見出し画像

ドリンクひとつ、思い出ふたつ【もしもの始まりを、忘れないうちに】

旅に出る予定もないのに、私は人の波が行き交う大きな駅に向かっていた。
いくつもの路線が交差し、改札の向こうには長距離列車のホームが続いている。
目的もなく、ただその中にある、小さなカフェへと足が向いた。

彼の帰省を見送った日も、2人で旅行に出かけた日も、私たちはいつもその店に立ち寄った。
列に並んで、どれを注文するか少しだけ迷って、どちらからともなく「これにしようか」と呟く。
そのささやかなやり取りさえ、今では遠い愛おしい記憶になっている。

彼が帰省するとき、ギリギリまで一緒にいたくて、その店で過ごした。
「そろそろ行くね」と彼が言って、カップを持ち上げ、笑う。
私はその表情を胸に刻むようにして、背中を見送っていた。

ある日は、2人で旅行に出かける前だった。
並んで受け取った飲み物を手に、なんでもない話をして笑い合った。
同じ切符を持ってるだけで、何か約束された未来を握ってるような気がした。
改札までの道を、少し早足で並んで歩くのが好きだった。

今日は、1人。
手元にあるのは、いつもと変わらないはずのカップ。
でも中身よりも、その隣にあった温もりのほうを、私は思い出していた。

——もしも、またこの駅で列車に乗ることがあって。
たとえば、偶然このカフェに彼がいて、目が合って。
先に来ていて、「久しぶり」って、私の好きだったドリンクを片手に微笑んでくれたら。

改札までは少し距離がある。
でも、その短い道を、もう一度並んで歩けたら——
ほんのひとときでいい、あの日の続きを過ごせるような気がするんだ。

カップを戻して、振り返る。
変わらない音と、人の流れがそこにある。

ここに来れば、想いはまだちゃんと息づいている。
彼の記憶のなかにも、この場所が残っているのなら。
次の奇跡を、少しだけ信じてみたくなるんだ。

#ifの物語
#癒しの時間
#優しい物語
#心に残る言葉


〖別のifを読む〗

いいなと思ったら応援しよう!