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「もう終わりました」のレポート課題


1.完了宣言

以前、ある授業で学生たちにグループワークをさせていた時のことである。始まって間もないのに、静かになっているグループがあったので、「話し合い、どうですか?」と声をかけた。すると返ってきたのは、「もう終わりました」という答えだった。少し話しただけで「終わり」というのも、今から思えばふつうの反応なのだが、当時は衝撃を受けた。

また別の回の授業では、外部講師を招き、その話をレポートにまとめてもらった。論題は「今日の授業を表すキャッチフレーズを考え、なぜそのフレーズにしたのか説明してください」である。提出されたレポートを読むと、ほとんどの学生が、工夫を凝らしたキャッチフレーズを考えてきていた。しかも、そのキャッチフレーズにした根拠は授業内容であり、自身が重要だと思ったポイントだった。

2.埋める/味わう

私が気になっているのは、同じ学生が、課題が変わっただけで別人のように切り替わったことである。グループワークでは即座に「もう終わりました」と言っていた学生が、キャッチフレーズ論題では悩み、言葉を選び直し、理由を考えていた。能力や意欲が短時間で変化したのではない。変わったのは、学生の関心の向きである。ここではそれを「モード」と呼ぼう。モードは大きく次の二つに分けられる。

埋めるモード:要件を満たして終わる
味わうモード:要件を満たした後も「これでよいか?」と、成果物を味わうように確かめてしまう

一つは「埋めるモード」だ。グループワークで言えば、「意見を出す」「まとめる」という要件をクリアすれば、それで終わりになる。レポート課題では文字数である。「これで終われるか?」が思考の中心にあり、要件を満たした瞬間に思考は止まる。「もう終わりました」というフレーズはその象徴だ。

もう一つは「味わうモード」だ。キャッチフレーズ論題で言えば、一つフレーズを思いついても「もっと良い言い方はないか」と比較し、「AよりBの方が伝わるのではないか」と選び直す。要件を満たしたあとにも「これでよいか」と吟味し、提出する前に自分の出力を味わうように確かめる

ここで言いたいのは、この区別が成果物の出来の差ではない、ということだ。違いは、要件を満たしたところで思考が止まるのか、それとも満たしたあとに「これでよいか」と確かめるのか——つまり、立ち止まりが生じるかどうかにある。

もちろん、埋めるモードが重要になる場面もある。知識の定着や基本的な型の習得など、まず要件を確実に満たす訓練が必要な場面はいくらでもある。ただし、埋めるを積み重ねた先に味わうが自然に立ち上がる、という話でもない。基礎体力が助けになることはあっても、関心の向きが切り替わるかどうかは別の問題だ。


3.出来映えでモードは分かるか?

私たち教員は、学生がどんな取り組み方をしていたかを直接確かめることはできない。だから、成果物の出来を見て判断してきた。よく練られたレポートを見れば「よく考えたな」と評価し、雑なものを見れば「手を抜いたな」と判断する。

私たちが「よく考えた」と呼んできたのは、言い換えれば、要件を満たしたあとにも「これでよいか」と立ち止まって確かめながら進める取り組み方——つまり、「味わうモード」——のことだった。だがそれは直接見えないので、成果物の出来を手がかりに推し量ってきた。出来のよいものには、その立ち止まりが生じているはずだ、と。

しかし今、「出来映えを見ればモードが分かる」という前提が崩れている。埋めるモードのままでも——つまり、「どうすれば終われるか」という関心のまま、言われたことを埋め終えたところで思考を止めた状態でも——、それらしい成果物を出せるようになったからだ。見かけの出来映えが整っていても、その過程で「これでよいか」と自分で確かめていたのかは分からない。

私たちが問うべき中心は、成果物の出来映えそのものというより、学生がどのモードで取り組んでいるかなのだ。


4.「状態」は副産物である

では、モードは何によって切り替わるのか。私たちが設計できるのはどこなのか。

まず思いつくのは、指示を変えることだ。「壁打ちをしなさい」「ブラッシュアップしなさい」。どちらももっともである。しかし、こうした指示が機能するのは、すでに「味わうモード」にいる学生だけだ。一方、「埋めるモード」の学生は、その指示も埋める項目にしてしまう。形式だけ整えたところで止まり、「これでよいか」と立ち止まって確かめるところまでは行かない。

「深く考えなさい」「主体的に取り組みなさい」という指導も同様だ。これらは、学生に何かの作業手順を命じているというより、ある種の状態を求める言い方である。ここではそれを「状態語」と呼ぼう。

たとえば「資料を三つ集めなさい」「段落を分けなさい」なら、それは行為として実行できる。だが「深く考えなさい」はそうではない。これは、行為の追加ではなく、状態の指定である。しかし、その言葉によって学生の「関心の向き」を無理やり変えることはできない。それは「元気になれ」と命令して元気にできないのと同じだ。状態は、命令して作れる成果ではない。
別のことをしているときに結果として生み出される副産物である。

だとすれば、デザインすべきは指示ではない。「これでよいか」と立ち止まってしまう、そうした状況をどう作るかである。


5.宛先を変える

その状況のヒントとなる実践がある。nasastar氏が紹介している事例だ。

この実践のポイントは、レポートの「宛先」を教員から「仲間」へと切り替えている点にある。教員に提出して終わり、ではない。同じ課題に取り組んだ仲間に向けて出す。しかも良し悪しが、投票やコメントという形でその場で見えてしまう。こうなると学生は「終わらせる」より先に、「これでよいか」と立ち止まらざるを得なくなる。


6.小さな状況設定

投票はたしかに一つの方法だが、重要なのは投票そのものではない。ポイントは、提出前に「これでよいか」と吟味するような構造をどう作るかである。

一つ、例を出そう。とある調理の授業で、「自由に料理を作ってください」と言っても盛り上がらなかったが、「空のお弁当箱を持ってきて、自由に詰めてください」というと、とても盛り上がった、という事例だ。お弁当箱には、「これで出してよいか」の判断を自分が引き受けざるを得ない構造がある。色の偏りも、隙間も、その場で見えてしまうからだ。先生に提出して採点を待つまでもなく、提出前に一度、自分で確かめざるを得ない。

この事例は以前の本でも紹介した。当時はこれを「シバリ」の問題だと捉えていた。効果的なシバリは創造力をかき立てる、と。しかし今は、これは「状況設定」の問題なのだと考えている。

投票の実践も、お弁当箱も、起きていることは同じである。教員の評価を待つ以前に良し悪しの差が見えてしまうから、「終わらせる」より先に「これでよいか」と立ち止まりやすい。思えば、冒頭のキャッチフレーズ論題も同じだった。要件を満たした後にも「これでよいか」が残るように、課題が状況を作っていたのである。そうした状況のなかに、モードを切り替えるスイッチが隠れているのかもしれない。


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