書くことで見えてくるもの
この数年、気持ちが大きく揺れたり、変化がとても多かった。
ずっと変わらずに大切にしていることにも気づいたりして、
そういうことを、どこかに記録しておきたくて、noteを始めている。
書き始めると、思ってもみなかったところに辿り着いて、
その瞬間がけっこう楽しい。
今はまだ、ソワソワしながらだけど、それでも、少しずつ「書くこと」を取り戻している感覚がある。
思い返せば、小学校5年生の頃から日記を書いていた。
30代くらいまで、ずっと続いていたように思う。
その後は、mixiに始まり、Facebookや個人ブログでも書くことはしていた。
でも、ちょっと気持ちが入った記事に対して、
大人になってからSNSで繋がった同級生から、茶化したコメントをされ、
恥ずかしくなり、なんだか嫌になってしまった。
フォロワーに知人が増えていくと、うまく書けなくなっていくので、
新たな場所へ移動していく…。
詩を読んだり書くのも好きだった。
小学生の頃は、図書館で銀色夏生さんの詩集を見つけては読んでいた。
短い文章に想いが込められていることに、とても魅せられていた。
これもある時、自分で書いた詩を見られてふざけて読み上げられ、
笑われてしまった。
それからは、誰にも見られないように、隠すようになったし、
恥ずかしいことをしているのかもしれない、と思うようになっていた。
たとえ、私の文章が好きだと言ってくれる人がいても、
傷は残っていて、小さくなってしまう自分がいる。
ただの思い出を綴ることさえ、
「書く必要あるのかな…」と思うようになり、
書くことからどんどん遠ざかっていった。
書きたい気持ちが溢れてくる・・・変化とこれから
「これは誰かに伝えるほどのこと?」
何度も思い、考え疲れてはやめた。
でも、気持ちが変化してしまった後だと、その時の葛藤などを案外忘れてしまう。だからこそ、今の心の波を残しておきたい気持ちがある。
40代になっても、やっぱり悩みは尽きなくて、
「まずは原点に戻ろう」と思ったとき、
その流れで、「自己理解」という考え方にも出会った。
人生の振り返りにあたり、日記や昔書いたものを読み返すと、
その時はわからなかった自分が見えてきたりもした。
どんなことにも真剣に悩んでいる自分。
片思いの切なさや、進路に悩んでいたことまでの様々な記録。
変わったようで変わっていない自分。
宝物のようで、やっぱり少し恥ずかしい記録。
私はいつも、「最終的にどこに向かってるのか?」を気にしすぎて、
わからなくなって、書くのをやめてしまっていた。
でもやっと、「ただ、自分のために書いてもいい」と思えるようになって、
少しずつ、また「書くこと」を取り戻している。
くだらないことも、ロマンチックな言葉も、書きたい気持ちを優先したい。
悩み尽くしても、退屈することがない私の人生。
これからは嬉しかったことも、ちゃんと残しておきたいなと思っている。
