休職323日目・「働ける高齢者」と「働かざるを得ない高齢者」は違う。ゆずりはの精神を考えた。
おおかみ のみねさんのこの記事を読んだ。
「働く高齢者」の闇を見た!
かなり重かった。
「働く高齢者」という言葉は、前向きに語られることがある。
定年後も元気に働く。
社会とつながる。
経験を活かす。
生きがいを持つ。
若い人の手本になる。
それ自体は、悪いことではないと思う。
高齢でも元気に働ける人はいる。
70代でも山に登る人もいる。
現場で若い人より動ける人もいる。
仕事をすることで生活リズムや張り合いを保てる人もいる。
でも、この記事を読んで思った。
働ける高齢者と、働かざるを得ない高齢者は、分けて考えないといけない、と。
美談にしてはいけない働き方がある
おおかみのみねさんの記事には、スポットワークの現場で見た高齢者の姿が書かれていた。
身体的にかなり厳しそうな状態でも、現場に立っている人。
周囲もそれを当たり前のように流してしまっている職場。
働く以前に、福祉や医療につなげた方がいいのではないかと思うような光景。
私は読んでいて、かなりしんどくなった。
「高齢者も働ける社会」は、きれいに聞こえる。
でも、身体がついていかない状態の人まで現場に立たせる社会は、もう美談ではない。
それは活躍ではなく、置き去りに近い。
工場派遣の送迎バス待ちで見た光景
私も以前、似たようなことを感じたことがある。
他社の工場派遣の送迎バス待ちの人たちの中に、一人だけ杖をついた初老の男性を見かけた。
その光景が、妙に頭に残っている。
他社だし、その人がどういう事情で働いていたのかは分からない。
本人が望んでいたのかもしれない。
生活のためだったのかもしれない。
体調に合わせた働き方だったのかもしれない。
だから、外から一方的に決めつけることはできない。
でも、見た瞬間、気分がどんよりした。
「ああ、ここまで来ても働かないといけないのか」
そう感じてしまった。
工場の送迎バスを待つ列。
作業服。
朝の空気。
その中にいる、杖をついた初老の男性。
それは、私にとってかなり重い景色だった。
A派遣会社は、アクティブシニアの城だった
私がいたA派遣会社も、かなり年齢層が高かった。
20代から40代は希少。
50代以上が多い。
最年長は65歳。
定年は70歳。
まさに、アクティブシニアの城みたいな状態だった。
もちろん、年齢を重ねても働ける人はいる。
実際、体力がある人もいた。
経験がある人もいた。
若い人より淡々と働ける人もいた。
でも、若い人が集まらない現場に、年齢を重ねた人たちが残っていく構造には、やっぱり引っかかる。
その人たちの身体は、本当に守られているのか。
生活は守られているのか。
現場は、年齢に合わせた配慮ができているのか。
それとも、ただ人手不足の穴を埋めているだけなのか。
そこは分けて考えないといけないと思う。
私の家には、共働きのイメージが薄かった
ここで、私自身の家庭の話になる。
私の母は、結婚後は、ほぼ専業主婦だった。
外で働いてはいなかった。
さらに、二人の祖母も専業主婦だった。
だから私は、正直に言うと、家庭の中で「夫婦共働き」のイメージがあまり湧かない人間なのだと思う。
もちろん、今の時代に専業主婦が当たり前だと言いたいわけではない。
むしろ今は、共働きの方が多いだろうし、一人で生きる人も、非婚の人も、離婚後に働く人も、家族を支えるために働く人もいる。
私自身も結婚予定はない。
一人だから働いているのだと思う。
生活するために働く。
家賃を払うために働く。
通院するために働く。
自分の人生を回すために働く。
それは、かなり現実的な話だ。
だからこそ、「働かなくても済む老後」と「働かないと生きられない老後」の差が、余計に重く見える。
両親が無理して働かずに済んでいることに、正直ほっとした
この記事を読んで、私は正直、自分の両親が今は無理して働かずに済んでいることにほっとした。
父は自身の会社を廃業したあと、地元企業で働いていた。
そして70歳で引退した。
今は、ゆったり暮らしている。
母も、外で無理に働いてはいない。
いろいろな家族の問題や感情はある。
親に対して思うことも、もちろんある。
それでも、身体が限界の状態で現場に立たされるような老後ではないことに、私は安堵した。
これは、きれいごとではない。
親に対する愛情だけでもない。
単純に、あの年齢で、あの身体で、無理な現場に立つ姿は見たくないのだ。
ゆずりはの精神
学生の頃にも思ったことがある。
年配の方が、いつまでも場所を占め続けていてはいけないのではないか、と。
もちろん、これは高齢者を排除したいという話ではない。
元気に働ける人。
経験を伝えられる人。
若い人を育てられる人。
現場を支えられる人。
そういう人は、本当に貴重だと思う。
でも、ただ居座ることが美徳になると、若い芽が出にくくなる。
若い人が入れない。
新しい人が育たない。
現場の世代交代が進まない。
しんどい働き方だけが残っていく。
そうなると、職場も社会も詰まっていくと思う。
私は、
ゆずりはの精神
という言葉が好きだ。
譲葉は、新しい葉が出てから古い葉が落ちる。
いきなり消えるのではない。
でも、いつまでもしがみつくわけでもない。
次の葉が育つために、場所を譲る。
人間の働き方にも、そういう感覚が必要なのではないかと思う。
働ける人を尊重する。でも、働かざるを得ない人を美談にしない
高齢者が働くこと自体を否定したいわけではない。
働ける人は働けばいい。
働きたい人は働けばいい。
社会とつながりたい人もいる。
仕事が生きがいの人もいる。
それは尊重されるべきだと思う。
でも、働かないと生活できないから、身体が限界でも働く。
福祉につながれないから、現場に出る。
本当は休むべき状態なのに、人手不足の穴埋めにされる。
それは、別の問題だ。
「高齢者も活躍しています」
という明るい言葉で包んでしまうと、見えなくなるものがある。
活躍なのか。
搾取なのか。
生きがいなのか。
生活苦なのか。
本人の希望なのか。
社会の受け皿不足なのか。
そこを分けないといけない。
まとめ:働く高齢者を美談にする前に
おおかみのみねさんの記事を読んで、私はかなり考え込んだ。
働く高齢者はすごい。
でも、働かざるを得ない高齢者を美談にしてはいけない。
元気に働く70代と、身体が限界でも現場に立つ80代は、同じ言葉でまとめてはいけない。
若い人が集まらない現場に、高齢者が残っていく構造も見た方がいい。
そして、自分の親が無理して働かずに済んでいることに、私は正直ほっとした。
私自身は、結婚予定もなく、一人で働いている。
だからこそ、老後の働き方は他人事ではない。
働けるうちは働く。
でも、働けなくなった時に、ちゃんと休める社会であってほしい。
福祉につながるべき人が、現場で倒れるまで働かされる社会ではなく。
若い芽が出る場所を、高齢者が全部ふさいでしまう社会でもなく。
働きたい人は働ける。
退く人は退ける。
助けが必要な人は助けにつながれる。
そういう社会であってほしい。
ゆずりはのように。
新しい葉が出るために、古い葉が静かに場所を譲る。
そんな働き方の終わり方が、もっとあってもいいと思う。
おしまい。
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