かおのないかぞく
プロローグ
事務所の呼び鈴が不規則に鳴っている。
モニターには母が映っている。今日は私の誕生日だ。鳴り続けている。毎年この時期になると母は菓子折りを持ってやってくる。去年は気付くとカウンターに置いてあった。今年は居留守を使おうとしたが、帰る気配はない。呼び鈴はまだ鳴り続けている。仕方ない・・・。
「元気でやってるの?これ和菓子だから」
「申し訳ないけれど、もう受け取れません。もうやめてください。妻も具合が悪くなってしまうので」
「わたしは、過去のことなんか気にしていないし。許しているよ。色々あったけどお互い様なんだから」
「もう話すことはないので、お帰りください」
最後はうなだれて帰っていった。
気がつくと息が止まっている。頭が縄で締め上げられながら引き摺り込まれそうだ。視界も暗くなる。頭、肩、背中に得体の知れない何かがズンッと乗っているようだ。立っていられない。たまらず目の前のカウンターに手をついた。
「て、事があったんだよ。去年は居留守を使ったし、今年は来ないと踏んだんだけどな〜」
その夜、夕食を作りながら妻に報告していた。
「え!?やっぱり来たんだ〜。だから言ったじゃ〜ん」
ふと違和感に気づいた。間近で話した母の顔が思い出せない。その光景の中で顔の部分だけが風景に同化しているように。代わりに声だけが異様に、はっきりと、耳の奥の方に刻まれたように残っている。
顔がない。
背中から尻にかけて冷たい何者かがズルッと通り抜けていく。
その一瞬、何かが繋がった。母だけではない。父も、妹も。声も、言葉も、空気の重さも残っているのに。顔だけがきれいに抜け落ちている。忘れているわけではない?消えた?消した?
違和感を確かめる為に辿った記憶は、想像以上に重いものだった。
5年前
「結婚記念でもらったサンセベリア。これ、花じゃない?」
「おお〜すげ〜。一回全滅しそうになったのにね。感激だな!」
枯れそうになってからは、日当たりや水やりに気を遣い二人で成長を見守っていたサンセベリアは、微かに甘い香りを部屋中に漂わせ可愛らしい花を咲かせた。妻のおかげだ。天然なようで何気なく発する一言が確信めいている事が多い、それでいて、人たらしな彼女の性格もあり、わたしの身内である母や妹とも適度な距離を保ち、それなりに良い関係が築けるようになっていた。過去の出来事は、思い出として私の最奥にしまい込まれていた。
「ゴトン!ガコン!バゴーン!!!」
深夜に激しく響き渡る騒音に叩き起こされる。あまりの激しさに110番通報。次の日も、その次の日も、毎晩繰り返されるようになった。後日管理会社にも伝えたがお手上げだった。睡眠不足も重なり転居先を探している余裕はなく、急遽母の住む実家に移る事になった。初めは母も喜んでいた。
私達夫婦も。
「うまくいけばそのまま同居続けても良いかもね〜」
などと、毎晩の騒音から抜け出せる安堵感で深く考えていなかった。重なる時は何でも重なってくる。タイミングを合わせたかのように電話が鳴った。妹からだ。
「今住んでいるところ、取り壊しになるんだ。私も一度実家に戻ろうと思うんだけど」
「お前の実家なんだから、気にする事ないよ、ちょっと狭いかもしれないけどよろしく」
私は気が大きくなっていたのだろう。横から小さく聞こえた
「えっ?」
という妻の声だけが、これから起きる事を密かに暗示していた。
妻が何気なく声をかけると、ため息をついて無言で部屋を出ていく妹。私が掃除をすると、帰ってきて無言で部屋に籠る母。何をしても何もしなくても。安息の場所になるはずの家は、玄関を入るとそこは一面の地雷原。
コロナ禍
世は新型コロナで狂っていた頃。その日、暗闇に薄ら浮かび上がる廃墟のようなその家は、私達夫婦の帰りを拒むかのように静まり返っていた。
おそるおそる玄関の鍵を開ける。目の前に広がる闇。「ガチャ」奥の部屋からゴソゴソと音が聞こえる。黒い影が私と妻の所にゆっくりと近づいてくる。なぜか握り込んでいた手がじわっと汗ばむ。
「少し具合が悪いけど、風邪じゃないからね」
ゾンビの様な顔の母が、モソモソと出てきてしゃがれ声で話しかけ、部屋に戻っていく。
私達夫婦は急いで窓を開け換気をし、共用スペースをアルコール消毒をして、自室に避難した。全身が強張ったまま、深く呼吸ができない。
「検査をしたら新型コロナでした〜」
翌日仕事中に、ガサガサの声で母から電話が来た。私は、急いで家族全員に感染対応策と、私と妻はビジネスホテルに数週間避難生活する事をLINEした。それを待ち構えていたかのような、妹からの返信。
「親をなんだと思っているんだ。私が先にコロナになったんだ。私も具合が悪い。こんな時にホテルに避難とかありえない。信じられない。助け合うのが家族だろう。お母さんは、おまえらのために毎日いろいろ我慢して過ごしているんだ。おまえらは、血も涙もない薄情者だ。」
「そういう事でしたら、ホテル滞在費用はすべてあなたに請求します。戻った時に請求書出しますのでご対応よろしくお願いします。」
目が疲れた。返信文を打ち込んで静かになったスマホを机の上に置いた。
「こうやって冷静になると、異常だよあれは。あの家で生活していると、家族なんだから、これくらい我慢しないとダメだよね〜って思うようになりかけてたから。ワタシもやばかったな。住む所早く見つけないとね」
ようやく妻も事の異常さに気づいてくれたみたいだ。
トドメ
新居がようやく決まり、少し気が緩んでいたある夜。
あれ?さっき帰ってきて、洗ったよな。ある晩風呂に入ろうと準備をしていると、壁に血を拭き取った跡がそこら中にある事に気がつく。殺人現場の証拠隠滅を図ったような浴室を前に、私は思わず脱いだ服を着直していた。
「うわっ!え〜っ!・・・何これ!まだなにもしてないよ。妹さんじゃない?」
どう伝えようか悩んだが、私が丁寧に伝えるしかない。あまりにも酷い。
「疲れているところ申し訳ない。風呂場は共有スペースだから後に使う人の事も考えて、もう少し綺麗に使っていただけないでしょうか。」
「私はやってねーんだよ。ネチネチネチネチしつこくよぉ〜。こまけぇ事言いやがってよぉ!これ以上おめぇらとは一緒に住めねえんだよ!おまえらはさっさと出ていけぇぇぇー。」
叫び声が室内でこだまする。血走った目に全身は小刻みに震えている。刃物が出てきそうだった。
「ヤバイ!このままでは間違いなくいつか殺される」
本能が告げてきた。私が母と妹と関係を断つ事を決めた瞬間だった。
「コホッ、コホッ」
「コホッ、コホッ」
その日を境に私と妻は乾いた咳が止まらなくなった。検査をしても原因不明。毎日カレンダーにチェックを入れ、この家の住人達に怯えながら引越しの日を待つ事しかできなかった。
新居の窓を開けた。強い風が吹き抜けて行く。
数年前の数ヶ月の出来事。息遣いまで鮮明な記憶の中の母と妹は、首から上の部分がぼんやり無くなっている。私の実家はこんなに酷かったのか?異常さしか見えてこなかった同居生活は、少しづつ私の過去を抉り出すきっかけとなった。
光
真っ暗な山間の道をずっと車を走らせている。ライトを切ったら一面の闇になる。獣の鳴き声も聞こえてきそうだ。助手席では大学の友達のJ君が、タバコを吸いながら何やら楽しそうに電話している。
「おー、マジだ!これから山奥に行ってくるよ〜。こんどプレイに行っちゃう?ヒャッヒャッヒャッ。」
ずっと携帯のアンテナがピカピカ光り続けている。さっきまで、私の重い話を聞かされていたのに、切り替えの早いやつだ。
事の始まりは、バイト終わりの母から一本の電話だった。
「お父さん、浮気してたよ。」
正直どうでも良かったが、父がどんな反応をするのか気になって一度だけ電話をかけてみた。
「チラッと話聞いたんだけど、浮気してんの?」
「あ、ああ。うん。」
「相手ってどんな人?」
「高校の時の……」
「何やってんだよ。家の方はどうすんの。なさけねー」
「……」
「まあ、いいや。いろいろちゃんとした方がいいよ。」
「......」
電話を切った瞬間に起きた不思議な感覚。苛立ちは消え、確信めいた何かが心の中に落ちてきて、安堵のような感覚が湧き上がる。
「お父さんってそう言う事、誰かに話ししたのかな?親にはもちろん。お母さんにもいえないじゃん」
「どーなんだろうね〜。そういえば親父の事あんまり知らね〜な〜・・・」
妻から言われて初めて気付いたかもしれない。考えた事も無かった。
家族
妻も、友人も、家族との思い出があると言う。家族で山に登って帰りにお父さんにおんぶしてもらったとか。遊園地に行ってとても混んでいて乗り物には乗れなかったけどレストランでみんなで食べたご飯が美味しかったとか。心が温かくほっこりするようなものだと言う。
私は・・・。
雨でドロドロになった、山を切り崩した斜面。その中央付近に突き出した大きな岩。「お前には登れないだろう」とばかりに目の前にそびえ立つ。四つん這いになっても足元はズルズルすべる。涙と泥でぐちゃぐちゃになって、手を、足を、上に出し這い上がる。母の罵倒が背中に刺さる。嫌だと言っても。もう辞めたいと言っても。辞めさせてもらえない・・・
「なんでみんなと同じように遊べないの。そんなひ弱な事で、これからどうやって生きていくの。いつになったらできんの。泣、い、たって、ダ、メ、な、の!」
地元の保育園で岩山遊びの輪に入れなかった事が、母の耳に入った事が原因だ。予期せず始まった休日の特訓。
楽しい思い出・・・ 。
お正月にはいとこたちが集まっていた。ある年、叔父さんが。
「叔父さんと叔母さんからお年玉だよ。大事に使ってね」
その瞬間、母が血相を変えて飛んできて、私の前に立ち塞がる。
「あ〜だめだめだめ。そういうやりとりはなしにしましょう。私たちそういう関係じゃないんだし。身内なんだし」
おじさんは困ったような、どこか憐れむような微妙な顔をしていた。以降お年玉のやりとりは完全になくなった。
家族は・・・。
二、三歳の頃、母を探して泣きながら商店街を彷徨っていた。声をかけてくれたのは八百屋のおじちゃん。家の中を這いずり回って探し続けたミニカー。
四、五歳の頃、山間の村にある父の実家へ引っ越した。祖父母、父、母、私、妹の六人生活。大きな川沿い、まるで広大なジャングルに踏み込んで行くような、鬱蒼と木々が生い茂る細い道。そこを進む引越しトラックの後ろ姿。
踏み込んだ先の新生活は、頻繁に起こる祖父母と母のケンカ。怒鳴り声、青ざめた顔、逃げ回る母。母と二人になると必ず祖父母への悪口。遮る言葉も、逃げ場もなく、黙って聞くしかない。祖父母と母の喧嘩は、私が上京する時まで止む事はなかった。そんな時いつも父はいない。家にいる父の記憶は、空になりかけの一升瓶とマイルドセブン。
学校
私の家族はほぼ皆んな教師だ。父、母、祖父、母方も祖父母、曽祖父母まで。「すごいねそれ、それでこんななっちゃったのか」お菓子をぽりぽり食べていた妻が言う。
まずい。どうしよう。必死に考える。痛い。うずくまっても、背中に打ち付けられる木の枝や砂。逃げないと!校舎の中、体育館の裏、校門の外。全力で走って逃げた。最後の一投が、私と職員室の窓ガラスに当たる。ガラガラと窓が開いて担任の先生が顔を出す。
「こらー。なんだー。どうしたのー。ダメでしょ!」
先生は、私を追い立ててきた三人を軽く注意した。
「あなたも男の子なんだから、嫌なことは嫌と言いなさい。泣いてばかりでは何も解決しない」
いじめの件は母にも伝わっていた。家では、待ち構えられていたような言葉。
「いじめられる方にも問題があるんじゃないの。お父さんも言ってたよ。弱っちい事を言って泣いてばかりで。担任の先生はとても良い先生なんだから、先生に言いなさい」
先生から出された提案はいじめの解決法ではなく「夏休み学校で読書感想文を書く」で、そこで書いた私の読書感想文は特賞を受賞した。その効果だったのかは今もわからないが、夏休みが明けると、何事もなかったかのように、静かな二学期が始まった。
部活動を引退した中三のある朝、私は空気になった。一緒に積み上げてきた二年とちょっとの時間はこんなものかと、窓の外のグラウンドを一人眺めていた。
私は、目標の高校受験の為に、卒業までその陰湿ないじめに耐えることを決めた。揺らぎそうになる決意を固めるため母に伝えた。今の状況と、卒業まで耐えるという決意表明。ただ聞いてもらえればいい、干渉はしないでほしいと、はっきりと。
「ちょっと話があっからこいよ」
「お前のカーチャンに言われてよ。謝れってよ。ごめんな」
ニヤニヤしている。反省も謝罪の欠片もない軽蔑の視線。唐突すぎる謝罪。頭の中は、真っ白の向こう側に行った。
「なんで、あいつらに言ったの?」
「だって・・・私が、耐えられなかったんだよ」
母から返ってきた言葉に湧き上がったのは、一瞬の殺意と虚しさだった。
この頃の記憶の中の人達は、ほとんど、皆んな、顔がない。
偉い人
「家も大概だったみたいだけど、学校もいろいろあるよね。わたしもいじめられてたしな。よくここまでまともになってくれたものだ。私のおかげだね」
私の話に、噛み締めるように妻が言う。
ああ、これは小学生の頃か。
「偉い人ってどんな人の事を言うのかな?まだ小学2年生のみんなには難しいかもしれないけど考えてみよう」
目の前で、母が大嫌いな校長先生が話し始めた。
ハゲで白髪モジャモジャ、鼻に老眼鏡、漫画に出てくる老博士のような、目つきの鋭い校長先生。担任の代わりに教室に入ってくるなり、老眼鏡を少しずらし、上目遣いでギョロッとみんなを見回し言い放った。
皆が答える。先生、医者、親、総理大臣。
「その人達はなんで偉いのかな?先生だから?医者だから?親だから?それでは偉いとは限らないよ。例えば、仕事をしないでサボっていたら総理大臣でも偉いとは言えないよね。みんなは肩書きで判断しちゃいけないよ」
お父さん、お母さんが偉いとは限らない。この授業は、今も忘れられない。
山と田んぼと大きな川。虫や魚を捕まえては穴が開くほど眺めた。ヘビがウサギを飲み込む場面を、カマキリが獲物を捕まえる瞬間を。自然の中だけが唯一の居場所のような、そんな感覚だった。自然の中には、きれいな面と残酷な面が同じ重さで存在している。誰も空気を読まない。
生き物達の生き様を偉いと思っていた。
小学四年生。父の昇進と転勤に合わせた家族四人での引っ越しだった。転校先は全校生徒が十数人という小さな学校。集落の人達まで皆んな仲が良い。
校庭を全力で走り回っている。後ろから迫る手をギリギリでかわす。ターゲットは他に移ったようだ。触られたら終わりの鬼ごっこ。やっとの思いでたどり着いた、安全地帯のジャングルジム。目の前には新しく担任になった先生のケツがあった。こんな時の湧き上がる衝動は抑えられない。
「カンチョー!!!」
ゴキっと音がしたかと思った。開放感と浮かれた衝動に駆られやってしまった。
「どうしてそう言う事をした?」
「この手がやりました〜。ハハハ」
次の授業で教科書は開かれる事はなく、一時間まるごとお説教になった。
「先生に対して突然カンチョーとは何事か。「この手がやりました」という言い訳は断じて許されない。お父さんが、教頭先生だからと言って私は甘やかしたりしない」
高校の時は変わった担任だったな〜。
静まり返った教室の真ん中に、椅子とテーブルが三つ並んでいる。どこを見たらいいかわからず、そわそわしながら黙っている。
「この子は勉強しないし。何を考えているかさっぱりわからないんです。言うことも聞かないし。どうしたらいいんでしょう。困っちゃって。」
母は頭をかきながら、唐突に担任に話し始める。
「お母さん。それは違いますよ。彼はちゃんと自分で考えています。ちゃんと話を聞いてあげていますか?」
母は顔を真っ赤にして黙り込んだ。痛快だ。赤点ギリギリで何度も怒られていた私は、耳を疑った。
後日先生に、
「面談でも進路の話できませんでしたけど、僕大丈夫ですかね。」
「あ〜?ああ。お前なら何とかなる。」
色々と悩んでいた心がスッと楽になった気がした。良いように解釈しただけかもしれない。とは言え進学校、三年生にもなれば受験ムードは全開。家も学校も、その雰囲気に飲み込まれていく。
私は、仏壇に積まれていた酒に手を出すようになっていた。二日酔いのまま学校へ行くこともあった。気づいているのか、いないのか、家族は誰も何も言わなかった。
皆んなの顔、先生の顔は、ある。
家族以外。
逃した転機
妻は食器を洗いながら、何となく応える。
「私は先生の話なんか信用できないって思って、全く聞いてなかったからなぁ。よくそんな小さい時からいろんな先生の話覚えてるよね。聞いていたとしても覚えてないな」
「先生の名言集みたいな。妙に残ってるんだよね。心が震えたみたいな。僕の転機だったのかもね」
そういえばあの時・・・
「小学校卒業したら、また実家に戻ってみんなで生活するからね。お父さんの転勤も決まったから」
また祖父母と一緒に暮らすという。またあの生活に戻るのかと憂鬱になった。この頃母は住宅雑誌をよく買っていた。北欧住宅がとか、機密性がとか、盛り上がっている母に伝えた事があった。
「実家に戻らないで家を建ててもいいんじゃない?」
「そうだね。お父さんと話してみる」
気がつけば引っ越しは終わり、実家に戻っていた。
気がかり
山から吹き下ろす風が身に沁みる。バイト帰りに肉まんを食べたくなる頃。母から電話が入った。父の浮気の事も忘れかけていたある日。
「お父さん、いなくなっちゃった。数日前から出勤してないって。今捜索願い出して探してるんだけど。」
「あーそう。まあ、大変だと思うけど、今いろいろ忙しいから、進展あったらまた教えて。」
適当な返答をして電話を切った。やっぱり予想的中だな。深いため息をわざと吐き出してみた。
それから数日後、肉まんをかじりながら携帯を開くと、母から何件も着信が入っていた。折り返すと、機械のアナウンスのような声が、
「お父さんの車が見つかった。山菜採りの地元の人が見つけたみたい。警察から電話があった。明日の朝八時に警察署に、現地の消防団と警察官が集まって捜索するって。身内も参加できますって。遠いから来なくていいから。」
と、告げた。電話は切れた。時計を見ると夜の十一時だった。
同時に「この現場に行って自分が見届けないといけない」という使命感の様な感覚が走る。気がつくと走っていた。
アパートに戻ると、友達数人が集まって麻雀をやっていた。訳あってこれから、実家の方まで行ってくると言うと、その中の一人、J君が立ち上がった。
「は?今から?一人で行くの?こんな夜中に一人じゃヤバいっしょ。俺、ついてってやるよ。免許ないから運転は無理だけど」
込み上げてくるものがあった。
バイト終わりからの深夜の長距離移動。その先に待っているであろう現実を考えると、自分がその場でどういう反応をするのか、まったくわからなかった。J君の一言は私の不安を安堵に変えてくれた。
J君に一度聞いた事があった。
「あんときさ、何でついてきてくれたの?」
「は?そんな事言ったっけ?あ〜。心配だったから?」
父
真っ暗な山間の道を、ずっと車を走らせている。ライトを切れば一面の闇だ。車の中で、J君に経緯を話した。彼は黙って聞いていた。ナビもなかったので時々地図を確認してもらいながら、やがて道は一本になり、川を沿うように山間を這うように。気づけばJ君は助手席で眠っていた。
辺りが、一面の闇から朝霧が立ち込める山間の景色を浮かび上がらせる頃、私とJ君を乗せた車は現地に着いた。捜索開始までの時間を凍えながら車の中で過ごした。
捜索場所には消防団員と警察官、合わせて二十人ほどが集まっていた。祖母も来ていた。現場は、大きな川沿いの道を最奥まで進んだ、山の奥だった。紅葉した葉は既に落ち切って、たくさんの木々の間に朝日が差し込んでいる。山が深いので何日かかかるかもしれない。事前に伝えられていたが、捜索は呆気なく終わった。
「いたぞー」
祖母はその場に崩れ落ちた。
霜が、光を受けてキラキラと輝いていた。
五十メートルほど先の斜面。木に沿うように、黒い人影が見える。
予想通りだな。
違ったのは、朝日に照らされた山の景色。息をのむような美しさだった。
その光景は今も目に焼きついていて消えない。
ありふれた光景に見えた父の死を目の当たりにして、
悲しみは、無い。
怒りも、ない。
なぜ?も、無い。
強いて言えば、何も感じない自分が悲しかった。
父の葬儀には大勢の人が集まった。喪主を務めたわたしの眼前に、次々とただ悲しい風な、何ともいえない表情であろう喪服を着た人達が、こちらにお辞儀をしていく。そんな映画のシーンを強制的にみせられている。知った顔も知らない顔も皆んな実家の庭と同化して、無い。
高校卒業後久しぶりに帰った実家、葬儀が終わり開け放たれた家の中を、喪服に割烹着を着た近所のおばちゃんたちが走り回っている。長年溜まり続けた重さが弾け飛んで、その残りカスが漂っているような、なんとも言えない沈香の香り。
エピローグ
白い煙が部屋の中、ゆらっと広がりだした。お寺の中、スゥーっと息が抜けていくような、沈香の香り。
「ケホ!ゲホッ!ちょっとこっちに全部流れてくるんだから。洗い物してるんだから」
「ごめん。ごめん」
「あった・・・・・・親父の顔」
「何?唐突に」
もう少しで書き終える。一息つこうと、タブレットを置いた。桐箱の線香を一本だして火をつける。
父の葬式。気持ち悪いくらい澄み切った家の、線香の煙が漂う中、客間に置いてある棺桶に眠る父の顔は、酒とタバコでドス黒い。
