仕事で疲れてる自分にちゃんと気づけてますか。
「なんだか最近、気力がわかないな。」
「ちゃんとしなきゃと思うのに、身体がついてこない。」
そんな日が、ありませんか。
やらなきゃいけないことは、頭では分かっている。
なのに、身体が、重い。
気持ちだけが焦って、実際の手は、なかなか動かない。
そういう時期って、あります。
そして、そんな時ほど。
普段なら片づけるものを、そのままにしてしまう。
机の上が、いつの間にか散らかっている。
いつもやっていたことを、「今日はいいや」で済ませる日が、増えていく。
そんな自分を見ると、つい思ってしまう。
怠けてるな、と。
ちゃんとしなきゃ、と。
でも、それって本当に、ただ怠けているだけなんでしょうか。
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私は、もともと綺麗好きなほうです。
床に物が置いてあると、気になる。
机の上も、できるだけ整えておきたい。
普段のケアも、自然と続けられているタイプでした。
でも、疲れが溜まってくると。
床に、物を置きっぱなしにする。
机の上が、散らかり始める。
いつものケアも、「今日はいいや」となる。
以前は、そんな自分を見て、責めていました。
だらしなくなったな。怠けてるな、と。
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でも、同じことが何度か繰り返されるうちに、気づいたんです。
部屋が散らかる時。
いつものことが、面倒になる時。
「まあいいや」が増える時。
振り返ると、そういう時は、自分が疲れている時と重なることが多かった。
私は、怠け始めたわけじゃなかった。
いつもの自分が、少しずつ、できなくなっていただけ。
そのズレが、たぶん、疲れのサインだったんです。
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疲れって、「しんどい」とはっきり感じた時にだけ、現れるものじゃないのかもしれません。
自分より先に、生活のほうが、乱れ始める。
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そこまで考えて、私は、あることに気づきました。
散らかった部屋を見て、私はずっと、「だらしなくなった」と思っていた。
でも、逆だったんです。
散らかっているのが、本当の私なんじゃない。
いつも、きちんと片づけられていたこと自体が。
私がずっと、気を張って、踏ん張ってきた証拠だったんです。
普段の生活を、当たり前に回す。
それは、当たり前なんかじゃなかった。
ちゃんとしていた日々のほうが、実は、力を振り絞っていた。
散らかった部屋は、私が怠けた結果じゃなくて。
これまで頑張ってきた人の、電池が切れかけているサインなんだと思います。
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そう思えるようになってから、私の行動も変わりました。
前なら、散らかった部屋を見るたびに、「もっとちゃんとしなきゃ」と自分を責めていました。
でも今は、そこで一度、立ち止まります。
ああ、私、疲れてるのかもしれないな、と。
そして、さらに頑張るんじゃなくて。少し、自分を労るほうへ切り替える。
眠る時間を、いつもより多くとる。
予定を、少し減らす。
美味しいものを、食べる。
好きなアロマキャンドルを焚いて、その火を、ぼんやり眺める。
同じ散らかった部屋なのに。
見方が変わるだけで、自分への接し方まで、変わりました。
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いつもの自分が、できなくなった時は。
責めるタイミングじゃなくて、労るタイミングなのかもしれません。
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疲れの出方は、人によって違うと思います。
部屋かもしれない。
食事かもしれない。
誰かへの返信かもしれない。
好きだったことが、少し面倒に感じる瞬間かもしれない。
もしかすると、「疲れた」とはっきり感じる前にも。
自分にしか分からない小さなサインは、出ているのかもしれません。
そのサインを、一つ知っているだけでも。
自分への接し方は、少し変わるのかもしれません。
