からだ。
だからこそ『死者の世界=スカーレットを慰めるための世界』では、誰しもが、あるいはどのイベントもが、スカーレットに対し、『殺すのは良くない』と言って聞かせてくるのである。
スカーレットという少女の本質。そして聖に与えられた役割。
ペルソナQでそうだったように、死者を慰めるための世界では、その主役にとって無意味なことは決して起こらない。(ともすればそれはご都合主義的である。)
全ての出来事には意味があり、登場人物には重大な役目がある。
では出会うなりひたすら「殺しは良くない」、「人を傷つけるな」と押し付けてくる聖はいったい何なのか?
普通の感覚なら『押しつけがましい迷惑なヤツ』もしくは『中世の常識を理解しないありがちな現代人』といった評価になろう。
しかし違うのだ。
聖はスカーレットにとって、
『これまでずっと押し殺してきた、隣人愛と平和主義に満ちた自己』を映す鏡だったのだ。
序盤からド迫力の殺陣を繰り返し、ばっさばっさと亡者を切り捨てるスカーレットによって、大多数は勘違いしているだろうが、スカーレットの本質は上映開始から終始このかた『なんなら虫も殺せないような心優しい少女』である。
なぜそう言えるか? 証拠を出そう。
スカーレットは現実世界において、ただの一人も殺していない。
本気で殺そうともしていない。
そして、死者の世界でも少し説得されただけですぐ殺人を止める。
それ以降は一度も殺さない。
加えて、映画の序盤では短くない尺が、父との『平和と対話』についてのやり取りに割かれている。幼いスカーレットがこの言葉を深く心に刻み込み、大切な指針としていることは明白である。
そうなってくると、二言目には「復讐!」「クローディアス許さん! 殺す!」と叫び続けている序盤のスカーレットの様子を訝しく思うかもしれない。
しかし待ってくれ。本人が口頭でそう言っているからいって、本心も同じとは限らない。
逆だ。
本心からそう思っていないからこそ、スカーレットは繰り返し「殺す! 復讐!」と唱え続けなければならなかったのだ。
ではなぜ、スカーレットはそうやって『憎しみに憑りつかれた復讐鬼』を装っているのか?
その答えは周囲からの重圧である。
本編序盤、スカーレットが訓練に勤しむ中で、その傍らには師匠らしき人物が佇む様子が描かれている。
一見、孤独に思えるスカーレットの境遇だが、実態はそうでない。
彼女の周りには、おそらくクローディアスに対抗する勢力が常に控えていて、事あるごとにバックアップをしていたのだろう。
それも当然だ。クローディアスの強引なやり口について、反発を覚えた人物は数多くいただろう。そうした人物らにとって、亡き王の一人娘はおあつらえ向きの錦の御旗に映ったはずだ。
彼らは口々に「父の仇を取れ」、「クローディアスの横暴を許すな」と焚きつけただろう。幼く純粋なスカーレットの思想に、これがどれほど強力に働いたかは言うまでもない。
またクローディアスの暴政に苦しむ少女と、その親も登場するが、これも同じくスカーレットにとっての重圧となった。
苦しむ市民らを解放するには『私が何とかするしかない――殺すしかない』。
かくして、平和と愛を何よりも尊んでいたはずの少女は、毒と剣を取って仇敵のもとへ向かわざるを得なくなったのである。
これが悲劇でなくて何だろうか? 相反し、拮抗する矛盾に満ちた精神は、無垢だった彼女の魂をきっと傷だらけにした。
ゆえに、死後に旅立った世界では誰も彼もがスカーレットから殺人を遠ざけようとするのである。そうして、彼女に本来の平和的精神を取り戻そうとする。
それこそが、彼女にとって最も必要な慰めだから。
そして偽りの生還へ
先ほど中断したスカーレットの旅路を再開しよう。
5)スカーレットと聖は固い絆を結び、共に果てなき場所へ向かう。クローディアスと亡者らの争いは激しさを増す。時間の猶予も無くなってくる。
スカーレットの窮地を救うため、聖は己の不殺の信念を破り、兵士を殺害する。
6)クローディアスの部下たちと決戦するも、その最中にこれまで退けた旧敵らがスカーレットに加勢してくれる。その甲斐もあって、見事勝利する。
7)果てなき場所へと至る門前にスカーレットは辿り着く。
その場所でついにクローディアスとまみえる。
彼は生前の行いを全く反省しておらず、スカーレットの見せた温情に文字通り唾を吐きかける。
8)しかし、スカーレットはクローディアスを手に掛けない。父に言われた言葉通り、彼を許した。
その直後、天から降った雷がクローディアスを消滅させた。
9)ふいに現れた老婆いわく、スカーレットは死んでいないらしい。
彼女の「生きたい」という強い意思に呼応するように心臓が動き出し、スカーレットは見事、現世(っぽい場所)に蘇った。
10)スカーレットはデンマークの女王となり、多数の民衆の支持を得て、対話と平和を重視する名君として君臨した。
以上だ。一つ一つに丁寧に解説をつけていくと、どれだけ文字数を割いても足りないので、手短に済ませる。
5)の場面について。
クローディアスと亡者の争いは、現世における市民の弾圧を表現している。
聖が不殺を破ったのは、スカーレットへの深い愛情を表すため。
愛を知らず育ち、知らないまま死んだスカーレットにとって、聖から深く重い愛がどうしても必要だった。
(ちなみに、聖が銃創を治療する際に、スカーレットが謎に恥ずかしがるシーンがよく取り沙汰されるが、あれはスカーレットが異性愛を全く知らないがゆえ。
ロマン小説すら読んだことが無いだろうスカーレットにとって、異性に腕を曝す程度すら、痛みよりも勝る羞恥だった。
でも彼女は愛が知りたかったので、そういうシーンが創造された。)
6)の場面について。
旧敵が助けに来てくれるのは、対話が何よりも重要だという信念が体現される展開が見たかったから。
かなり無理のある展開だったが、スカーレットの慰めが優先された。
7)
クローディアスが反省していないのは、スカーレットを殺した張本人だから。
さすがにこいつを良い人間にするのは、いくらスカーレットでも躊躇われたのだろう。
8)
本作最大の問題シーンにして、最もSNSで叩かれている箇所。
復讐と許しがテーマであるにも関わらず、なぜかスカーレットが全く関わらないところで仇敵が死んでしまう。
しかし死者の国が慰めであるという前提に立てば、理解は容易い。
スカーレットの本質は、人の殺害を嫌う心優しい少女であるから、最早クローディアスを傷つけることはできない。
しかし、父と自分を殺した相手を無罪放免にしてしまっては、スカーレットの魂が真に救われ難くなる。
彼女が心置きなく、次の場所へと旅立つための足掛かりとして、
『スカーレット自身の手に寄らず』、『クローディアスが死亡』することが必要だった。
この後、目覚めた現実(っぽい場所)で、クローディアスが間抜けにも自分の用意した毒で死んでいるのも同様の理由である。
9、10)
スカーレットは生前、思い描いていた理想通りの女王となって、自分の願いを果たした。もうやり残したことはない。
この後どうなったかは詳細に描かれていないが、おそらく眠るようにしてスカーレットの世界と意識は喪失したと思われる。
まとめ
めちゃくちゃ長くなって申し訳ない。こんなに書く予定は無かった。
神ゲーであるペルソナQの秘められし主題、
『死した少女が安らかに逝くための旅路』が、そっくり『果てしなきスカーレット』に当てはまることは、この記事でご理解いただけたことと思う。
この視点に立てば、もう二度と『果てしなきスカーレット』が懲役二時間だの見る価値の無いクソ映画なんて呼ばれることは無いはずだ。(……と思う。確証はない。)
その反対に『ああ、あのシーンにはそういう意味があったんだ!』とか、
『あのキャラの言動はそういう理由だったんだ!』という新鮮な驚きと感動が次々湧き出てくる。
実際、僕はそうだった。気づいた瞬間はもう、背中にコーラを流し込まれたみたいだったね。ハハッ。
クソみたいな比喩が頭に浮かぶようになった頃合いで、もう頭も指も限界なのでここらで筆を置く。
このクソ長い記事を最後まで読んでしまった数奇な方は、ぜひ♡ボタンを押していただけると今後の励みになりますので、ぜひともよろしくお願いします。
あと何度も書きますが『果てしなきスカーレット』はともかく、
『ペルソナQ』は擁護の必要もなくガチのマジで神ゲーなので、まだ未プレイの人は絶対にやってください!!! 約束だぞ!

