AIを導入して分かった。医療DXの成否を分けるのは、現場が声を上げられるかどうかだった
骨太の方針の解説動画を見ていて、「AI」「医療DX」「生産性向上」という言葉が並ぶたびに、心のどこかが小さく引っかかっていた。
方向性そのものは分かる。限られた人員で医療の質を保ちながら効率化する——それに反対する理由はない。
ただ、「AIを入れれば仕事が減る」「DXを進めれば効率化できる」と、そんなに単純に言い切れる話なのだろうか、とも思う。
現場でAI電話を運用してみた経験が、その違和感の正体を少しだけ教えてくれた気がしている。
「効率化した」は、誰にとっての効率化なのか
ある電話業務にAIを入れたときの話をしたい。施設も時期も伏せるが、実際に自分が関わった現場の話だ。
導入前は、電話を受けた事務員が患者の用件を紙に書き、予約担当者に渡していた。アナログだ。でも予約担当者は、紙一枚で必要な情報を一度に確認できていた。地味だけれど、けっこう合理的だったのだと思う。
導入後は、患者が音声案内に沿って情報を入力し、予約担当者が別の画面でそれを確認する運用に変わった。そこから電子カルテを開き、患者へ折り返し、予約内容を入力する。画面と画面を行き来しながら。
電話を最初に受ける職員の負担は、たしかに減った。でも予約担当者の作業は、むしろ増えていた。
一つの部署が楽になった分だけ、別の部署に負担が移っただけかもしれない——そう気づいたとき、「AIを入れたかどうか」だけで効率化を語ってはいけないのだと思った。業務全体を見て、誰の負担が減り、誰の負担が増えたのか。そこを確かめないと、判断を誤る。
「診察券番号、分かりますか」が教えてくれたこと
導入当初のシナリオには、患者を特定しやすくする目的で「診察券の番号が分かれば教えてください」という質問が入っていた。設計の段階では、合理的に見える質問だった。
ところが実際には、ほとんどの患者が番号を覚えておらず、「分かりません」と答えていた。通話時間は延び、予約担当者は実務で使えない回答を画面で確認することになる。
それでも、このシナリオはしばらく見直されないまま運用され続けた。
そこで、問いを変えた。「このシナリオは合っているか」ではなく、「現場は、使いにくさを我慢していないか」と。
現場に声をかけ、使いにくいところや不要な質問はないかを話し合う場をつくった。そこで初めて、「ほとんどの患者が分からないと答えるなら、この質問はいらないのでは」という声が出てきた。
削ってみると、通話時間は短くなり、予約担当者が確認する情報も減った。大きなシステム改修ではない。質問を一つ削っただけだ。
ただ正直に言うと、この違和感に自分がすぐ気づけたわけではない。「導入したばかりだから仕方ない」「自分が使いこなせていないだけかもしれない」——しばらくは、同じように我慢していた側の一人だった。
「AIの民主化」が進むほど、「分からない」と言いにくくなる
「AIの民主化」という言葉をよく見かけるようになった。専門知識がなくても、誰でもAIを使いこなせるようになる——響きのいい言葉だ。
でも、現場にいると、この言葉の前で少し立ち止まりたくなる。「誰でも使える」という前提が広がるほど、逆に「使えない」とは言いにくくなっていく気がしているからだ。
これまで知識と経験を武器に働いてきた人ほど、「分からない」と認めるのが難しい場合もあるのではないか。
AIは日々変わる。今日ついていけた人が、明日のAIにもついていけるとは限らない。それでも「もう誰でも使えるはず」という空気が強くなるほど、「分からないのは自分だけだ」と思い込んでしまう。
本当は多くの人が戸惑っているのに、誰も声を上げないから、現場の問題が見えなくなる——これがAI時代に生まれる、新しい沈黙なのだと思う。
「AIの民主化」が本当に意味するのは、誰もが迷わず使いこなせることではなく、誰もが「分からない」と言いながら使い続けられることのはずだ。技術の変化が速すぎること、学ぶ時間が確保されていないこと、分からないと言いにくい空気があること——それは個人の問題ではなく、環境がつくる問題だと思う。今日AIを使えている人も、次の変化ではきっと戸惑う側に回る。
人にしかできない仕事は、消えるのではなく移っていく
AI時代に人にしかできない仕事というと、患者に優しく接する、共感する、丁寧に説明する、といった役割がよく語られる。
でも、もう一つあると思っている。声を上げにくい人の存在に気づくこと。言葉になっていない違和感を拾うこと。「分からない」と言っていいと伝えること。そして、出てきた声を、実際の改善につなげること。
これは、患者へ優しくすることとは少し違う。組織の中にある沈黙を見つけ、声を出せる状態に変えていく仕事だ。
骨太の方針が示す生産性向上を、単なる人員削減や機械の導入として捉えると、この役割は見えなくなる。導入した数や機能の多さでは、DXが成功したかどうかは分からない。
現場で誰かが使いにくさを我慢していないか。一つの部署で減った仕事が、別の部署へ移っただけではないか。そして、「分からない」と言えない人が黙っていないか——そこまで確かめて、はじめて生産性が上がったと言えるのだと思う。
答えが完全に出たわけではない。ただ、AIが高度になるほど、人が何もしなくても便利になっていくように見えて、実際には逆なのだろうと感じている。現場の小さな違和感を拾う人が、これからむしろ必要になっていく。
派手な仕事ではないし、すぐに成果が見えるわけでもない。それでも、医療DXの成否を最後に分けるのは、高性能なAIそのものではなく、その隣で「これ、使いにくくないですか」と言える人がいるかどうか——今の自分は、そんな見立てのところに立っている。
同じようなもやもやを、AIやDXの現場で抱えている方に、少しでも届けば嬉しいです。
AIやDXが、現場の働き方をどう変えていくのか。同じ問いを抱えながら書いた記事を、マガジン「医療事務×AI・DX」にまとめています。今日感じたもやもやの続きが、どこかにあるかもしれません。
