論考 : OTONA CHILD.解体新書 〜芸術とショービズの天秤〜
「芸術は独り言、エンタメは対話」そんな言葉を思い出した。
子供の頃、校庭で必死になって四葉のクローバーを探したり、石の裏にいる変な虫を探したり、そんなミクロな世界にすら好奇心を抱いて世界に期待していたはずなのに、大人になったらそんなのすべて忘れて満員電車のような社会へベルトコンベア的に適応されていく。
夢追い人は淘汰され、この世からどんどん初見の好奇心や期待が無くなっていく絶望に嘆いていたある日の夜に、インキャアイドルが目の前に現れた。
ただならぬ雰囲気を醸し出している怪しい未確認生物たちは、「インキャのキャキャキャ」という一聴してトンチキな曲で、歌詞も狂気の沙汰だ。しかしその中身は、生き辛い人々を肯定するインキャ讃歌を歌い踊り狂う慈愛の天使たち。激ヤバなグループだ。
どうやらそのアイドルグループはオトナチルドレン(以下オトチル)という事務所に所属しているらしい。こんな正気の沙汰じゃないアイドルをプロデュースしているんだ、プロデューサーもきっとマッドサイエンティストの類に違いないと、私は少しワクワクした。
その事務所のプロデューサーは、元バンドマンの、ひとりの女の子だった。
ということで、今回はアイドル事務所OTONA CHILD.の総合プロデューサーこゆびちゃん氏と、オトチルという事務所について考えてみよう。
オトチルについて、NANIMONO、AZATOY、hakanaiについては、非常に綺麗にまとめられた素晴らしい記事があるので、ぜひそちらを先に読んでから、この後を読み進めていただきたい。
本来は上の記事のような話を書きたかったのだが、こんなにいい形で先に書かれてしまったので、クリエイター集団オトチルの強みと、こゆびちゃんの創作論について、本質的に深く掘り下げていきたいと思う。
オトチルが他の事務所と大きく違うところは、プロデューサーが自ら曲を書くところ。そして楽曲の制作が事務所内でも完結できるシステムがあるところ。
こういったアイドルコンテンツの楽曲制作フローは通常、プロデューサーがやりたいコンセプトに沿った楽曲を作家事務所のコンペなどで募集し、一番それに近い楽曲を選びブラッシュアップする。もしくは、外部の作家に指名外注する。
オトチルの場合は、作詞作曲ができるこゆびちゃんが曲を書き、アレンジャー/ギタリストである杉原亮氏が編曲をするというスタイルが多い。
ちなみにこゆびちゃんは音楽以外にも映像、写真、デザイン、コンカフェ経営等、多才である。
また、こゆびちゃん含め運営陣のほとんどが元バンドマンということもあり、音楽業界での横の繋がりを生かして自身が信頼したミュージシャンや作家に外注できる、コンペに頼らないシステムを築いているのが特徴的だろう。
私も元々は商業音楽で制作していた身なので、自分の大事なコンテンツを見ず知らずの他人に委ねることの怖さをよく知っている。
特にhakanaiというグループは、こゆびちゃんの音楽ルーツにも深く関与するコンテンツであるため、青春時代に影響を受けたミュージシャンに作詞作曲を託し、その魂を預けているという点も興味深い。
また、AZATOYの「愛$ソング」やNANIMONOの「未確認生物」は、こゆびちゃんのバンド"雨ノ弱"から、hakanaiの「アンニュイガール」は、こゆびちゃんが過去にプロデュースしていたアイドル"lonly planet"の「ENNUI GIRL」から、それぞれリアレンジ楽曲として復活している。
NANIMONOの「ケンタウロスの夜」や「CHEWING GUM」のような、他の事務所ではコンペにすら出てこないような楽曲も、こゆびちゃん自身が書き下ろすからこその世界観と、この業界へのカウンターカルチャーを強く感じる。
こうした制作環境を構築しているため、コンセプトに対する楽曲の強度が強く、「そのグループが歌うからこそ意味がある」曲が生まれ、そこにリスナーを惹きつける引力が生まれる。紛れもない、背骨の通った創作だ。
そして、それを受け止めてアウトプットできるオトチルのアイドルたちもまた見事だ。きっと並々ならぬ対話と苦労があったはず。表現者としてのアイドルを全うしている姿は健気で美しい。まさにその輝きは血と汗と涙でできている。
こゆびちゃんは「何をするか」と同じくらい「誰とするか」に重きを置いている、と自身のnoteで綴っていた。
そうした要素が相まって、大人が机の上で考えた物語じゃない、脚色も誇張もないそこに生きてる物語。現実が創作を超えた瞬間を生み出す奇跡を何度も起こしてきたのだろう。
ここでひとつ問題となるのが、どんなに素晴らしい芸術だろうと、それを受け入れるオーディエンスがいなければ、ただの独りよがりだ。冒頭でも言った「芸術は独り言、エンタメは対話」という命題。
アニメ監督の富野由悠季が、あるインタビューで「お前が好き勝手やることを才とは認めない。才能は叩かれ鍛えられるべきで、漠然と好きなことだけやってればいいと思ってしまっては、極めてアバウトなオタクになってしまう。」と絶叫していたのを思い出す。
私が個人的にこゆびちゃんの一番評価している点は、芸樹とショービズのバランス感覚だ。
lonly planetでの経験で知り得た、需要のないコンテンツは淘汰される現実。
そんな教訓を生かして生まれたNANIMONOは、幅広い世代に楽しんでもらうために、あえてIQを低く設定してコンテンツを作っている。
まずは「見てもらうこと」にこだわった結果、アイドル畑という里の掟を守りつつも、その裏にあるメッセージ性を刷り込むことに成功した一例だ。
そういった試行錯誤のもとで、NANIMONOは芸術とショービズが奇跡のバランスを保っている。
この経験は後のAZATOYやhakanaiにも大きく影響しただろう。
伝えたい思想や表現したい世界があってアイドルしているグループは、芸術という根の上でアイドルという表現方法を選択しているから、簡単に崩れることはない強みがある。
こゆびちゃんはプロデューサーというより、ストーリーテラーだろう。
アイドルプロデューサーという仕事人より、一人の創作者としての使命を全うしている孤独な闘いように見える。
アイドルという表現方法で届けられる思想や生き方に可能性を見出し、混沌としたこのアイドル業界を変えたいというミッション。
先の上の記事でもあったように、NANIMONOとAZATOYとhakanaiは、それぞれこゆびちゃんの三面性だ。コンセプトは違えど、根本のテーマは同じ。すべてこゆびちゃんの経験や内面や思想からアウトプットされるからこそ、繋がっている3つの世界を生むことができる。
「OTONA CHILD.は人間である」とこゆびちゃんのnoteのタイトルにもなっている通りで、つまりオトチル自体が一つの大きな作品でもあると解釈できる。
アーティスティックなタイプの創作者は頭の中が蛇口のように湧き出てくる抽象的な形而上学的思考や自己問答でいっぱいになる。常に頭の中で誰でもない誰かと喋っている。あるときは夜空を眺めながら「ほんとうのさいわい」について考え、あるときは今日の晩ご飯どうしようかな〜というミクロな生活圏のことまで、大小さまざまな思考で頭の中が洪水状態だ。
きっとこゆびちゃんも、そういった雑多になった思考の無限回廊を整理するために言葉を並べ、音楽に載せるのだろう。
話を戻して、オトチルのグループの共通ミッションとして、救済の連鎖による優しいセカイの創造と、時間の有限さと生き方の価値を問う物語の提示がある。
特に後者については前回の記事でも引用した、哲学者ハイデガーの本質的死生観「死への存在」も内包するテーマである。
人間の存在の本質は、その死に規定されること。死という絶対の運命的覚悟を受け入れることで、本来的自己を確立できる。
オトチルグループにはこうした「死」を連想させるギミックが散りばめられている。
アイドルという限られた時間の中で、どう生きるか、どう生きたいかを我々に問うているように感じる。
生きづらい人々をそのままでも良いんだよと肯定するというテーマのために、私がオトチル所属のアイドルたちに感じたことは「自分がなりたい自分」を尊重しているところ。
NANIMONOに限らず、オトチルのアイドルたちは俗に言う「社不」「インキャ」であったり、自己にコンプレックスがあったり、そういった社会的マイノリティーな子が多い印象がある。
アイドルはこうあるべきという先入観や、定められた外的印象のフォーマットに縛られることなく、自分のあるがままの姿、自分が思う理想の姿でアイドルすることを肯定し、個を認めること。理想の自分を見つけてあげることの手助けをオトチルアイドルから強く感じた。タトゥーが入ってる子も多い。カッコいい。hakanaiの戦略的百合も、その一環とも解釈できる。
こゆびちゃんが創りたい「優しいセカイ」は、そういった一面もあると思う。
しかし、有名になるということ、人目に触れる機会が多くなるほど、優しいセカイをつくるのは難しくなる。
それは我々が想像を絶するほどに、これまでたくさんの賛否両論があったはずだ。割り切ってきたこともあるだろう。
世間の評価というものは、残酷にも結果論である。
それでもここまでこゆびちゃんの中のゆずれないものを守りながらオトチルを成長させてきた。それはNANIMONO、AZATOY、hakanaiが世間に認められ、結果である数字が物語っている。
今こうして私がオトチルのコンテンツと出会い、この記事を書いていることもまた、その結果のひとつだ。
このような、ただ楽しいだけのエンタメだけではなく、確固たるビジョンと信念のもとで創作を続け、生き方を問い、絶望の淵にいる誰かに寄り添い手を差し伸べるようなアイドルたちが、業界の特異点になってほしいと祈るばかりである。
オトチルは、これからもそのゆずれない「絶対」を誰にも奪われることなく最後まで守り続けてほしい。
「優しいセカイ」という、"ほんとうのさいわい"がやってくるその日まで。
出典・参考記事
