【掌編小説】思いつかない | アマノ文筆クラブ
時計は23時55分を指していた。
「……出ない。1文字も、出ない!」
山内肇は三日間机に向かっていた。
髪をボサボサに掻きむしりながら、キーボードを叩きつけた。
画面に並ぶのは「あああああ」という絶望の文字列。新番組の企画書提出まで、あと5分しかない。
――ピンポーン。
インターホンが鳴る。ホラー映画の重低音のようなタイミングだ。
ドアを開けると、担当プロデューサーの恭子が立っていた。満面の笑みを浮かべ、手にはストップウォッチを握っている。
恭子は今週も締切5分前に押しかけてきた。
「肇さん、あと4分30秒です。素晴らしいアイデア、思いつきました?」
「きょ、恭子ちゃん! 早い、来るのが早いよ!」
「締め切りが私を突き動かすんです。さあ、今回のテーマは『前代未聞のグルメ番組』。何が思いつきましたか?」
肇は冷や汗を滝のように流しながら部屋の中を見回した。視線が机の上の干からびた竹輪に止まった。
「ち、竹輪だ! 竹輪の穴から覗いた景色だけで構成する旅番組、『ちくわの車窓から』」
「却下です。15秒で画面が茶色一色になって視聴率が死にます。あと3分40秒!」
恭子が一歩、部屋に踏み込んでくる。肇は後ずさりしながら、必死に脳細胞をフル回転させた。
「じゃ、じゃあ、シェフが全員ロボットの料理番組!」
「もうあります」
「シェフが全員、普通の主婦!」
「ただの日常です」
「シェフが全員、喋る犬!」
「保健所とBPOが黙っていません! あと2分!」
追い詰められた肇は、ゴミ箱に放り投げてあったピザの空き箱を掴んだ。
「これだ! 激辛ピザを世界一冷たい声で罵倒されながら食べる『SM激辛グルメ』!」
「……ちょっとニッチですけど、深夜枠ならワンチャン……って、そんなわけないでしょ!」
恭子が肇の頭をスパーンと叩く。
「痛っ! ……でも叩かれた衝撃で何かが出そう……出ない! 何も思いつかない! 脳みそが、脳みそが更地になった!」
「あと1分です! 肇さん、あなたの才能はそんなものですか? 絞り出して! 雑巾を絞るように!」
「うわあああ! 助けてくれ!」
肇はパニックになり、部屋中をゴロゴロと転げ回った。本棚から資料が雪崩のように落ちてくる。
50秒、40秒、30秒……。
ストップウォッチの電子音が、肇の耳元で爆音の心音のように響く。
「10、9、8……」
恭子のカウントダウンが始まった。
「あ、あ、あああ……!」
肇はノートパソコンをひったくり、めちゃくちゃにキーボードを叩いた。もう思考は停止している。ただ、今この瞬間の地獄を書き殴るしかなかった。
「3、2、1、タイムアップ!!」
――チーン。
静寂が訪れる。
肇は真っ白になって床に倒れ込んだ。
恭子は無言で肇のノートパソコンを引き寄せ、画面を覗き込んだ。
そこには、凄まじい熱量でタイピングされた新番組企画書が映し出されていた。
タイトル:『思いつかない』
内 容: 締め切り直前のクリエイターたちが、限界状態で「何も思いつかない!」と悶絶する姿をリアルタイムで配信するリアリティショー。視聴者は誰が一番面白い言い訳をするかに賭ける。
「……これ、今までの企画より面白い」
「は?」
恭子は思わず息を呑んで、ゆっくりと肇を振り返った。その目は、今まで見たこともないほど輝いている。
「……肇さん。これ、天才です。現代のストレス社会とリアルな人間の業が見事に融合しています! すぐ会議に通します!」
「え? ……あ、いや、それ、俺の今の状況をただ……」
「早速、ゲストを探しましょう! 締め切りに追われる漫画家とか!」
恭子は嬉々としてノートパソコンをスクロールし始めた。肇は床に大の字になったまま、弱々しく天井を見上げた。
画面を追う恭子の指がピタリと止まった。そこには、企画書の続きとして、この5分間に自分たちが交わしたばかりの会話と、奇妙なト書きがタイピングされていた。
『恭子は嬉々としてノートパソコンをスクロールし始めた。肇は床に大の字になったまま、弱々しく天井を見上げた。』
恭子が顔を上げた。
『恭子が顔を上げた。』
肇は何かに気づいたように視線を横へ滑らせた。
『肇は何かに気づいたように視線を横へ滑らせた。』
ノートパソコンの画面の文字は、さらにその先を紡ぎ出していた。
『次回、「締め切り限界線」。肇はまだ、自分が毎週この番組の出演者になっていることを知らない。お楽しみに!』
恭子は肇の顔を見た。ノートパソコンの画面を見た。もう一度、肇の顔を見た。
「……肇さん、これ」
肇が視線を向けた先――。壁の向こうの暗闇で、赤いランプがぼんやりと光っていた。
「これ、まだ続くのか……」
甘野充さんの、アマノ文筆クラブの企画に参加させていただきました。
