あの時、すれ違った声は【もしもの始まりを、忘れないうちに】
最後に会った日も、あなたは私の電車が出るホームまで来てくれた。
それはいつも通りで、でも少しだけ違っていた。
電車を待っていた矢先、あなたは突然私を強く抱きしめて、「元気でね」って言った。
その言葉が胸の奥に刺さって、「あなたもね」しか返せなかった。
本当は──「あなたも元気でね。今までありがとう」って、ちゃんと伝えたかったのに。
電車が来て、私は乗り込んだ。
いつもならドアの近くに立って、あなたに手を振るのに、その日はホームに背を向ける方の席を選んだ。
目が合ったら、崩れてしまいそうだったから。
走り出す直前、ふと後ろを振り返った。
ホームの端で、あなたが小さく手を振っていた。
まるで、いつも通りの別れみたいに。
ふたりで過ごした日は、いつも帰り道に「今日はこんなことがあったね」って、
LINEで思い出を言い合って、その日のアルバムを作っていた。
でもその日だけは、何も送れなかった。
最後に残ったのは、待ち合わせ場所でのたった8分の通話履歴。
「もうすぐ着くよ」──その声だけが、最後になった。
──だから、ifの中だけでも。
同じホーム、同じ時間。
電車が来るまでの数分間、私はあなたの前に立って、目を見て言葉を選ぶ。
「元気でね。今まで、ありがとう」
風が少し強く吹いて、あなたの髪が揺れる。
あなたは黙って、それでもやさしく頷いた。
目を細めて、照れたように笑った顔は、私が好きだったあなたそのままだった。
そして電車が来る。
乗り込む前、もう一度だけ後ろを振り返ると、あなたが少しだけ唇を動かした。
──たぶん、同じ言葉を返してくれたんだと思う。
——私の中に残った、言えなかったひと言。
もしも、あの日ちゃんと伝えられていたら。
それは、彼にどう届いていたんだろう。
君が電車に乗るまでの、ほんの数十秒。
あの短い時間を、何度も思い返してる。
本当は「またね」って、いつもみたいに笑って言うつもりだった。
でも、言葉が喉の奥で引っかかってしまって、代わりに出てきたのは「元気でね」だった。
君が驚いた顔をしたのを、ちゃんと覚えてる。
それが何を意味していたか、きっと君にも伝わってしまったんだろう。
君は少しうつむいて「……あなたもね」って、それだけを言った。
もっと他に言いたいことがあったのかもしれない。
でも僕らは、いつだって最後の一言に弱かった。
ドアが閉まって、電車が動き出して。
君は今日は立っていなかった。
ああ、辛かったんだなって思った。
だから僕は、いつも通り手を振った。
君が振り返ってくれるかなんて分からなかったけど、それでも何も変えたくなかった。
少しでも、最後の景色が優しくあればいいと願った。
──もし、君があの日、目を見て「今までありがとう」って言ってくれてたら。
僕は何て返しただろう。
そんな言葉、受け取れる気がしない。
だって、僕のほうこそ、ありがとうを伝えたかった。
君が電車に乗ったあと、スマホを開いても何も打てなかった。
いつもは、会ったあとLINEで今日の思い出を一緒に並べているのに。
通話履歴も、笑い声も、全部そこにあるのに。
最後は8分の、駅前での通話だけだった。
——これは、言えなかった「さよなら」のif。
たったひと言が、永遠に遠い。
