カタカムナ読んでの変化:「現状維持」ではいられない
「このままでいい」
「あなたは悩む必要はない」
「私はこうやってマイペースに毎日を楽しんでいる」
「だからあなたもそうすればいいのに」
そんな事を言われているような気がしていました。
それこそが、私の違和感でした。
悩むこと、疑問に思うこと、違う!と苦悶すること…
何かに立ち向かい、葛藤し、突き進んでいくこと…
そんな事しなくていいのに。
緑の中に溶け込んで、浮世から離れて、ゆらゆらと漂っていればいい…
そんなメッセージを感じていました。
そしてそんなメッセージが溢れ、今の現状に苦しむ人を誘い込んでいる。
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一見、優しく、自分を癒やしてくれている感じがする。
あー、これでいいんだ、と思わせようとする。
眼の前の現実を「違う!」と言いながらぶった切って行こうとする私を、
「そんな事しなくていいじゃ~~ん、今のあなたで十二分なんだから、もうがんばるのよしなよ~~」というメッセージ。
これこそが「魔」でありました。
「魔」というものは一般の人間には「ジェントルマン」の顔してやってきます。
「もう怖がらなくていい」
「確実に時代は変化している」
「〇〇チャイルドがたくさん生まれています」
「◯次元〇〇会がそう言ってます」
「龍はこうおっしゃってます」
「〇〇ひめはこう告げております」
「◯ア◯ンの計画は進行中」
「〇〇は実はこういう計画となっている、時機を待て」
「〇〇が実は実行されているのでもう安心してください」
……
カタカムナに出会い、「甘い!」と言われ台風を進んできて、根が太くなって地に足がついたような感じになってきますと、
SNSをピュンピュン飛び交い、人心を惑わすいろんな「情報」がこれでもかというくらいありますが、
この情報を受け取る気にはならなくなりました。
そして、「それ」らの実現が「もうすぐ、もうすぐ」と言われながら、もう何年も経っているのです。
なんでこんな事書くかというと、私は大痛手をくらった8年前に飛びついてしまった情報がこれらのようなものであり、もうあれから何年よ、あの方何年おんなじ発信しているのよ、現状はどうよ、私の生活はどうよ…
と疑問が湧くのです。
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世界は、世間はおかしな事だらけだけど、それに関して学んで監視して、声を上げていかねばならないけれども、
だけど、自分のいろんな問題無視し続けて、それを宇宙人とか、世界的有名人とかが変えてくれる、なんて期待していてはいけなかったんですよ。
世界の革命とかって、たぶん多くの個々人が「おかしい!」と言い続けて、仲間を募って、団結して、「独裁政権」とか倒して変えてきたんじゃなかったでしたっけ?
映画で「キューバ革命」の事を扱ってたシーンとか見ましたけども、
(一言で世界情勢や歴史を語るわけにはいかないのですが、)
個々人が現実に向き合い、現実の厳しさを受け止め、変えていこうと思い、多くの人と協力しあって、独裁者などを倒して、民主化を進めていった…
そんな歴史は世界を見ればあるわけで…
話を大きくしてしまいましたが、
宇宙人とか、今の世界的有名人が、世界を変えてくれる、変革をやってくれると信じて、
実際の我々自身は何もせずにいていいんだろうか…。
(我々は何もしなくていいよ、と言われている気もした)
そんな疑問がずっとあるのです。
だから、メシア思想みたいなのは、ほんとうに危ないと思う。
今SNSで見かけるものは「メシア降臨」を待ってるようなものに似ている。
自分が変わらないで、自分が学んで問題点を明らかにして、声を上げていかないでどうするんだろうか…何も変わらないよ…
これが私の今の考えです。
実は、こういう考え方は娘が先に気づいていた。
昨年のカタカムナ最初の「渦」にも続いている。
今の現状に何も疑問をもたない。
むしろヘンテコに構築されてしまったシステムそのものを批判しないで、
それの中で「うまいこと」やって、文句(批判)もせず、ただ「いい感じ」でたゆたって生きていく…
なんて、クラゲみたいに我々が生きていたら、「魔」の思う壺なんじゃないだろうか。
ますますこの世界はやせ細り、「魔」の思いどおりになっていくだろう…
話を大きくするとあぶなっかしいのでこの辺にしておきますが…
神様のカタカムナによる「壮大な計画」はまだまだスタート地点であり、
まずは個々人の根を太くしないといけないです。
直感とやらで動くとしても、自分の後ろにいる誰かさんのメッセージを受け取りながら進むにしても、決めるのは自分です。
その自分がぐらつき、「魔」の操りとなり、そんな状態で
「直感」「ピンときた」とか言って動いたら、危ないですよね。
現状を認識し、改善し、進んでいくことを「ネガティブ」と捉えて排除する向きが、はっきり言ってスピ界隈にはあります。
疑問の排除、これもあります。
「疑問」を持つって、ものすごく大事な宝物なんです。
私もえらそうな事は言えず、失敗がたくさんあります。
だからこそ、違和感を覚える感覚は磨かれてきた感もあります。
自分の過去の痛手、経験、恥かいたこと、そんなことが財産となって、今の私を助けてくれています。
だから過去の自分をあんまり責めないで、
「あの時はそうとしか思えなかったよな、よくやったよな」
くらいの慰めや励ましくらいは「その時のあなたで良かったよ」みたいな事、言ってもいいかもしれません。
(そもそも過ぎたことだから仕方ないし)
しかし、前を見ると、せっかく胆力と経験値を積み重ねているから、今度は間違えない、頑張るぞ、と上り坂を登っていく…
上り坂登るんだから「負荷」かかって当たり前なんですよね。
明るい方へどんどん進んでいくんだから、大丈夫です。
