坂本龍馬って何をした人なの?
正直よく分からない
坂本龍馬って、信憑性のあるエピソードがあんまり残ってないんですよね。だれが龍馬を殺したのかすらよく分かってない。
フィクションで盛られまくって人気が出ちゃった人です。
はっきり分かっていること
土佐藩出身の郷士だった
脱藩した
海援隊を結成した
薩長同盟の仲介役を果たした
船中八策をつくった
京都で暗殺された
船中八策
船中八策がつくられた背景ですが、討幕派(岩倉具視・西郷隆盛ら)が暴走しそうな気配があり、一方で、土佐藩(山内容堂・後藤象二郎ら)は比較的穏便路線でした。
龍馬は討幕派と土佐藩をつなぐ役割を担っていました。
武力による内戦を避け、かつ幕府の独裁体制を終わらせるためにまとめたのが「船中八策」です。
船中八策には「政権を朝廷に返すべき」といったことが書かれており、大政奉還の思想と重なります。
しかし「大政奉還は船中八策を参考にされて宣言された」という直接の因果関係はない可能性があり、研究者の間でも意見が分かれています。
また、「船中八策」が「五箇条の御誓文」の原文になったという説もありますが、これも創作であるという説が有力です。
寺田屋遭難
龍馬のエピソードでもう一つ有名なのは寺田屋遭難です。
でもこれは龍馬のエピソードというより、お龍のファインプレーなんですよね。
龍馬が「寺田屋」の二階で三吉慎蔵と酒を飲んでいたら、伏見奉行所の襲撃があった。それに気づいたお龍は風呂に入っていたが、裸のまま二階の龍馬たちに伝えた。龍馬は手に重症を負うものの、なんとか脱出に成功した、というものです。
お龍が「風呂に入っていたが裸のまま駆け上がった」というのは小説による脚色で、史実ではないそうです。
ただしお龍が急いで龍馬たちに危険を伝えなければ、龍馬たちは即死していた可能性が高かったのは事実です。
日本初の新婚旅行をした?
寺田屋襲撃の後、手に怪我を負った龍馬が療養のためにお龍と霧島へ湯治に行った話は有名で、「日本初の新婚旅行」であると言われています。
クイズなどで取り上げられることが多いエピソードですが、当時「新婚旅行」と呼ぶ感覚はなく、果たして本当に日本初の新婚旅行と言ってよいものだったのかどうかは不明です。
龍馬の人気の理由
坂本龍馬の人気が「国民的ヒーロー」としてここまで広がった背景には、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』(文藝春秋)の存在が大きいです。
『竜馬がゆく』以前の龍馬については、一応存在自体は知られていたものの、あくまで一地方出身の志士の一人という認識でした。
史料も少なく、薩長や幕府の大物たちに比べると知名度は高くありませんでした。
しかし司馬遼太郎が龍馬を
「自由闊達で未来志向の人物」
「日本を近代化へ導いた先駆者」
と描いたことで、大衆に強烈な印象を与えました。
当時の高度経済成長期の空気とも重なり、「古い体制を打ち破り、新しい時代を切り開く若きリーダー」として龍馬像が国民の共感を得たのです。
この小説の大ヒットで「龍馬=国民的英雄」というイメージが定着しました。
その後NHK大河ドラマ(1968年『竜馬がゆく』、2010年『龍馬伝』など)や数多くの漫画・映画・小説などに影響を与えました。
